美濃街道
一般的に美濃街道と言うと、熱田の宮宿から中山道の垂井宿を結ぶ道を言うらしい。
だが、桑名の七里の渡し付近で東海道と分かれ長良川沿いを美濃に向かう道もあった。
桑名では多度街道と呼ぶこともある。
2009年10月3日(土)
今日は予定していた御池岳登山を、昨日の雨で道が荒れているだろうと中止したので、時間が余った。
天気も午後から回復したので、地元に住んでいながら歩いたことの無い美濃街道の三重県部分だけ、七里の渡し付近から多度までの12〜13キロを歩いてみることにした。
桑名駅に降りたのが12時50分、早速八間通りで七里の渡しに向かう。
ここは以前、日本で一番短い路面電車が走っていたそうです。
七里の渡しや桑名城があった、嘗ての桑名の中心地と明治にできた鉄道の桑名駅を結んでいたのでしょう。
途中、海蔵寺の薩摩義士の墓にお参りする。写真右上。
嘗ての中心地九華公園付近も今は寂れている。だけど料亭や花街の雰囲気は、ここに残っている。
うどんで有名な歌行灯本店の横が今日のスタートです。
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七里の渡しからの東海道、ここで分岐 |
三崎の見附跡付近の堀跡 |
御台所祭りで賑わう。 |
三崎通りを少し歩くと右手に三崎の見附跡があり外堀が水を湛えている。
左手奥、先ほど歩いた八間通りの向こうは寺町通りですが、今日は桑名の「御台所祭り」で賑わっていた。
更に歩くと左手に北桑名神社がある。持統天皇の旧跡の石碑がある。謂れは知らない。
すぐ近くに常夜灯と道標がある。「右みの多度みち」と刻まれ「左すてん志ようみち」と刻まれている。すてん志ようとは「ステーション」のことだそうで、明治以降に建てられたか新たに刻まれたようです。
右に行くとすぐ国道1号線と合流し、ここには昭和7年に建てられた「参宮道」の大きな石碑があります。
国道を700m歩くと、国道は右に曲がり揖斐川・長良川を渡って長島に向かっていきます。街道はここで国道と別れて直進します。
左手に西浄寺があり、一寸寄ってみました。六体のお地蔵さんがありました。すぐ斜め左に入るのが街道で大山田川は歩行者用の橋で渡ります。上之輪神明社を右手に見ながら歩くと、先の車道にまた戻ります。
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西浄寺の石仏 |
上之輪神明社 城跡説もある |
右近鉄が揖斐川を渡っていく |
近鉄とJRの線路を潜り、右手に揖斐川にかかる鉄橋を見ながらどんどん歩くと、国道258号線(大桑国道)に突き当たります。正面は桑名東インターチェンジですが、右手の道が街道のようです。
しばらく歩いて町並みに入り、左手奥に南楽寺見ながら流石川に出ます。橋の右手に「角の地蔵さん」があります。
街道は橋を渡らず左折して、風情のある川沿いを歩きます。下深谷駅付近で養老鉄道に近づきますが、踏み切りの手前を線路に沿って右にカーブして行くのが街道です。
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角の地蔵さん |
流石川のほとりを行く |
小学校も過ぎて |
左手に深谷小学校があり、今日は運動会でした。法光寺を過ぎ三砂川を渡ると又地蔵堂があった。この街道筋結構地蔵堂が多い。
左手の線路の向こうに常夜灯があり、その奥に石段がある。「森大明神」というらしい。その奥、山上には堺城跡があるという。少し先に立派なお堂と鐘楼が見える。明光寺というそうです。この辺までは旧桑名市の上深谷でしょうか。
遠くに多度山が見えてくる街道を歩いて、下野代駅が近づく頃、地蔵堂の横に道があった。入って見ると線路の向こうに、大淀の松跡という石碑と井戸、石仏があった。
道路脇に自販機コーナーがあり「110円喫茶」と書いてあった(笑)。
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110円喫茶 |
徳蓮寺の参道、石段はこの奥 |
野志里神社 |
左奥に長い石段が見えた。徳蓮寺の参道のようですが、石段だけ見て参詣は諦めた(汗)。少し歩くと両側に森が見えた。野志里神社です。昔は境内を右に迂回していた街道が、何時からか境内を突き抜けています。
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肱江川 鯰が名物か |
堤防からまっすぐ下に下りる |
川沿いの細い道と多度山 |
肱江川の堤防に登ると多度山脈が大きく見え、多度神社参道の大鳥居も見えます。渡ってその鳥居方面に向かいますが、川沿いの細い道が街道だそうです。途中、左手に船着神社という謂れありそうな神社を見ながら、大鳥居付近で天王平跨道橋を潜ります。
そのまま道は右にカーブしながら多度の戸津という集落に入って行きます。
左手高台に多度駅があります。今日は多度も香取神社かなにかのお祭りのようでした。
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お祭りみたいだった |
多度駅付近の地蔵堂 立派 |
多度駅 |
多度駅到着は15時50分、桑名駅を出て丁度3時間、休み無く歩いたので、いい運動でした。