シルクロードの想い出
学生時代からの35年来の夢をようやくかなえるシルクロードの旅に1997年8月出かけました。
名古屋−西安−ウルムチ−トルファン−敦煌−西安−名古屋の8日間の旅です。
西安では秦の始皇帝の墓、兵馬よう坑を見学し、ウルムチ・トルファンでは旧ソ連との国境近くまで行き、
天山山脈に涙して、三蔵法師の歴史をたどりました。
敦煌では言わずと知れた莫高窟を訪れ、鳴砂山で砂漠をラクダで旅します。
だけど、何と言っても忘れられないのはゴビ砂漠です。風化して砂漠化寸前の山々、はてしなき地平線、列車で一晩続く荒涼たる砂漠、これは日本では到底見ることができない光景です。
今回、その想い出を少しでも残すためHPにアップすることにしました。
上の地図で西安を出て蘭州−敦煌−ハミへ至る道は河西回廊と言われシルクロードのメインルートです。万里の長城も敦煌のあたりまでで、その近くの陽関や玉門関は西の守りの最前線でした。ここを出ると本当に砂漠と異境の世界だったようです。
最初に訪れた西安では、有名な兵馬俑坑を見学します。秦の始皇帝の墓を守る8000余の等身大の土の人形が発掘され、今も発掘が進んでいます。建物の中は撮影禁止ですが、こっそり撮影しました(^^;)
他に始皇帝と楊貴妃の恋の舞台となった華清池や三蔵法師が天竺から持ち帰った教典を写経したという大雁塔などを見学した。
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兵馬俑坑近くの屋台で ラーメンを打っていた。 |
慈恩寺の大雁塔は後に立て替え られたもの |
私たちは西安から飛行機で新彊省ウイグル自治区のウルムチへ飛んだ。
人口150万人の大都会ウルムチだが、結局は砂漠の中のオアシスにすぎない。街のすぐそばまで砂漠がせまっている。
西域最大の都市で、漢族の他、ウイグル、カザフ、キルギスなど多民族が生活する。
他にはウイグルの民族博物館やバザールが見所でしょうか。
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手織の絨毯、観光用 |
絨毯を売りつける |
絨毯工場のトイレ |
この地方はカーペットの生産地。
ホテルのトイレは良いけど公衆トイレや工場のトイレは、写真のように大きい方がオープンなのでなんともやりにくい。ワンゲル時代にキジを撃っていることを思えば同じなんだけど。
写真のトイレは織物工場のトイレ。清潔だけど・・・・・。
バザールではシシカバブや土産物日用品なんでも売っている。
ウルムチからトルファンへ向かう途中は風の道と言われる。荒涼たる砂漠の中にものすごい風力発電の風車が立ち並んでいた。
年間15ミリしか雨の降らないトルファンは海抜が40mだそうで、近くの盆地にはマイナス139mの地点もあるそうです。
途中の山は風化が進み、何百年か後には砂漠になるなと思わせる風景だった。
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中国は風力発電の先進国? |
果てしなき地平線 |
天山山脈かな |
トルファン近郊には、この他にも火炎山、ベゼグリフ千仏洞、アスターナ古墳群、交河故城など見所はたくさんですが、資料が残っていないので残念です。
トルファンから敦煌へは列車の旅になりました。柳園まで13時間の旅です。この間は砂漠です。ごろごろした石の砂漠で緑はありません。
柳園から敦煌は100キロあまり、バスです。この道も砂漠です。途中、有名な陽関へ回り道しました。
い城の朝雨は軽塵を潤し、客舎清々、柳色新たなり
君に勧む、更に尽くせ一杯の酒
西の方陽関を出ずれば故人なからん。
敦煌に到着し一休みの後鳴砂山に出かけました。ラクダに乗ったり、砂丘に登ったり楽しい時間を過ごしました。
夜は9時近くまで明るいのです。日が暮れると「月の砂漠を〜」となります(笑)。
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鳴砂山の入り口の歓迎 |
こいつに乗るのです。 |
同行の娘さんと。 |
鳴砂山の砂丘 |
翌日は1日敦煌見物です。文化遺産としては飛び抜けて優れているのでしょう。井上靖の小説敦煌を呼んでいると更に興味深いです。
ただ入場料は高いし、ハンドバックも持って入れないという厳重さです。
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千仏洞です。ここは見られない。 |
この中に巨大な像がある。 |
敦煌から西安へは飛行機でした。でも途中で燃料不足とかで蘭州に降りたのにはびっくりしました。
最後の夜は長安の夕べで楽しみました。
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印鑑を作ってくれます。 |
書道のお手本も作ります。 |
長安の宴です。 |
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