川端街道後半
大きな浅里の集落を過ぎると昼嶋が川中に見えます。付近の民家には白いツバキのような花が咲いてきれいです。小さな滝をみながら歩いていくと子安地蔵さんがありました。やはり民話が残っています。
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昼嶋の向うは新宮方面へ |
白いツバキ? |
小さくても水量豊富 |
そろそろ空腹で昼食をと思いますが適当な場所がありません。道は真っ直ぐに淡々と林の中を伸びています。林を抜けると対岸の国道からもよく見える石切り場に出ました。また林間に入ると左手に小さな神社がありました。残念ながら雨露をしのげるような社殿はありません。
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子安地蔵 11時30分 |
淡々と道は続く |
石切り場 11時50分 |
諦めて新宮まで昼飯抜きで歩くかと覚悟したとき、林道入口の反対側にこれも小さな祠がありました。不動明王の祠です。お参りすると頭上の木に遮られて少し雨足が弱い。祠の前の石段をお借りして昼食にしました。12時半です。
石段に座って笠をさし、民宿で作ってもらったお握りを食べました。エビフライの細巻きがあったりしてなかなかのお弁当です。熱いお茶も飲んですっかり元気です。20分ほどで出発です。
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小さな神社、雨宿りは不可 |
昼食の不動明王祠 12時30分〜50分 |
塔のような建物が 13時05分 |
道端の石仏を見、小さな集落を見ながら歩いていると、左手奥に塔のような建物がありました。道沿いの案内には荘司家の聖石とあったので、この北桧杖の庄屋である荘司家の邸宅でしょうか。
案内では、神倉神社の聖はお灯祭りの後、この聖石の前で荘司家の当主が任命したとあります。明治2年が最後の儀式だったそうです。
道端の石仏を見ながら歩いていると国と県の河川管理の境界線の案内がありました。ここから下流は国土交通省の管轄だそうです。ふと対岸を見やると道がありません。歩く方向も北向きに変わっています。いよいよ新宮に近寄ったなと思うころ、乙基の渡しの案内がありました。正面の畳岩は無理なので、きっとその下流あたりからだったおでしょう。
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乙基の渡しの案内 13時20分 |
御舟島付近 新宮もちらり |
牛鼻神社 14時 |
老人ホームを過ぎ御舟島の辺りから熊野大橋が見えてきます。一寸峠みたいなのを越えると相野口の水門です。手前に牛鼻神社がありお参りしました。紀州地方最古の創建というのは信じても、5000年前となると一寸首をひねりますね。いずれにしても牛をお祭りする古い神社です。
水門を渡り、神倉山を見ながら生川交番に着き、熊野大橋を渡って速玉神社前の交差点に付いたのは2時25分でした。速玉神社は先月もしっかりお参りしたし雨も降っているので今回は中之町商店街のアーケードを通って直接新宮駅に向かいました。新宮駅到着は2時40分でした。
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中之町商店街は閑散としていた |
ジャコおろしが大きくて感激 |
トンカツはいつも元気の基 |
5時28分の南紀8号まで2時間半以上あります。臨時列車が2時47分にありましたが見送りました。駅の構内で雨具を脱ぎ、ゆっくり荷物の整理をして駅前商店街を散策しました。まだ時間が早いので居酒屋は閉まっています。オークワの傍でうどん屋さんに入りビールと焼酎を飲みました。
ゆっくりして外に出ると新宮食堂というのがありトンカツとビールを頼みました(笑)。店のご主人と話したりしていると、あっというまに5時になり慌てて駅に帰りました。帰りの車中はほとんど寝ていたので、昨日買った熊野水軍は1日背負って歩いただけでした。
天気は悪かったけど懸案の万歳峠越えと川端街道を歩いたので充実した2日間でした。