自転車で熊野街道
2011年3月27日
今朝は6時過ぎに起床、少し散歩しました。YHを運営する大江寺さんは由緒あるお寺らしく、ご本尊の千手観音菩薩は国宝だそうです。でも今の世の中、維持するのが大変だそうです。
7時の朝食後出発、二見が浦に向かいました。小学校の修学旅行以来、50何年か振りに夫婦岩を見ました。
続いて内宮へお参りしました。何時来ても厳かな気分になります。
次に今日の熊野街道の起点外宮に着いたのは9時22分でした。ここには熊野街道、新宮まで166キロの新しい木の道標が作られていました。
昨日の万金丹の前を通り、筋向橋を通って宮川の堤防へ街道は続きます。橋は無くなっているので度会橋を渡って、また街道に復帰します。
尾崎愕堂記念館を見た後は田丸まで特に見るべきものはありません。強い向かい風の中、もくもくとペダルを漕ぎます。
10時頃田丸に着き、伊勢本街道と熊野街道の分岐点を見ます。本物の道標は玉城中学の校庭にあります。伊勢本街道は奈良県の初瀬を経て大阪の玉造まで続く道です。田丸城は伊勢国司北畠家の居城であったが、織田信長に滅ぼされ、次男の信雄が入った。近年は紀州家の支城であった。少し見学して出発しました。10時10分頃です。
最初県道13号線を走り、野篠の接待地蔵や柿畑を見ながら走ります。原の巡礼導き地蔵で街道は分かれます。
再度県道を渡って1本南の道で西に野中の永昌寺を目指します。永昌寺には大名行列を土下座したまま居眠りして首を打たれた旅人を祀った居眠り地蔵なんかがあります。
ここ野中は昔の面影残す町並みですが、ここで和歌山別街道と熊野街道が分かれます.。和歌山別街道はさらに西へ進んで丹生大師を経て、旧飯南町の粥見で和歌山街道に合流します。
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左 西国道 右 吉野・高野道 |
県道から分かれる |
女鬼峠 登り口 |
さて熊野街道は南下して伊勢自動車道の下を潜って女鬼峠へ登って行きます。当初、女鬼峠は自転車では無理なので、県道でトンネルを潜って迂回するつもりでいました。しかし以前の記憶を辿ると、そう険しい峠道ではなかったので自転車を押して峠越えすることにしました。
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轍跡 |
女鬼峠 切通し |
女鬼峠で今回初めての記念撮影 |
やはり轍の跡なんか見ながら15分で峠でした。切通しの荒れた峠ですが、新しく展望台が出来ていたので登って見ました。先日登ったばかりの獅子ヶ岳や隣の七洞岳などが見えて絶景でした。
観音像の祀られた小広場からは道も良く、自転車に乗りながら、ゆっくりと降りました。
相鹿瀬に降ってきたのが11時42分、更に南下すると宮川の川面が見えてきます。
次の目標は柳原観音です。ここの手引き観世音菩薩は、これから熊野詣でする旅人がお参りすると、尾鷲の八鬼山の山賊に襲われないよう手引きして頂けたそうです。
ここから県道を西へ3キロほど走ると、国道42号線の新田の交差点に出ます。信号を直進してJRの踏み切りを渡ると、岡嶋屋さんという当時からの旅館があります。前回はそこへ泊まったのですが、もう歳だから辞めるとか言われていたが、今も営業中かな。
それはともかく今回はここで打ち切りです。まだ時間は12時過ぎで早いのですが、JRが5時頃まで無いのです。有るのは2時台の特急1本だけです。陸の孤島ですね。
それでここから12キロほど引き返した、参宮線の多気駅へ向かうことにしました。多気まで行けば毎時普通と快速三重が1本づつあります。
途中でまた中華料理店に入ってラーメンを食べ、多気駅到着は13時40分、今日の走行キロは54キロでした。
快速三重の車内は広く、輪行も楽々で、一杯飲みながらのんびり帰りました。
次回は栃原の新田から走りましょう。