御鮨街道から美濃路へ

岐阜街道001前回は1月3日に岐阜市の長良橋から尾張一宮まで歩いた。
それで今回は残りの一宮から名古屋までを歩きました。

御鮨街道は岐阜市内では御鮨街道と呼ばれるが、笠松に入ると鮎鮨街道と呼び方が変わる。

そして、木曽川を渡って木曽川町に入ると岐阜街道と名前を変える。
現在いる一宮市でも岐阜街道で、稲沢市を経て清須市で美濃路と合流して名古屋へ向かいます。

今日はその名古屋宿まで23キロ位かなを歩く予定です。

2017年1月25日(水)

岐阜街道107

朝7時半頃の鈴鹿山脈藤原岳です。

雪の日がずっと続いていたので山は真っ白です。
でも今日は快晴、雪の心配はありません。
でも西高東低の気圧配置は続いていて、風はまだ強いとか。


岐阜街道002

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8:33 尾張一宮駅 岐阜街道 一宮城址

8時半過ぎに尾張一宮駅を出て、前回終わった商店街へ。近くの三菱東京UFJ銀行の前に一宮城址の碑があると知って、一寸見に行った。
8時40分過ぎに岐阜街道に入る。

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8:42 出発 墓地 8;50 地蔵寺

一寸早く左折しすぎて地蔵寺の墓地を通り抜けたりして街道に復帰。県道90号線通称岐阜街道に接する三社神社のそばに有るという一里塚跡を見に行く。

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8:57 岐阜街道 一宮一里塚跡 県道90号線(岐阜街道)の陸橋を渡る 神明社

神社は工事中だったが、なんとか確認する。その後、陸橋で県道を渡り、1本東に入って右折する。
右折するとすぐ左側に神社の境内があります。何の神社かなと思って神殿に近づくと「照手姫」の文字が。

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9:09 照手姫袖掛け松 牛野通り交差点 9:27 多加木北付近

先ごろ中山道の青墓で照手姫の水汲み井戸を見ましたが、ここにも小栗判官と照手姫の遺跡があるとは思いませんでした。
牛野通りで県道を渡り、今度は西側の小道に入ります。そこから10分ほど歩いて再度県道に出てきました。多加木という辺りのようです。

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9:35 名神高速道路 9:52 赤池居道 ミニストップ付近 10:02 赤池一里塚跡

名神高速道路の下を潜ると稲沢市に入りました。赤池地蔵を過ぎて街道は左に分かれました。でも腹の調子がおかしく成り、県道沿いのミニストップでトイレを借りました。ミニストップを出て10分ほど南下、左の道と合流する場所に赤池一里塚跡の碑があります。
こうやって碑を確認すると自分が間違いなく旧岐阜街道を歩いているのだと確認できて安心できます。

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10:18 下津城址 県道161号線 役行者堂 10:43 阿弥陀寺

下津小学校の近くに下津城址の碑があるらしいので、街道から一寸外れて見に行きました。室町時代の尾張守護職織田家の居城だったそうです。
県道161号線の角に大峰行者堂の案内があり、見ると役行者のようでした。修験道の開祖として全国津々浦々で祀られていますね。

一寸ややこしく曲がって街道は阿弥陀寺の横を通ります。長島一向一揆に味方したため信長に焼き討ちされたと案内がありました。
でも立派に再興されているのですね。

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JR東海道線 豊田合成付近 11:11 美濃路との追分 美濃路 県道136号線

阿弥陀時から20分弱歩いて11時頃、街道はJR東海道線に接します。さらに10分で県道136号線にぶつかりますが、そこは中山道の垂井で分れた美濃路です。岐阜街道はここまでで、ここからは美濃路を歩くことになります。

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県道136号線で左折、50mほどですぐ右折して南下するのが街道です。

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県道からすぐ右折 11:18 長光寺  左京道、右ぎふ道

六角堂100mとかの案内があり探しますが、なかなかありません。200m一寸先にありました。長光寺で、門前に大きな道標が建っています。
六角堂と地蔵像が重要文化財に指定されています。

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六角堂 11:24 北市場 美濃路公園 付近の地図

六角堂から100m一寸の所に美濃路公園というのがありました。その前を通って少し歩くと左側に亀翁寺があります。
虚空蔵菩薩像が南北朝時代のもので重要文化財だそうです。

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亀翁寺 11:41 総見院 清須駅付近

亀翁時から5分ほど南下した右側に小さな立札があり、総見院の説明があります。右折して見に行きました。本能寺の変の時、信長が着けたと言われる焼け兜を織田信雄が見つけて安置したものなどあるそうです。

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12:00 ボリュームたっぷりのランチ 12:40 紅莉園 御嶽神社

そこから10分弱で街道は清須駅の近くを左折して、県道190号線に近づきます。そこで県道に出て食堂があるかなと見渡すと中華料理店があったので入りました。700円のランチを頼みましたが、ボリュームたっぷりで夕食も減らしたほどでした。

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御嶽神社を振り返る 12;55 清須宿本陣跡 12:58 五条橋

街道に復帰すると石仏が一杯並んでいます。後で確認すると御嶽神社と言うそうです。
神社から10分ほど、高速道路や東海道線、新幹線を潜った右手に本陣跡がありました。今はお医者さんのようでした。

すぐに五条橋で、街道は五条橋で五条川を渡って行きますが、清須城公園を見ようと、川の手前を左折しました。
直ぐに信長や濃姫の銅像があります。

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信長像 13:07 清須城跡 甲冑体験

再度JRの下を潜って赤い橋を渡ると清須城です。観光客のまばらですが居るようです。甲冑を着て記念写真している人も居ました。
再度街道に復帰して、五条川の左岸を少し歩いて、街道は左に川から離れます。

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13:17 五条橋を振り返る 鬼殺し、清州桜酒造 13:30 巡礼橋 県道127号線

すぐに清須城鬼殺しで有名な酒造会社がありました。10分弱で県道127号線に合流し、名鉄の線路を潜ります。すると巡礼橋東の交差点がありました。
後で調べてみましたが、巡礼橋の謂れは良く解りません。

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巡礼橋東の信号からすぐに左折してすぐまた右折と言うのが美濃路です。

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13:35 美濃路のローソク屋さん 正覚寺 13:43 名鉄津島線

右折すると一寸街道らしい雰囲気があり、ローソク屋さんと曲げわっぱ屋さんが並んでいました。この辺りは名鉄須ヶ口駅の近くで、津島線の踏切を渡ります。
その手前に正覚寺というお寺が有り、その辺りにも一里塚跡が有るはずでしたが解りませんでした。

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13:55 新川橋袂 新川橋 瑞正寺の宝塔

踏切から10分、左手に須佐之男神社があります。その先の新川橋袂は小公園になっていて、新川開削の由来や津島街道の石標などがあります。
渡ってすぐの瑞正寺の境内には日本一の宝塔というのがあります。刑場が近くにあり、処刑された罪人を供養したものだそうです。

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屋根神様 14:15--14:22 問屋記念館 14:30 琵琶島橋

新川橋から15分の所に問屋記念館というのがありました。典型的な問屋建築というので少し見学しました。
琵琶島橋で庄内川を渡ると名古屋市に入ります。

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黒體龍王大神 清音寺 14:38 白山神社

渡ってすぐ左折して堤防を下ると、黒體龍王大神社というのがあり、見に行くとご神体を新しく作ったので写真を写しても良いと書かれていました。
近くの清音寺は平清盛頃の逸話により、枇杷島の地名の由来となったお寺だそうです。

清音寺から1キロほどにある白山神社は、桶狭間の合戦の折、信長が戦勝祈願したと伝えられている。

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15:00 押切商店街 15:12 堀川の手前 美濃路石碑で右折 四間道

押切商店街も暖簾や幟に美濃路を入れて、街道筋を意識しています。
堀川の手前で右折、堀川に沿って南下します。四間道は一寸風情がありますね。

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15:28 円頓寺商店街 屋根神様 桜通り

円頓寺商店街で左折して五条橋を渡って本町通まで行くのが美濃路とも言うようですね。
私は一応桜通りを越えて一筋目を左折、天満橋を渡って札の辻までを美濃路とすることにしました。

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15:40 焼き鳥美濃路 伝馬橋 15:55 名古屋宿 札の辻

岐阜街道006本町通りの札の辻説明
岐阜街道555

錦通りの地下街
岐阜街道272


岐阜街道007桜通りの角には「焼き鳥美濃路」もありますしねえ(笑)。
ここで一杯と思いましたが、お昼が食べ過ぎて、空腹感がありません。

1610年、徳川家康の命により、清州の街が名古屋に数年で移された。
世にこれを「清州越へ」というそうです。

1611年には福島正則により堀川が開削され、この伝馬橋が作られた。
美濃路が通る伝馬橋は名古屋を代表する橋として賑わったそうです。

当時は橋の西側は清州から越してきた材木商で賑わっていたそうです。

札の辻は伝馬会所や飛脚会所があり、物流や情報の拠点でした。
名古屋を通る街道の起点でもありました。

ここから宮の渡しで東海道に合流するまでは、前に歩いているので、今日は終わりです。
地下鉄伏見駅へ行く途中の地下街は、いつの間にか立ち飲み横丁と変貌していました。

ここでも飲まずに帰りました。