ウズベキスタン
2003年8月12日〜16日 メンバー大阪のOさんと二人。
風の旅行社・アシアナ航空利用。
なぜウズベキスタンなのか
ウズベキスタンは周りを他国に囲まれ海はありません。時計廻りにカザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、トルクメニスタンです。この中で私が知っていたのはアフガニスタン位です(^_^;。でもサマルカンドという地名は知っていました。私がシルクロードに興味を持った40年前は、こんな国は無かったのです。1991年ですか、ソ連邦が崩壊して、いくつかの国が独立したのは知っていましたが、なんという国がどこにあるかまでは知りませんでした。
でも、サマルカンドは知っていたのです。シルクロードの中では有名な街で、いつかは行ってみたいと思っていました。それと中央アジアという言葉の響きにも憧れていました。「中央アジアの草原にて」というのはロシアの作曲家の音楽ですよね。中央アジアの草原で昼寝をしたり、馬に乗ったりするのは誰でも憧れるのではないでしょうか。
だから、40年来の山中間のOさんから誘われて、旅行社のホームページでシルクロードの旅を検索したとき、真っ先に目に入ったのがサマルカンドという地名でした。それが結局ウズベキスタンだったわけです。人口は2500万人、回教徒の国です。ウズベク人70%、タジク人、ロシア人など多民族国家です。朝鮮人が5%居るのが驚きです。共通語はロシア語とウズベク語です。
タシケント
ウズベキスタンの首都です。120もの多民族が住む街です。日本からは関西空港から週2便ウズベキスタン航空が飛んでいます。私たちはソウル経由のアシアナ航空で行きました。スターアライアンスのメンバーなのでANAのマイルがつきます(笑)。
8月12日午後1時10分に関空を出て、途中ソウルで2時間半待って午後9時10分タシケント着です。日本時間なら25時10分です。上空から見たタシケントは高層建築の無い平坦な感じでした。韓国人が大部分の乗客ですが、彼らの荷物はすごいです。後になると何時出られるかわかりません(笑)。パスポートコントロールの場所も狭く、入国に1時間半もかかりました(×_×;)。ビザは必要ですがバウチャーは昨年ぐらいから不要になったようです。
|
|
|
アシアナの機内食 ビビンパが旨い |
ゴビ砂漠の上かな |
残雪の山も見える |
ロシア人の日本語ガイドとウズベク人の運転手が待っていました。街の中心にあるポイタット(都)ホテルまで15分以内です。パスポートはフロントに預けて、冷蔵庫のビールを飲んですぐ寝ました。だって午前4時頃の話ですものね。
ホテルは清潔、シャワーやトイレもきれいです。スリッパや歯ブラシ・パジャマはありません。石鹸はあります。朝食はバイキングでいいのですが、ライスやヌードルつまり中国料理は無いのです。ここはヨーロッパ圏なのですね。街は韓国の大宇の車でいっぱいです。2000年の歴史を誇る街です。
|
|
|
ポイタット(都)ホテル |
部屋のトイレ 清潔です |
フロントのロシア人女性 |
サマルカンド へ
ホテルを出る時は忘れずに預けたパスポートを受け取りましょう。いつ警官に尋問されるかもしれません。また、ホテルの宿泊証明書を確認してください。無いと出国時に罰金を取られるそうです。
通貨はスムです。1スムが0.13円ぐらいです。ドルからの交換です。ドルはそのまま使える店も多いですが、使えない店も多いのでホテルで少額20〜30ドル交換していきます。少額紙幣しかないので、500スムで貰っても30ドルだと60枚、200スムだと150枚なので、とても財布には入りません。鞄を持って行ってください(笑)。
|
|
|
紙幣です。1000スムは珍しい |
ビザと宿泊証明です。大切に。 |
道ばたのメロン販売。300スムかな。 |
サマルカンドまでは330キロ、車で5時間でしょう。昨年までは隣国のカザフスタンを通る近道があり270キロ4時間だったそうです。現在、両国の関係が悪く閉鎖されています。いずれにしても一般道を100キロで飛ばすわけです。飛行機もあるそうです。いくつかの州や市を通りますが、その境には必ず検問があります。麻薬とか何かを調べているみたいです。
びっくりしたのは山が無いことです。サマルカンド近くまで行くとあるのですが、それまでの4時間ほど山が見えません。見渡す限りの農地とあくまでまっすぐな道です。丁度北海道をドライブしている感じです。綿花が大部分、後は小麦・トウモロコシなんかです。それと西瓜とメロンです。道ばたで売っていますが、ひどく大きいのが一個50円以下です。
途中で「チャイハナ」という喫茶店に入るかもしれません。日陰に縁台みたいなのを置いて飲食します。トイレは行かないほうがいいです。日本の30年前と同じで、地方には下水道などありません。自然浸透式です(笑)。
隣はガイドのアレクセイです。豪華な縁台ですね。
サマルカンド観光
青の都といわれるサマルカンドは2600年の歴史だそうです。紀元前6世紀から12世紀頃まで栄え、ジンギスカンの蒙古襲来で滅ぼされ、14世紀にチムール大王によって蘇りました。現在の文化遺産はその頃のものです。
観光はイスラムのモスクや王族の墓や神学校の跡をいくつも見て回ります。そのうち何がなんだか解らなくなります(笑)。京都で神社仏閣を見てまわった外国人もこんな感じだろうなと察せられます(笑)。
|
|
|
古代博物館の壁画と案内女性 |
12世紀より前の壁画 |
15世紀の町並みみたいな廟群 |
|
|
|
レギスタン広場 |
レギスタン広場で式典のリハーサル |
典型的なモスク |
他にはバザール・博物館・天文台跡なんかでしょうか。遺跡の中の部屋は、すべて土産物屋になっています。日本では考えられませんが、人が使う方が存続にはいいと考えているようです。2000スム払って遺跡の屋上に上ることもできました。誰の収入になるのでしょう。
|
|
|
2000スム払って屋上へ |
修復されていない遺跡 |
チムール王の墓だったかな |
|
|
|
|
|
|
ホテルは民家を改築した中庭付きの建物です。タシケントのホテルより設備は劣りますが、風情があっていいです。夕食も近くの民家の中庭で食べました。なかなかの贅沢です。
|
|
|
バザールの賑わい |
娘さん |
肉 |
|
|
|
試飲セット |
変わったナンも |
フルーツは豊富 |
翌日もいくつか観光した後、ワイン工場を訪ねました。歴史の説明を受けたあと、待望の試飲です(笑)。これが想像以上のものでした。たった二人のために応接室みたいな部屋に通され、準備してあった10種類のワインとコニャックを説明を聞きながら試飲しました。すっかり酔っぱらってしまいました。ハーフボトルセットを買いましたが5000スムです。
ウズベキスタンの食事
多民族国家なので食事もいろいろですが、最も気に入ったのは「ピラフ」と「ヌードルスープ」です(笑)。現地の言葉では多分「プローフ」と「ウグラ」と言うと思います。プローフがホテルの朝食バイキングに欲しいと思うのですが、それは無理みたいです。なぜなら、プローフは主食の中でも手のこんだ料理で簡単な朝食に出すようなものではないらしいです。露天の食堂で大きな鍋で作っています。とても美味しいです。
ウグラはあっさり味のスープです。スープは重要らしく、さまざまなスープがあり、レストランに入るとまず何のスープにするか聞かれます。みな美味しいのですが、何杯食べても飽きないのがウグラです。
|
|
|
西瓜はいつも大量に |
肉も3日食べると飽きる |
最後はプローフ(笑) |
肉ですが、串焼きにします。羊・牛肉・鶏・豚です。回教徒は豚を食べないので、前の3種類です。一番高価なのは羊で牛・鶏の順みたいです。最初は美味しいのですが、毎日食べる飽きてしまいます。海が無いので魚は少ないです。あるらしいのですが食べ損ねました。
それから、西瓜か瓜(メロン?)が朝昼晩に、デザートでなく最初から出ます。それも大量に。安いのもあるでしょうが好きなのと水分の補給でしょうか。
|
|
|
サマルカンドでの朝食 |
タシケントで有名な壺スープ |
大鍋で作るピラフ |
ウオッカ
火の酒ウオッカです(笑)。ウズベキスタンは回教国ですが飲酒は自由です。ウオッカ・ビール・ワインが一般的でしょう。ある時、あまりの暑さに食堂に飛び込み、冷たいビールを頼んで一気飲みしたら、アルコール分10%でした(×_×;)。地元のビールは10%・8%・5%などいろいろあるみたいです。美味しいのは「ハイネケン」か「ロシアビール」ですが、冷蔵庫の能力のほうが優先でしょうか(笑)。
|
|
アルコール10%のビール |
左は地元ウオッカ、右はロシア産 |
だけどやっぱり大衆的な飲み物はウオッカみたいです。レストランで頼んでもボトルで300円位で、ビールと同じか、それ以下です。40度が標準みたいですが、銘柄は地酒も含めて多いみたいです。美味しいのはロシア製とか。これはガイドのアレクセイがロシア人だからかもしれない(笑)。
ウオッカの正しい飲み方
ウオッカはちびちび飲むものではなく喉越しといいます。でも、こんな強い酒を一気飲みしていたら私なんかすぐひっくり返ってしまいます。それでウズベク人ドライバーのハサンに正しい飲み方を聞いてみました。以下がその順序です。
1.まず適量をグラスに注ぐ。日本酒の杯2杯分位。
2.息を吐く。
3.一気に飲み干す。
4.つまみを食べる。
これがワンサイクルです。このあと少し間をおいて繰り返すわけです。この間ですが、人によりますが5分〜20分ぐらいとのことです。これなら私も付き合えそうですね。結婚式みたいに乾杯が多いときは、司会者がこの間を管理するそうです(笑)。
天山山脈
最後の日はタシケント市内観光でしたが、予定を変更してもらって山を見に行きました。タシケントの北東、キルギス国境の辺りは天山山脈の西の端にあたるみたいです。標高は3000〜4000m位で残雪もあります。タシケントの標高は4〜500mぐらいです。車で1時間半で国立公園に入りますが、入場料が必要でパスポートの提示を求められました。
標高1400m辺りにチョルバック貯水湖という高級リゾートがあります。更に走って1550m辺りにチムガンというスキー場があり、リフトが1800m辺りまでのびています。この辺で背後に3000m級の山脈が見えます。ここで生まれて始めて馬に乗ることになりました。中央アジアの草原に馬を走らせる?ことになったわけです。
|
|
|
有料のリゾートです。 |
天山山脈の西の端 |
中央アジアの草原で乗馬 |
よく慣れた馬で、始めは手綱を持ってもらいましたが、10分もしないうちに自分で持ちました。リフトの尾根の裏側に回り込み馬を下りました。そこから主陵にとりつこうとしましたが岩峰なので止めて、リフトの尾根に登ってみました。道なき道を登りましたが、40度以上の暑さのなか一寸無謀でした。ようやくたどりついて脱水症状です。下りはリフトを使いました(笑)。でも、始めての乗馬体験はすごく壮快でした。
降りて、ビールをラッパ飲みしましたが、みるみるうちに汗が噴き出しました。少し車で走るとベルデサイというところがあり2300m登山リフトがあります。登りたかったのですが、お客が少なくてクローズでした。
日本人墓地
天山山脈を早めに切り上げてタシケントに戻ったので市内観光をすることにしました。Oさんの発案で、日本人墓地にお参りすることにしました。丁度この日は8月15日、終戦記念日です。日本人墓地はタシケントの市内にあります。シベリアに抑留された日本人が各地の強制労働にもかりだされ現地で死亡した人も数知れずなのでしょう。タシケントのオペラハウスは日本人労働者が建てたと言っていました。
日本人墓地は大きな墓地の一画にあります。きれいに管理されています。そこに植木に水をやっている現地の人が居ました。墓地の管理をしているのでしょう。日本人だと名乗って心付けを渡しました。飲み残しですが日本から持ってきた焼酎をお供えして、Oさんが般若心経を唱えました。
アシアナ航空
夕食のとき風の旅行社のインタビューがありました。今回の旅行の感想です。その後あわただしく空港に向かいました。相変わらず韓国の人で混んでいます。タシケント空港には大した免税店はありません。私は事前情報で、キャビアをバザールで買っていたので驚きません。他にはサマルカンドで陶器の魚の置物を買いました。青の都はタイルの青です。
アシアナ航空がオーバーブッキングをしたらしく座席の調整に手間取って40分も出発が遅れました。帰りは追い風の偏西風で1時間近く早いです。すぐ寝てしまったので、仁川へ着くのは早かったです。ここでキムチや海苔を買って関西空港へ帰りました。
シルクロードトップへ