伊那街道最終日(七久保駅から飯田駅)
2015年5月1日
今日は伊那街道最終日ですが、距離は20キロと短いです。
普通に歩けば5時間なので、7時に出れば12時には着く勘定です。
旅館の朝食は大体似て居ますが、どこでもご飯3杯は食べられる副食がでてきます。
丸七旅館さんも同じでした。
女将さんに、飯田で和菓子のお土産を買うとしたら、何が良いかと尋ねると、「一二三屋の饅頭がお勧め」だと。
それで一応ネットで調べると駅前から5分程度で店がある。そこへ行こうかと計画を立てる。
もう心は帰心矢の如くですね(笑)。
7時5分に旅館を出発しました。
5分で昨日の街道に復帰します。中央アルプスの稜線がきれいです。
この道筋も結構石仏群があります。
30分ほどで旧道に入ると一里塚跡の案内がありました。
芝桜を植えた家が有り、水田に写ってきれいでした。いまだけの風景ですね。
8時頃松川ICへ3キロの地点を通りました。そこから10分一寸歩くと、風景が街道らしくなってきました。
ふと見ると壊れた木杭に片桐宿枡型と書かれていました。
ここも宿場だったんだ。どこの宿場も敵の侵入を妨げるため通りを一直線にせず、カギ型を作っています。ここもそうなんですね。
なまこ壁の蔵もあり風情満点です。
立派な街道の松もあります。手入れも素晴らしい。
また一里塚跡がでてきました。飯田から3里12キロの地点です。
すぐに松川IC入口です。交差点を越えると、すぐ石仏のあるお堂があり休憩しました。
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松川インター入口 8時40分 |
すぐ近くで休憩 |
フルーツ街道 |
10分で出発すると、この辺りはリンゴや梨の果樹園が両側に並びます。フルーツ街道ですね。
信州の道祖神は写真のように二人連れが多いですね。
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二本松の道祖神 |
リンゴの花を間引く |
果樹園の消毒マシン |
道端の果樹園で何か作業している人が居たので尋ねると、
咲き過ぎた花を間引いているそうです。実を付けすぎると来年実がならないそうです。リンゴもミカンも同じですね。
農家の庭先に寸胴の変な機械があちこちで見かけるので、訊いてみると果樹園の消毒マシンだそうです。
なるほど、あの低さなら果樹園の中に入れますね。
左手はるか下に伊那谷の風景が見えて居ます。
街道は相当上を歩いているのですね。
9時10分過ぎ高森町に入りました。
9時53分、左手に宝泉寺というお寺がありました。
伊那谷の風景が見えそうだと境内に入りました。
名物は千体仏だそうで、千仏堂がありました。宝泉寺を出るとすぐ一里塚跡跡がありました。飯田から8キロかな。
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一里塚跡 10時05分 |
瑠璃寺入口 |
上市田 10時30分 |
10時20分頃、右手に大きな石仏がありました。瑠璃寺入口だそうですが、瑠璃寺そのものを余り知りませんm(__)m。
元善光寺は善光寺と両方参らないと片参りと言われます。正式名は座光寺で、SAなどの名称にもなっていますね。
この街道には珍しく、うだつのある家がありました。屋根の上の飾りも珍しいですね。
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うだつのある家 |
一寸絵になる道祖神 |
秋葉大権現 10時50分 |
菜の花が咲き、道祖神があって後方に山。一寸絵になると思って写したのですが。
10時50分頃、秋葉大権現の大きな石碑があった。しかし目を引いたのは水戸浪士ここを通るの碑であった。
幕末に武田耕雲斎率いる天狗党の浪士1000人余が上州から佐久・諏訪を通って伊那街道を南下し、その後敦賀に向かって幕府軍と戦い降伏した。そんな歴史がここに有った。
矢塚古墳です。座光寺最大級の石室とか。
また一里塚です。飯田まで4キロでしょうね。11時15分です。
道端にいろいろ石仏をお祀りされていますが、興味は有れど詳細は不明です。
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道端の石仏を祀る場所 |
漬物屋さん |
大木戸跡 11時55分 |
良さそうは漬物屋さんがあり、お土産にと思ったのですが、重そうなのでやめました(笑)。飯田の街を見下ろす高台から下って川を渡ると飯田市街に入ってきます。
大木戸跡という大きな石碑のある交差点を越えると、もう飯田の街中です。
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まともな昼食 |
一二三屋さん |
丸七旅館の女将さんが、飯田の和菓子と言えば一二三屋さんのまんじゅうと言っていたので、その店をまず探しました。
その後近くの中華料理屋さんに入って昼食です。この旅初めてのまともな昼食でした。
高速バスの時間を変更して、スーパーで一寸地元の食品をお土産に買い、バスの中で飲みながら帰りました。