鵜沼宿〜大田宿〜御嵩宿
2009年2月7日
名鉄新鵜沼駅到着は8時35分、改札を出て先日ゴールとした赤坂地蔵の三叉路到着は8時50分だった。
団地の端の道を登っていくと石仏があった。振り返ると犬山城が朝日に輝いていた。
団地が切れる頃池が正面に現れます。中山道は池に沿って右折します。すぐ三叉路になりますが、ここも池に沿って左折していきます。
正面の丘に登れば日本ラインが見える展望台があるようですが、ここはパスです。
少し登ると右手に鵜沼の森という公園があります。公園の中に中山道の石畳の道が作られているので、そこを歩きます。滑りやすい石畳の道を少し降った所が「うとう峠」で東屋も作られています。9時18分でした。
石畳の道もここまでで、峠を過ぎると地道になります。京都の三条大橋から歩いている中山道ですが土の上を歩いたのは初めてではないでしょうか。
それも10分ほどで国道に出ます。国道の下をトンネルで潜り、木曽川側のレストランに石段で登ります。レストランは営業していないかも知れません。太田宿側から来ると国道に小さな中山道の矢印があります。
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国道の下をくぐる |
レストランは営業しているのか |
小さな案内 |
少し歩くと歩道が途切れるので、反対側に移りました。自転車の男性が、この上の城山へ行く道を知りませんかと尋ねてきた。地形図にも無いので解らない。
又少し歩くと岩屋観音さんの階段があり登ってみた。お参りして、まだ上に道があるので登って見ると日本ラインが良く見えて、しかも太田宿の方に道が降っていた。
国道に下りて来ると中山道の案内があった。国道にも大きく中山道の看板がある。
また国道を少し歩くと、今度は反対側の堤防のうえが遊歩道になっているようなので、そちらに移った。
日本ライン・ロマンチック街道と言うようで、美濃加茂市との境界まで3450m続いているらしい。そうそうここは坂祝町です。
春のような陽射しを浴びながら右に日本ライン、左に中山道の国道21号線を見ながらのんびり歩くのはいい気持ちです。振り返ると城山が見えていました。
行幸岩というのがあります。昭和天皇はじめ古来多くの貴族や天皇が木曽川の眺めを楽しんだ場所だそうで、小公園になっていました。
この辺りで国道、つまり中山道は木曽川から少し離れます。どうしようかなと思ったが、途中特に見るものもないし、すぐ太田宿の手前で合流するので、そのままロマンチック街道を歩くことにする。
この辺りで左前方に真っ白く雪を被った御嶽山が大きく見えてきます。よく見るとそのずっと右奥にも白い山脈が見えていますが多分南アルプスではないでしょうか。
中山道が合流してくる一色大橋で10時54分、ここで堤防で小休止しました。
すぐ前方に中濃大橋が見えてきます。街道はジョギングロードになっていますが、左下に神社の森が見えてきたら下に降ります。深田神社の脇を通って一旦国道に出て、すぐ又右に分かれるのが街道です。
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深田神社脇の石仏 謂れありそう |
大田代官屋敷跡地 |
播隆上人の銘号碑 |
太田小学校の校庭の向かい側に代官所跡の小さな碑がありました。少し先の妙見堂の境内に謂れありそうな石碑があったので、なにげなく撮影したが、これが槍ヶ岳開山で有名な播隆上人の銘号碑らしい。
中濃大橋を潜る手前右手に虚空蔵堂と承久の乱の古戦場跡がある。この辺が太田宿西の出口だったようです。
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虚空蔵堂と承久の乱の古戦場跡 |
街道を意識している |
本陣跡の門 |
庚申堂、立場跡と矩形に曲がり、中山道館に向かう道筋は、中山道の宿場町を意識した雰囲気が漂っている。
本陣跡の門の向かいが中山道館で往時の資料が展示され、売店と喫茶店が併設されている。
ここの説明では、木曽のかけはし、大田の渡し、碓氷峠が中山道三大難所だそうです。
隣が脇本陣で珍しく現存した建物です。この日は一部公開されていました。実に立派な建物です。
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中山道館 |
売店 |
室内展示 |
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現存する脇本陣 |
脇本陣内部 |
御代桜の酒蔵 |
近くに清酒「御代桜」の醸造所があり酒蔵も雰囲気があります。
雰囲気のある町並みを歩いて行くと旧小松屋という旧家が公開されていました。ここも見学しました。庭も座敷も懐かしい日本家屋の味がします。
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雰囲気ある町並み |
小松屋 |
小松屋内部 |
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播隆上人や坪内逍遥もあった |
祐泉寺のお堂も相当古そう |
魚屋さんの看板もなかなか |
祐泉寺付近に播隆上人の墓があったようですが見逃しました。太田稲荷や飛騨街道との追分があったという法華経碑を見ながら歩いていると、国道に食堂が見えたので昼食にしました。あまりお得感は無かったなあ(笑)。12時15分、出発。
右手に水神公園というポケットパークがあり、堤防の近くに水神が祀られているようでした。この辺が古代の太田の渡しの跡かもしれませんね。
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水神さん |
大田橋と化石公園 渡しの案内もあるかも |
日本ライン乗船場 |
街道は一旦川沿いに出ます。そのまま堤防を歩いて太田橋に向かいます。橋の袂に化石公園がありますが、その辺りが江戸時代以降の渡し場跡だそうです。
日本ラインの乗船場を見ながら太田橋を渡ると今渡の渡し跡が小公園になっています。
そこを出て伏見宿へ向かいますが、ここからしばらくは見所が無いようです。国道は右折しますが街道は直進します。富士浅間神社とか今渡神社などありますが遥拝にとどめました。JR太多線を渡るとまた国道と合流します。
広い国道になり街道の面影はありませんが小さな一里塚跡の碑が新設されていました。
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この辺までは良かったのに |
道端の石仏 |
もう間違っている |
私の持っている平成十三年の25000の地形図には載っていなかったのですが、21号線のバイパスができ、素直に歩いて行くとバイパスに入るようになっていました。地形図では道なりの一本道だったので完全に間違えてしまいました。後日伏見宿を見てきました。
伏見宿の案内が出てこないのでおかしいなと思いながらどんどん歩いてしまいました。
名鉄電車が左手に見えて、完全に間違いを悟ったときは伏見宿を通り越していました。名鉄の顔戸駅の傍を通って街道に復帰しました。駅の近くに在原成平の墳というのが有ったのが小さな救いですね。地図は新しいものを使いましょう(;゜-゜)。
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在原成平の墳 |
この川沿いが中山道、旧21号線 |
久しぶりに中山道の案内 |
街道に復帰して右折、御嵩宿を目指します。旧国道を歩いて御嵩宿に近づくと左手に鬼の首塚があります。悪行の限りを尽くした関の太郎の首塚だそうです。
信号を右折して2本目を左折、公民館の前を通って歩きます。少し歩いて広い通りを右折すると左手に願興寺の本堂が見えてきますが、目的の名鉄御嵩駅もすぐ前です。丁度3時頃の到着でした。
予定より1時間近く早く付いたので御嵩宿を見学することにしました。まずは目の前の願興寺です。蟹薬師と言われる天台宗のお寺です。蟹の背中に乗って池から現れたと言われる薬師如来がご本尊の体内に入っているのだそうです。
次に中山道みたけ館を通り越して、隣の商家竹屋を見学しました。ここもなかなかの旧家ですね。丁度雛人形も飾られていました。

最後にみたけ館です。ここは1階が図書館、2階が郷土資料館になっていました。1階の図書館が随分利用されているのに感心しました。
2階の資料館は中山道の資料もありますがナウマン象の時代からの資料で見ごたえもあります。
名鉄御嵩駅発3時59分の電車で帰りました。