東海道 桶狭間〜安城
2013年3月3日

池鯉鮒-a前回は桶狭間の古戦場跡を見て中京競馬場前駅から帰ったので今日はそこからスタートです。

3月3日になりますがまだ今年は寒くて雪も降ります。でも今日はまずまずの天気ですが風が一寸強い。

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9時20分に中京競馬場前を出発しました。今日は開催日らしく予想紙を手にした競馬ファンが多勢降りました。私も若い頃はよく通った懐かしい駅です。

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前後駅前を9時42分に通過。この辺り特に街道の面影残すものも無いので淡々と歩くだけです。
前後駅前を過ぎると東海道松並木の松が一本だけ見えてきます。

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松が1本残っている。 阿野一里塚 9時53分 1号線合流地点振り返る

松を過ぎて坂を降ると阿野の一里塚です。珍しく道の両側共に残っています。ようやく東海道の名残がでてきました。
一里塚を過ぎるとすぐ1号線に合流します。少し国道沿いに歩いて、右手に豊明駅を見ます。10時7分です。
高速道路の下を潜って国道を左に分かれるとすぐ境橋です。ここは尾張の国と三河の国境だったようです。

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境橋 一号線を越える 歩道橋で車道を渡る

橋を渡って少し歩くと再度1号線に出て地下道で潜ります。歩いていくと車道が半地下で街道は分断され、低い歩道橋で越えます。
越えるとすぐ右手に富士松駅の茶色の建物が見えます。10時32分です。

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富士松駅 乗蓮寺の大シイ ひもかわうどん?

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富士松駅を過ぎると左手に乗蓮寺というお寺があり、境内に樹齢850年とかの大きなシイの樹があるというので見に行った。

また歩くと「いもかわうどん」とかの石碑があった。
寡聞にして聞いたことも食べたこともありません。
どんなうどんなんでしょう。

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少し歩くと今度は右手に洞隣寺というお寺があり、子安地蔵さんをおまつりしていました。

一寸由緒ありそうなお寺で、トイレもあったので一寸使わせてもらいました。

10時47分頃です。

10時54分に国道へ出て陸橋を渡り、少し国道と分かれてまた国道に戻り、15分ほど国道歩きをします。

逢妻町という大きな交差点で国道を渡り、知立駅の方へ入っていきます。

交差点を渡るとすぐ逢妻橋がありますが、ここで一寸失敗しました。街道は橋を渡ってすぐ左折なのですが直進してしまいました。

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逢妻町の交差点 逢妻橋 これを直進は間違い 11時18分

直進して行っても、知立神社の参道や池鯉鮒宿本陣跡があったりしたので、すっかり東海道を歩いていると思っていました。

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知立神社参道入り口 池鯉鮒宿本陣跡 総持寺

池鯉鮒067ところが中町交差点で左の看板を見つけてがっかりです。
この地図には左端で切れていますが、先ほどの逢妻橋を渡って左折なのでした。

まあ急ぐ旅でも無いので引き返してもう一度街道を歩くことにしました。

左の図をご覧ください。左折してすぐ有るのは右手に総持寺(上の写真)です。
これを先ほどは左に見ながら歩いていました。

地下道で155号線を潜ると了運寺というお寺があり、街道はここで鍵形に曲がります。了運寺にはタイから来たお釈迦様の像も祀っていると書かれていました。

曲がるとすぐ右手に知立城跡があります。
知立古城は桶狭間の戦いで落城したと書かれていましたが、織田・今川どっちの城だったのでしょうか。

江戸時代に入って将軍家の休憩用に再建されたとか。
また直角に曲がる道案内の石碑があるので、すぐに左折します。

後は道なりに直進すれば左手に問屋場跡があるそうですが気が付かず通り過ぎてしまいました。

そして図の現在地の場所が中町交差点です。

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了運寺 知立古城跡 鍵形に曲がる道標

この辺りの道路のマンホールカバーは有名な八橋の「かきつばた」の故事を取り入れています。今日は是非とも行ってみたいですね。

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在原業平の歌は有名です かきつばたの花なんでしょう 680円のランチです

そろそろお腹も空いてきたので、先ほど歩いた県道沿いの台湾料理店に入りました。11時55分です。
12時半に店を出て、街道に復帰しました。中町交差点からは今度は県道の南側に街道は移ります。

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旧東海道は車も少ないのですが、名鉄の踏み切り近くだけ1号線から安城市街への近道らしく渋滞していました。
1号線に出会うと、道の向こうに有名な松並木が見えてきました。地下道で渡って待つ並木に入ります。よく保存されています。

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池鯉鮒112この辺りには明治用水というのがあったらしく、その謂れも説明されています。

要するに荒地開墾のため私財を投げ打って用水を引き60ヘクタールの美田が生まれたとありました。

衣浦豊田道路の下を陸橋で渡ります。東海道の松並木もここまでです。13時11分です。

近くには牛田インターがあります。
旧東海道と近代的な高速道路が面白い対となって景観を作っています。



池鯉鮒116街道はゆるやかにカーブを描きながら東に向かいます。

いつも思うのですが昔の街道は直線の道は殆ど無く、大抵が緩やかなカーブを描いています。
何故なのでしょう?

東海道でも滋賀県のどこかで真っ直ぐな道があったと思いますが、それが珍しいと話題になるほどです。

風情がありますよね。





10分ほど歩くとまた松並木が見えてきますが、ここに来迎寺の一里塚があります。

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来迎寺小学校前の松並木 来迎寺の一里塚

この一里塚も道の両側に残っています。愛知県下にもう一箇所、たしか岡崎に道の両側共一里塚が残っていると書いてあったような。
かきつばたで有名な八橋の無量寿寺の案内がありました。13時30分に来迎寺町の信号を左折しました。
交差点から700mで無量寿寺です。

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左は山王日吉社 無量寿寺の守護神ですね。 在原業平は在五中将とも呼ばれる かきつばたは5月10日頃が旬

伊勢物語の東下りの段で、かきつばたの五文字を頭にして昔男が読んだと言う和歌はあまりにも有名ですね。
でもそれと無量寿寺とどんな関係があるのか知りませんが、ともかく一度は訪れてみないことには話しにならないので寄り道しました。

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かきつばた園の業平像 おくわ神社 ここにも松並木が

平安初期に書かれたという伊勢物語は書名の由来、作者、主人公も不明なのだそうです。でも後年の源氏物語などにも影響を与えているそうです。
かきつばた園の見学を終えて来迎寺の交差点へ戻ってきたのは丁度14時でした。30分で行ってきたことになります。

左手に御鍬神社を見ながら10分ほど歩くと、また松並木に入りました。安城市が整備されています。
この辺りの松で、樹齢200年から250年だそうです。250年前というと宝暦の時代ですね。宝暦の大津波や宝暦の治水が行われた頃ですか。

さて今日はどこまで行こうかと思いましたが、岡崎まではまだ10キロ近くありそうなので、ここで止めることにしました。
14時22分、今本町で右折して名鉄新安城駅に向かいました。
10分で新安城駅です。ここは特急も停まるので、次回は便利でしょう。

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