東海道 水口宿〜草津宿

2008年6月1日(日)

入梅前の貴重な晴天ということで、東海道の残り、水口宿〜草津宿を歩いてきました。
関西線、草津線、近江鉄道と乗り継いで9時19分に水口石橋駅に到着です。
近江鉄道は湖東地区に線路を持つ貴重な存在ですね。今後中山道の続きを歩くとき、何度かお世話になりそうです。車内に沿線の写真ギャラリーがありました。

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近江鉄道の車内ギャラリー 水口宿 お城の町の街灯

水口石橋駅は水口のほぼ中央にある無人駅で、すぐ近くを旧東海道が通っています。9時20分出発です。街道を西へ10分も歩くと左手に藤栄神社のある交差点にでます。左折して水口城址を見に行きました。堀と城門の一部が残っていました。

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水口城跡 街道の酒蔵、 お子さんの手作りかな 北脇縄手 縄手とは田んぼ道の意

10時40分、街道に戻り西へ向かいます。この辺り、街道は真っ直ぐ西へ伸びていて、はるか遠くまで見通すことが出来ます。「北脇縄手」と呼ばれたと説明がありました。

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街道筋の地蔵さん ここで横田川方面へ

国道1号線を右に見ながら淡々と1時間ほど歩くと横田川(野洲川)に突き当たります。往時は横田の渡しがあった所で、現在は大きな万人講常夜灯と小さな公園になっています。10分ほど休憩して10時40分に出発しました。

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一里塚のレプリカ 横田の渡し公園 渡しの有った付近の横田川

現在は少し離れた国道1号線の横田橋を渡ります。渡ってすぐ国道の下を潜って旧街道にでると、目の前がJR三雲駅です。11時頃です。
この辺で国道沿いのレストランで昼食と思いましたが、少し時間が早いので、もう少し歩いてからと止めましたが失敗でした。これ以降草津まで、街道沿いに適当な食堂はありませんでした。

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陸橋の上から国道の横田橋 三雲方面 JR三雲駅 田川ふどう道とかが分かれる

国道からも離れ、街道の面影もあり、車の通行は思ったより多いものの、気持ちよい街道歩きを30分すると大沙川のトンネルです。いわゆる天井川で川底の下に道があります。堤防の上には弘法杉という巨木があり、左折すると三雲城址や八畳岩があると案内されています。三雲城跡までは1.7キロとあります。

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JR草津線の踏切を渡ると 大沙川のトンネル 八畳岩かな

先を急ぐのでここはパス。更に20分歩くと又、由良谷川のトンネルです。こんなに天井川があるのも珍しいので、本当に川があるかどうか見に行きました(笑)。上に登ると確かに川ですが、水は流れていませんでした。雨が降れば流れるかもしれません。

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吉永付近の街道 由緒ありげな灯台3基 夏見の立場跡
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由良谷川のトンネル トンネルの上から街道を振り返る ここにも造り酒屋さんが

更に20分歩くと左手に「ウツクシマツ自生地」の案内がありました。一寸心が動きましたが、0.9キロとあったので止めました。今日は行程が厳しいのです。12時10分です。近くに吉姫神社という立派な神社があり一寸お参りしました。

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柑子袋(こうじぶくろ)付近の街道 吉姫神社 石部宿高札場跡

お腹を空かして食堂を探しながら歩いていますが適当な食堂がありません。石部宿に入り、高札場が12時45分。すぐ近くに宿の駅というのがありました。田楽茶屋というのがあり食事処の旗があり、やれやれと思いましたが、老人会の団体みたいな人達で満員でした。

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宿の駅 せっかく茶店があったのに 一里塚跡

そのうちJR石部駅が見えたので見に行きました。駅前広場にコミュニティーセンターがあり売店がありました。牛乳とパンを買って、ようやく昼食にありつけました。13時20分の出発です。

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この辺りに本陣があったのか 石部駅のコミュニティ館 石部駅前公園

すぐにポケットパークがあり松並木がありました。説明では、ここは西縄手と呼び、大名行列は石部宿に入る前にここで隊列を整えたとありました。すこし歩いて「GOSYU」という工場の角を直角に左折するのが街道だそうです。不自然な曲がり方ですが、野洲川の氾濫が原因とか。

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田舎道を野鳥の鳴き声に耳を傾けながら歩くと名神高速道路にぶつかります。ここは右下に降り名神の下を潜ります。潜ってすぐ右折し、名神に沿って歩きます。

前方に近江富士(三上山)が見えてきます。写真左。

俵藤太秀郷のムカデ退治の伝説があります。JR草津線の踏み切りの手前を左折するのが街道です。

伊勢落という集落に入って行きます。この辺り、民家の壁に江戸時代の屋号が掲げられています。

六地蔵に入ると左手に豪壮な旧家の建物があります。「和中散」という薬屋さんの建物ですが、現在は作られていません。見物もできるようですが、外からだけの見物にしました。

14時15分です。

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六地蔵の集落を過ぎると手原に入ります。JR手原駅前の通過が14時40分。1号線の近くで街道はJRから離れて左へ南下します。左に手作り故郷と書かれた土手が有ったので登って見ました。大きな溜池があり近江富士や栗東市街の景色が広がりました。

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六地蔵の一里塚跡? 手原駅前の稲荷さん JR手原駅 一寸モダン

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上まがり地区のため池 目川池の下

金藤川(こんぜ)の堤防に沿って目川地区に入ります。ここは田楽の発祥の地だそうで、いろんな謂れが書かれた立て札があります。目川の立場跡は見当たりませんでした。草津宿まで半里という案内もありました。15時15分頃の通過です。

目川を過ぎ、道が直角に曲がって、旧草津川の堤防に沿って進むと、草津宿はもうすぐです。草津市に入り、国道1号線の手前に堤防へ登って行く道が左に分かれます。街道かどうか知りませんが、この道をとると草津宿へは良いようです。

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草津宿へ半里 田楽発祥の地 田楽茶屋は数軒あった模様


私は直進したので1号線を陸橋で渡る羽目になりました。この旧草津川も有名な天井川で、国道1号線も下を潜っています。現在は新しく草津川が作られ水は流れていません。

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草津川、国道1号線トンネル 右草津川、左東海道 草津追分、中仙道方面

石部宿601号線を越えた後、少し歩いて引き返すように土手に上がり、先ほどの道と合流して橋を渡り、旧草津川の左岸の土手下に下りて行きます。

降りて少し歩くと、そこはもう東海道と中山道の追分です。15時45分の到着でした。

JR草津駅は右折して中山道に入り旧草津川の下を潜ってすぐです。

潜った商店街の中を右折した門前に、ここにも中山道と東海道の追分の碑がありますが、道の自然な流れからいくと、こちらの追分がうなずけます。旧草津川の橋を渡るのがいかにも不自然なので。

ともかく今日は天井川の下を3回も潜ったおかしな日でした。

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