佐屋路(津島〜熱田の宮)
2007年9月8日
今日は前回の続き、埋田の追分から宮の渡しまで歩く予定です。日差しも強そうなので愛用の笠を被ることにしました。
8時3分に津島駅に到着。津島市民病院の北側にある埋田の追分に向かいます。ここは名古屋から来ると、直進すれば津島神社へ、左折すれば佐屋の渡し場への分かれ道でした。
8時15分頃到着、写真など撮って20分に県道68号線に出ました。県道を右折、日光橋に向かいます。
途中左側に諸鍬神社という石柱があります。日光川に近づくと、日光橋架け替え工事中で通行止めの看板が出ていました。
一寸困ったなと思いましたが、左を直進して土手の手前の秋葉神社を見に行きました。
工事の下を潜って下流側に出ると、バイク程度は渡れる仮橋が架けてあり安心しました。8時45分、日光橋を渡ります。渡って振り返ると多度の山々が見えていました。
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県道と別れて左方向へ |
道端の溝にはカメが多い |
穂歳神社近くの街道 |
少し歩くと県道は少し南に振れますが、街道は直進して別れます。少し街道の面影が出てくると左手に穂歳神社というのがあります。
更に直進すると、神守宿の小さな案内があります。街道はここを右折しますが、奥に憶感神社というのがあり見に行きました。憶感神社は神守宿の中心だったそうです。近くに六角堂の地蔵さんや役ノ行者も祀ってありました。
見ていると近所の人が寄ってきて、時々東海道を歩く人が訪れると言っていました。佐屋路を紹介しているガイドブックは少ないと思うのですが、やはり調べて来るのですね。
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神守宿 前方から来て左に曲がった |
神守一里塚跡 |
七宝町へ入って行く |
街道に戻り南進すると別れた県道に出ます。左折して県道を歩くと西尾張中央道の神守交差点ですが、手前左に神守一里塚跡があります。9時20分の到着で10分程休憩しました。
交差点を渡って少し歩くと、津島市から七宝町に入ります。七宝町は七宝焼きや七宝味噌で有名です。下田橋の手前に義経の引っ掛け松というのが有ったらしいのですが見当たりませんでした。9時43分に下田橋を渡り、安松の交差点を過ぎ、役場北の交差点に七宝焼き原産地の石柱がありました。窯元でも有るかと思って、北側の細道に入ったりしましたが有りませんでした。
藤島神社の鳥居で県道に戻り、秋竹橋を渡ります。10時9分です。渡って八剣社を過ぎると県道は左右に分かれますが、右の道に入ります。入るとすぐ「狐海道東」という面白い名の信号がありますが、街道はこれを右折して県道と別れます。
それを間違えて直進して引き返したりして一寸時間をロスしました。信号右折して10分も歩くと、右手に七所神社があります。左手に一里塚跡があるはずですが見当たりませんでした。街道から少し引っ込んでいるのかもしれません。10時25分に神社に入り、10分程休憩しました。この辺りは大治町かな。
神社を出て東名阪道路の下を潜る手前右手に、「横井正一記念館」がありました。「はずかしながら」とフィリピンから帰国された元日本兵の横井正一さんです。
東名阪の下を潜り、少し歩くと左手に稲荷社があり、この辺りも街道の面影があります。少し歩いて右折するのですが、左手に佐屋街道高札場跡の案内がありました。お地蔵さんの奥に自生院というお寺の案内があり見にいきました。新川の堤防の近くですが、背後にはもう高層マンションが林立していました。
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東名阪の下 稲葉交差点 |
稲荷社 |
大治町の右折地点 |
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旧佐屋街道 高札場跡 |
地蔵堂 |
自生院 |
街道に戻り、玉泉寺を右に見て、旧佐屋街道の案内を見て歩くと、今度は十二所神社というのが有りました。砂子橋で新川を渡ったのが11時5分、浅間神社を左に見ながら名古屋高速の下を潜って万場町に入っていきます。
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玉泉寺 |
旧佐屋街道 |
十二所神社 |
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砂子橋 |
浅間神社 |
光圀寺 |
この辺も一寸風情があります。高架下の道路はよく車で走るのですが、一本横道に入るとこんなに風情があるのですね。光国寺を右に見て左折すると国玉神社・覚王院と続きます。庄内川の堤防にぶつかり階段を登ります。ここに昔は万場の渡しが有ったらしい。現在は無いので上流の万場大橋を渡ることにします。
堤防の左下に秋葉神社があり、万場宿の説明がありました。説明では、川向こうの岩塚宿と月の前半後半に分けて人馬継立の役務を行ったとあります。明冶5年に伝馬所の制度は廃止された。
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万場宿跡と秋葉神社 |
子供を抱いた地蔵さん |
岩塚宿場跡の案内 |
万場大橋を渡って岩塚宿に入ったのが11時40分、そろそろお腹も空いてきました。どこか良い食堂は無いかと探しながら街道を歩きます。こう暑いと、あっさり冷たいそーめんでも食べたい気分ですが、栄養補給も重要だし、なんて思いながら歩いていると周囲に目がいきません(笑)。
大橋の南、すぐに子供を抱いた珍しい地蔵さんがありました。年代は新しいのかな。宿場町の風情が残る街道を名古屋に向かいます。
三菱重工の前を通り、豊国通りの信号を渡ります。左奥にまた八剣社があり、とうとう近鉄の烏森駅にでました。12時15分です。いよいよ、どこか適当な店を探さないとと歩いていると、右手に明治天皇の休憩された碑がありました。そしてすぐ近くに中華料理の店があり入ることにしました。
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冷たいビールがたまらない |
佐屋街道の埋め込み |
長良橋の上から |
冷やし中華とビールを注文、12時25分頃から1時まで休憩しました。この時の冷たいビールの味は何物にも代え難いですね。冷やし中華650円も美味かったし、ビール大瓶530円もリーズナブルですね。
元気を回復して街道に出ると、道路に佐屋街道のレリーフがありました。中川運河の長良橋まで10分、橋の上からは名古屋駅の高層ビル群が見えています。八幡本通を歩いていると、また明治天皇の碑がありました。休み過ぎですね(笑)。
五女子を通り、新幹線のガードを潜り、堀川の尾頭橋を渡って直進して伏見通りにぶつかったのが1時43分です。街道はここを右折して熱田神宮に向かいます。ここには石標があり「左さや・つしま」とか刻まれています。
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伏見通りにぶつかる |
右宮渡し 左なごや |
左さや |
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西高倉のお寺 真宗or禅宗? |
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断夫山古墳 |
伏見通りを南下、西高倉の付近のお寺で一休み。断夫山古墳を一寸見て神宮に差し掛かる頃には大分疲れが溜まっています。源頼朝出生地の看板を見てびっくり。へえーこんな所で頼朝は生まれたのか。
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神宮西交差点 |
源頼朝生誕の地 |
神宮南の歩道橋から |
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ほうろく地蔵 |
石標の案内 |
伝馬町の旧東海道 |
神宮南の交差点越えて右方向に歩くと堀川沿いに七里の渡し公園があり、今日の目的は達しますが、その前に歩道橋で伝馬町に渡り旧東海道を少し歩いてみました。伏見通りから新堀川までの7〜800mの間、旧東海道の看板があり、道標や地蔵さん、裁断橋などがあります。歩いていると年配の男性が話しかけてきました。
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旧東海道 |
裁断橋跡 |
宮地区案内 |
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新堀川に面した神明社 |
七里の渡し |
渡し付近の丹羽家 |
仕事の合間に少しでも東海道を歩いているのだとか。聞いてみたら私と同じ桑名の人だそうです。奇遇ですね。
新堀川に面した神明社を見て引き返したのは3時頃です。再度神宮南の交差点から七里の渡しに着いたのは3時20分でした。
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熱田神宮の境内を通って |
40年前に通った神宮小路 |
JR東海道線の熱田駅 |