普天間街道

国頭6872010年5月24日

国頭683正面「食堂 城」の右を登っていく細い道が普天間街道で、今回私はこちらを歩きました。

すぐ降りになって墓地公園の中を行きます。

墓地を抜けると道がいくつかに分かれますが、正面に当山の石畳道の案内があります。

右手上に修復中の浦添グスクの城壁も見えます。

急な坂道を下ると、石畳の道になります。


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上右の写真付近が御待毛だったようです 墓地公園を行く 墓地を抜けて正面の道へ

この道は浦添番所から宜野湾番所へ行く道で17世紀頃整備されたようです。牧港川に石矼も掛けられ、200mほど石畳が残っています。

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隠れて一寸見難いが 最初はコンクリートで滑らない 石畳の道

ここの休憩所でしばらく休憩しました。休憩中に監視員らしい人が見回りにきました。浦添城公園の一角として管理されているようです。ジュースは大分飲めますが、おにぎりはまだ凍っています。雨はまだ止みません。

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左が休憩所、正面が橋 この休憩所で大休止 雨は止まない 牧港川の水量も多い

石畳を登ると住宅街になり、よく解かりませんが国道330号戦を高架橋で渡りました。そこは嘉数町です。街道はよく解かりませんが嘉数高台公園を目指します。公園に着き、高台の展望台に登ります。

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石矼を渡った所に普天間街道の案内 石畳を上りきった所 嘉数高台公園

展望台からは360度の展望です。今通ってきた浦添が南西に、北西には東シナ海、北東には今話題の普天間基地の滑走路が見えます。滑走路には巨大な飛行機が整列しているのが見えます。ちなみに普天間は海兵隊、嘉手納は空軍だそうです。海兵隊のほうが隊員の質に問題があるとか。

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東シナ海方面 米海兵隊 普天間飛行場 大型機が整列している

国頭712展望台を降りて付近を歩くと、「京都の塔」がありました。以前も近くの道を車で通ったとき、京都の塔の案内を見て、何故こんなところに京都の塔なんてのが有るのかと、訝しく思ったものでした。

説明を読んで解かりました。ここは沖縄戦の激戦場だったのです。ここは他府県の兵士も居たでしょうが、京都の部隊が守っていて、多くの兵士が戦死したようです。何年か前に京都の遺族がここに慰霊塔を建てたのです。私も京都生まれなので、お祈りしました。

さて、公園を普天間側に降りて、左折すれば小禄墓というのが有るはずと探しに行きましたが。見つかりませんでした。筋が違ったのかと思って引き返しましたが、すぐ傍までは行っていたようです。

さて真栄原交差点から普天間宮までは6キロほど有りますが、街道は基地の中へ消えています。雨の国道歩きも風情はありますが、疲れたのでタクシーを拾いました。女性の運転手で、普天間基地移転のきっかけとなったヘリコプターの墜落現場はここですとか案内してくれた。

普天間宮も沖縄八社の一つです。熊野権現を御まつりしているとかで、熊野古道の好きな私には親近感を覚えます。洞窟があり、奥宮も中に祀られているとか。

お昼だし、お腹も空いたので食堂を探しました。三角食堂というのに入りました。名前の通り敷地が三角形で、建物も三角形です(笑)。肉丼を頼みましたが、一寸イメージと違いました。

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普天間宮 三角食堂 これが肉丼

食後、近くに野嵩(のだけ)の石畳道というのがあるはずと探しました。予想と違って別の場所にあり探すのに苦労しました。
ついでにペリーの旗立て岩も探しましたが、これは道が1本違って諦めました。次回に挑戦しましょう。

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すぐ近くにありそうですが 野嵩の石畳道 苦労したなあ 最後の締め(笑)

バスで宿に帰り、荷物をまとめて空港に向かいました。今日は1日雨の中を歩いて下着まで濡れたので、着替えてさっぱりしました。
空港での締めはやっぱり焼きそばとビールでした(笑)。