東海道 袋井宿へ
2013年12月10日
姫街道を歩き終えたのが14時38分。まだ一寸時間もあるので東海道を袋井宿まで歩くことにしました。
距離は7〜8キロと思います。

旧東海道は見附宿場通りと名付けられています。

見附宿は京都から下ってきた旅人が、初めて富士山を見つけるということで、見附宿となったという話を聞いたことがある。
ただ奈良時代から遠江の国府が置かれ、古くから栄えた街だそうです。
江戸時代には姫街道との合流点としても栄えました。
現在では宿場町の面影は殆ど無く、わずかに脇本陣の門だけが残っているようです。でも本陣跡とか問屋場跡とか名残の看板を多く立てて、宿場町の街づくりには気を使っておられるようです。
また、明治8年に建てられた見付学校の建物は日本最古の木造洋風建築だそうです。
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脇本陣の門が残っている |
この辺が宿場の本陣か |
見付学校の校舎 |
静岡銀行の前に問屋場跡の看板と宿場の案内があった。
小高い丘と石段が見えてきたら愛宕神社で、阿多古山一里塚とあるので、この丘に一里塚があったのでしょう。15時15分頃です。
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静岡銀行の前が問屋場跡 |
愛宕神社 街道は左側 |
右側に案内がある、東の入口か |
愛宕神社から15分歩いて街道は国道1号線に合流します。前方の陸橋で国道を渡りますが、その手前左側に鈴ヶ森刑場跡があります。
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鈴ヶ森刑場跡の無縁仏 |
鈴ヶ森の刑場跡を示す |
松並木が残っている |
陸橋で国道を渡り右に分かれていくのが旧東海道です。入るとすぐ松並木があります。
街道を15分ほど気持ちよく歩いていると、民家の庭先になにやら石碑が立っています。三箇野車井戸跡と書かれた石碑もあります。
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ここで左折して明治の道へ |
明治の道は緑のトンネル |
また松並木が残る |
ここを左折して、明治の道とかへ入るのが街道のようです。街道は大きな木々の間を行きます。途中に江戸の道の石碑もあります。その道は今は消えているようなので明治の道を行くとまた松林が現れます。三ヶ野の松林とかの道標と説明がありました。
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三ヶ野の道標 |
太田川の堤防に出る |
太田川の橋を渡る |
街道は太田川の堤防に出て、ここで1号線から離れて袋井宿に向かいます。16時頃です。


橋を渡ってそのまま直進して15分ほど歩くと、街道は一寸だけ左に分岐します。
分岐点には道標があり、木原堤の案内があります。ここも信玄と家康が戦った古戦場のようです。
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木原堤古戦場を示す道標 |
木原一里塚 |
袋井宿に入ってきた |
古戦場の謂れを示す説明は神社の前にあります。その神社からすぐに木原一里塚がありました。ここから北へ400mが古戦場だそうです。
いよいよ袋井の街に入ってきました。時刻も4時半になり、夕闇がせまっています。
小さな橋を渡ると橋の袂に高札場のようなポケットパークがありました。16時53分です。
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橋の袂のポケットパーク |
駅前通りの宿場公園 |
どまん中袋井宿 |

ポケットパークから5分でJR袋井駅からの道に来ました。
そこに宿場公園ができていました。袋井宿は京都から数えても江戸から数えても27番目の宿場ということで、どまん中の宿場町をうたい文句にしています。
ここから袋井駅は700m、歩いて10分の距離です。
駅前で恒例の反省会です。
Wさん、姫街道&東海道、お疲れ様でした。