仁科街道
長野県の飯田から塩尻までの、いわゆる三州街道を歩く計画で、塩尻市のご担当の方から「しおじり学びの道」という立派なガイドブックを送って頂いた。
その計画はまだ実現していないが、今回大学のワンゲルのOB会が立山の室堂から奥大日岳登山ということになり、1日前に出てこの「仁科街道」を歩いてきた。
実は当初はこれもこのガイドブックにある「初期中山道」を歩くつもりだった。
ところが、7月8日の台風8号で、JR中央線の南木曽付近で橋梁が流され不通となった。
14日に一部区間をバス代行で開通したが、特急は走れない。当初は塩尻付近へ9時半ごろ着く予定が12時を過ぎることになった。
それで、距離を短くして仁科街道になったのでした。
さて仁科街道仁科街道ですが、いわゆる「塩の道」です。
糸魚川から塩尻へ日本海の塩を運んだ道です。
一般的には「千国街道」と呼ばれているように思います。
白馬付近の千国を通るからでしょう。
仁科というのは大町周辺を指す地名のようです。
青木湖や木崎湖などを総称して仁科三湖と呼ぶようですし、以前大町の南の仁科神明社にお参りをした覚えがあります。
その時は自転車で南小谷から信濃大町付近まで散策をしていました。
さて左の図ですが、JR中央線の洗馬駅が起点です。
その一寸上に私が「本洗馬」と書いた付近が塩の道の終点だったようです。
そこからまた中山道を通って木曽の方へ運ばれたようです。
そこで馬から塩を下ろし、馬を洗ったので洗馬というのでしょうか?
実は平安時代から洗馬の地名はあるそうです。
中山道の洗馬宿は、ここが塩の道の終点であった他に、善光寺街道の起点でもあった交通の要衝でしたね。
何年か前中山道を歩いた時は「塩の道」のことは知らず、善光寺街道との追分を見ながら塩尻方面へ歩いたのでした。
今回この地図を見て、洗馬駅から本洗馬へ行く道を考えました。
Aの琵琶橋が結構古い橋らしい。
Bの東禅寺、Cの長興寺がなかなかのお寺らしい。
F辺りに「本洗馬資料館」があるらしい。
以前見た中山道と善光寺街道の追分もみたいな。
ということで、赤線のような道で仁科街道に入ることにしました。
2014年7月22日
朝早く家を出て、名古屋駅から中津川乗り換えで坂下駅に着きました。ここから野尻駅までがバスです。
きれいな大型バスが2台待っていたので楽々です。こんなお客が少ないのに2台も贅沢だなと思いながら、乗りました。
国道19号線で田立や南木曽に寄りながら木曽川に沿ってバスは走ります。
10時頃、南木曽に着くと大勢の人が乗ってきました。やはり馬籠や妻籠を歩いている人が結構居るようです。
白人の娘さんも大きなザックを担いで歩いていたようです。
久しぶりに「桃介橋」を見ました。
十二兼を過ぎ野尻で列車に乗り換えて、大桑・須原と懐かしい駅を過ぎます。
そして寝覚ノ床を過ぎると上松です。
ローカル列車で中央線を走ると中山道の懐かしい思い出がいろいろ蘇ります。
木曽福島を過ぎ、藪原、奈良井、贄川、日出塩そして洗馬到着は12時過ぎでした。
相変わらず人気のない寂しい駅です。
駅前の案内です。右上のびわ橋から本洗馬を目指します。
善光寺街道との追分です。でも右の中山道は新道です。往時はこの50m先で分かれていたそうです。
ここが往時の分かされです。前回はここを右折して中山道を辿りました。
今回は、ここを直進、善光寺街道を少し歩いて左折、琵琶橋を目指しました。
琵琶橋到着は12時半ごろです。この谷の地形が橋を架けるのに好都合と言うことで、江戸時代からここに架けられていたそうです。
琵琶橋という名前も何かゆかりがありそうですね。
橋の袂にも石仏が並んでいます。
私はここを左折しましたが間違いで、右折してから左折が良かったようです。
一寸したやぶ漕ぎの末、仁科街道にたどり着きました。12時45分です。
やぶ漕ぎ中に、ひどいくっ付き虫?に取りつかれて、後で取るのに往生しました。
東禅寺です。ここは木曽義仲の家来で長瀬判官代という武将ゆかりの寺だそうです。
滋賀県の信楽から移り住んだ奥田信斎という陶芸家の窯があります。
シダレザクラが有名だそうです。
少しいくと長興寺があります。ここも戦国時代開基の名刹だそうです。
枡蓋にも、「本洗馬」とか「洗馬焼」の文字が見えます。
本洗馬資料館は残念ながら閉まっていたので割愛しました。
塩尻付近の旧家はこんな屋根が多いです。本棟造と呼ぶそうです。
小曾部川を渡って少し登った集落に石仏が集められていました。
やはり馬頭観音が多いのでしょうね。
街道はこんな感じです。
街道の外れに道祖神があり、道標がありました。
右松本道、左仁科○ 何でしょう。仁科屋???
ここにも馬頭観音さまが集められていました。
集落を抜けると岩垂地区です。ここは高原野菜で有名だそうです。レタス栽培が盛んだとか。
野菜の他に果物も多くみられました。
ここで松本市に入ります。T字路を右折すると宝輪寺です。
ここも木曽義仲で有名な今井兼平ゆかりの寺でした。14時30分頃です。
ここからの街道は塩尻市の地図には載っていません。ただ松本市の神林地区を通っていたという情報からすると、その間に松本空港があります。
空港の滑走路工事で、街道は無くなったことが想像されますが、ともかく空港まで歩くことにしました。
空港に隣接する公園です。
ここから道は滑走路の下を潜って空港の入り口に続いています。
15時35分頃空港入り口に到着、そこからバスに乗りました。
暑い中、熱中症にもならずご苦労さんでした。
松本駅前のホテルでワンゲル同級生のOさんと合流して、早速飲みに出かけました。
冷たいビールがたまりませんが、これが3日間飲み続けの始まりとは、このとき想像もしていませんでした。
明日の立山黒部アルペンルートに続く。