御鮨街道
先日、山歩会の仲間と中山道を歩いていた時、垂井宿の近くで美濃路の追分があり、加納宿には御鮨街道の分岐点があった。
御鮨街道とは長良川で捕れた鮎を「熟れ鮨」にして将軍家に献上する道だと知った。
それでコースを調べてみた。
御鮨街道は岐阜の長良橋辺りを起点とし中山道と一寸並行した後南下して、清州付近で美濃路と合流する。美濃路はその後名古屋宿を経て宮宿で東海道に合流し、鮎鮨は江戸に送られたそうです。
御鮨街道は鮎鮨街道とも岐阜街道とも呼ばれました。
2017年1月3日
大晦日から元旦は子供たちが来ていて、一寸食べ過ぎ飲みすぎなので、ウオーキングと初詣を兼ねて御鮨街道を歩きました。
今回はお正月でもあるし、あまり長く歩きたくはない。
それで、長良橋から尾張一宮駅まで20キロほどを歩くことにしました。
8時半過ぎに岐阜駅に着き、バスで長良橋に向かいました。
長良橋は鵜飼船の乗り場でもあるようです。
橋の袂から下に降りると、トイレも有り、付近の地図がありました。
その地図で御鮨街道の基点を探しました。
岐阜大仏の近く、林稲荷神社の前辺りが起点のようです。
早速川原町という風情ある街なみを通って、岐阜大仏へ向かうことにしました。
上は川原町です。9時05分。
岐阜大仏は一度だけ行ったことがありますが、確か竹の枠の上を紙で覆い、漆や金箔を塗ってあるとか。
そのお寺の方が、御鮨街道の起点である御鮨元は以前は石碑が立っていたが、今は3軒に分割されそれも無いと言われました。
なので、適当にその辺を出発し、長良橋通りから左折して御鮨街道に入りました。
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御鮨街道案内 |
9:33 伊那波神社参道 |
9:55 街道は左 |
今日は伊那神社初詣のため車の通行が止められている街道を100mほど南下すると御鮨街道の案内がありました。
伊那波神社へ向かう道は屋台が出て大賑わいです。私も心惹かれましたが今日は街道歩きです。
30分ほど南下して、名鉄一宮駅も近づくころ街道は左に分かれます。
そこに鮎鮨を運ぶ桶や行列の様子などが描かれていました。名鉄各務ヶ原線の踏切を渡ってから複雑に街道は曲がりますが、方向を見失ってJR岐阜駅の方へ歩いてしまいました。再度気を取り直して街道に復帰、JR東海道線と再度名鉄本線の踏切を渡りました。10分位ロスしたかな。
渡るとすぐ中山道に合流します。ここはつい1っか月前に歩いたばかりです。
この辺りの溝蓋には中山道と御鮨街道が併記されています。
少しの間、御鮨街道は中山道を進みます。
10分一寸中山道を歩いて、名鉄茶所駅の手前で、御鮨街道は右折して中山道と分かれます。
御鮨街道分岐 10時38分
右折するとすぐ右に東海道への分岐を示す石標と、何やら不明の石のモニュメントがあります。鏡岩という力士の謂れが説明されています。
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ぶたれ坊と茶所 |
10:52 境川沿い |
国道21号線を潜る |
15分ほど南下すると境川に出会います。川沿いに10分ほど歩いて岐大バイパスの下を潜ります。
街道は県道14号線の傍を並行して南下します。
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県道14号線の手前を左折 |
11:08 県道14号線に合流 |
11:15 境川を渡って左折 |
5分ほどで県道に合流し、7分で境川を渡ります。橋の袂を左折していくのが街道です。
この辺りは笠松町に入っています。名鉄笠松駅が左奥に見えますが、その向こうは笠松競馬場でしょう。竹鼻線の踏切を渡ります。
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11:26 名鉄笠松駅付近 |
笠松問屋場跡 |
鮎鮨街道の碑 |
すぐ右手に笠松問屋跡がありました。ここでは御鮨街道では無く、鮎鮨街道と呼ばれていたようです。
ここは加納問屋が運んできた鮨を受け取り、次の一宮問屋まで14人で運んだと書かれていました。
笠松は過っては江戸幕府の直轄地だったようで、陣屋が置かれていたそうです。
笠松湊は木曽川による物資の積出港で、往時は相当賑わった街のようです。
過っては栄えた笠松の街並み
杉山邸とか
問屋場から12、3分で木曽川の堤防に上がりました。
ここからは岐阜を通らず直接京都へ向かう近道があり、木曽川沿いに下れば桑名を経て伊勢へ、また岐阜街道は加納と名古屋を結んでいる。交通の要衝だったのです。芭蕉も野ざらし紀行で訪れているとか。本来はここから渡し船で対岸へ渡ったのでしょうが、今は木曽川橋を渡ります。
渡って堤防を少し上流へ登ります。今朝出てきた岐阜城が遠望できます。街道に復帰すると宝江の渡し跡や道標などが有りますが、その一つには岐阜街道とあります。もうこの辺りでは御鮨街道でもなく鮎鮨街道でも無かったのでしょうか。
15分ほど歩いてイオンモールの近くで「すき家」に入り昼食休憩しました。
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12:17-40 すき家で昼食 |
12:53 JR木曽川駅 |
河野善龍寺付近 |
12時40分に出て、街道は旧道で名鉄黒田駅、JR木曽川駅付近の線路を渡ります。名鉄新木曽川駅付近でしょうか、善龍寺付近は風情があります。
13時15分 東海北陸自動車道
東海北陸自動車道の下を潜り、家康ゆかりの石刀(いわと)神社の入り口を過ぎる。この辺りは特に見る物も無い。
13時30分 石刀神社入口
すぐに昼食後分かれた県道190号線に合流し、3分で右手に彼岸縄手地蔵がある。源頼朝ゆかりの地蔵さんとか。
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尾張六地蔵の彼岸縄手地蔵 |
13:50 元伊勢 酒見神社 |
皇大宮遥拝所 |
地蔵さんから12〜13分歩くと、右手に酒見神社がある。ここは倭姫巡行の地の一つで所謂元伊勢の一つです。近く元伊勢を訪ねるつもりなので、初詣も兼ねて参拝する。また日本で最初に清酒を作った神社と言われています。
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14:15 真清田神社 |
参拝の行列 |
14:21 岐阜街道は商店街の中 |
街道が尾張一宮に近づく頃、真清田神社があります。
尾張の国一宮であり、この地方の名前の由来でもあります。
大変な人出で、順序良く正面から参拝すると30分以上かかりそうなので、横からお賽銭を投げ入れて、参拝しました。
街道はこの鳥居から南に商店街を通っています。
通り抜けて右折し、JR尾張一宮駅には14時半に到着しました。
家に帰ると、お節料理の残りを食べないといけないので、一人で反省会は止めて、帰宅することにしました。
続きの美濃路へ