鹿深の道鹿深の道と壬申の乱

2010年12月2日

国道1号線の滋賀県土山町に鹿深の道(かふか)という案内があり前から気になっていた。
先日、余野公園から油日岳に登ったとき、油日の古戦場の案内があり、鹿深の道が壬申の乱に関係することも知った。

昔近江の国から伊勢の国へ向かうのは、現在のように土山から鈴鹿峠を越えて関・亀山へ向かうのではなく、土山から鹿深の道を通り柘植へ出て、加太越えで関へ出たらしい。
壬申の乱で大海人皇子が挙兵して大友皇子の朝廷軍と戦って破った古代最大の内乱はこの辺りが舞台だったらしい。

鹿深656それで一度歩いてみようと思っていたが、土山という所は交通の便が悪い。

JR貴生川線の水口から近江鉄道とかバスとか考えるが、どうも上手くいかない。

ところが最近新名神が開通し、土山SAに高速バスが停まることに気が付いた。

それを利用して今回行くことにした。

近鉄四日市を8時半発の京都行きバスに乗ろうとしたら、その前の大阪行きも土山に停まるので乗り込んだ。

平日なのでがら透きです。
紅葉の山を見ながら9時5分過ぎに土山SAに到着です。大きな施設の真ん中に下ろされて、うろうろしたが、引き返す方向に一般客の出入り口があった。

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一般客出入り口 鹿深の道へ入った

9時15分頃SAを出て左折、高速道路に沿って歩くとすぐ土山からの鹿深の道です。左折すると土山の蟹ヶ坂、右折が油日・甲賀方面です。
右折して歩道を歩きます。この辺は新しく整備された道で、旧道とか山里の面影もありません。

そんな道を50分ほど歩くと大原ダムにでました。ここも何か改修工事をしていました。

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大原ダムキャンプ場左 歩道はここまで。 大原ダム

ダムの周辺にもいくつかため池があり、道路も昔の道路で少し山里の雰囲気も出てきます。

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ため池もきれい 山里の雰囲気もでてきた。

ダムから20分、10時25分頃甲賀と油日の分岐へ着きました。櫟野寺2.5キロ・油日神社3.5キロとあります。

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油日方面へ左折 右端が油日岳

上の組を過ぎ、左手に油日岳を見ながら櫟野(いちの)公民館へ着いたのが10時52分。ここにトイレもありベンチも有ったので一休みしました。

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櫟野公民館 阿弥陀寺

右手に阿弥陀寺を望みながら少し歩くと櫟野寺(らくやじ)です。手前に新道が油日神社のほうへ出来ていますが。まずは櫟野寺へ。十一面観音が国宝とか。

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櫟野寺 油日岳登山口

門前の赤い橋を渡って油日神社へ向かいます。油日岳登山道を左に過ぎると、そこはもう油日神社です。油の火の神として全国の油業界の信仰が厚く、油日岳の頂上に奥の院があります。社殿は重要文化財です。

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油日神社 生茶の中身は赤ワインです。

油日神社を出て善応寺・神宮寺と見て、交差点を渡った川の近くに丁度良い石が並んでいたので昼食にしました。
今日の目的はこれです。日当たりの良い野外で、ちらっとワインを飲むことでした。11時45分から12時10分まで休憩しました。地元のおじさんが「ハイキングですか」と笑っていました。

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五反田方向への道 鹿深の道の案内があった

油日駅へは向かわず五反田方向へ向かう道は広い舗装された道なので鹿深の道から外れたかなと思いましたが、途中に鹿深の道の説明看板があったので、ここがやっぱりルートらしい。

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五反田方向へ右の写真の橋を渡った方が良かった 県道4号線は歩道が無い

12時半に県道4号線に出て左折、柘植をむいて歩き始めた。でもこの県道は歩道も無く車が多くて危険です。跨線橋で五反田方面に行き、適当に線路沿いの道を探して歩くほうが良かった。15分ほど県道を歩くと踏切があり線路を越えた。地図を持たないので行き当たりばったり、適当に歩いて塩野義製薬の前に出て余野公園に入った。

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踏み切りを渡ると冨士大権現の石碑があった。 塩野義製薬へ出てきた

古い県境の石標があった。13時12分です。

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是より南 三重県の管轄 4号線の下の道に出たい

ここからは東海自然歩道の案内に従い、県道から離れて南西へ1.6キロほど歩く。そして信号を左折、柘植の駅まで1キロの案内にだまされて歩くが、実際は1.5キロある。三角形の2辺を歩くようで気がすすまないが、近道は無いようです。駅到着は13時56分でした。

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柘植の町並み JR柘植駅

多分距離は18キロ位、昼食休憩を除いて4時間15分ぐらいでしょう。