注連縄(しめなわ)

笑門


左の写真をご覧下さい。「蘇民将来子孫之家門」と書かれています。これが正式らしいです。

昔、スサノオノ尊が旅の途中、日が暮れたので有る村に立ち寄りました。裕福な兄の「巨旦将来」は宿を断りました。だけど、貧乏な弟の「蘇民将来」は喜んで宿を貸しました。

旅の帰りに再び立ち寄ったスサノオノ尊は、「茅の輪」と「蘇民将来之家」であると玄関に書いておくことを蘇民に言いつけて去りました。

その後、疫病と災厄が村を襲い、巨旦一家は滅びてしまいましたが、玄関のお守りのお陰で蘇民一家はますます栄えました。

それ以降、この地の人々は、玄関に蘇民の子孫であることを示すため、一年中注連縄を懸け続けて居るのです。以上が、左の注連縄の由来なのです。

それでは右の「笑門」は?
蘇民将来之家門は長いので、略して「将門」と書いていました。だけど、これでは「平将門」と間違えられるということから、「将門」を「笑門」と書き換えたというのですが。

笑う門には福来るかと思ったのですが、違うのですねぇ(笑)。