下諏訪宿から和田宿へ
2011年4月21日
今日は街道最大の難所和田峠越えです。
下諏訪宿から和田宿まで途中5里の間民家も無く江戸時代の旅人も苦労したと言います。
標高は下諏訪が780m、和田峠が1600m。
和田宿が820mほどで、今日は最低でも25キロは歩く必要があります。
それと例年、峠付近は4月中旬まで雪が残ります。一般道は雪の心配はありませんが、峠道は雪があると大変です。今年は雪が多かったので一寸心配です。
7時朝食をお願いして7時半には宿を出ました。予定では8時出発の4時和田宿着で見ていましたが、少しでも早く出るに越したことはありません。
春宮までの街道は昨日歩いておいたので、今朝は国道沿いに合流点まで歩きます。桜が満開できれいです。
合流点までは10分ほど、そしてすぐ国道を左に降りて、また合流する手前に道祖神の石碑がありました。
この地方の石碑や石仏で感心するのは、ほとんど放置されているのでなく、注連縄や何かで飾ってあり、しかもそれが定期的に取り替えられているように新しいことです。
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合流点で振り返る。右が街道。 |
道祖神、大切にされている様子 |
木落とし坂へ登る |
宿から40分ほど歩いた落合橋に小さな発電所がありますが、そこを右上に上がって行くと、有名な木落とし坂があります。5.6分登ると立派な松の傍に説明と実物大の御柱が置かれていました。
ここで道を間違えてしまいました。街道はすぐ国道方面へ降るのですが、水平な道があり、そちらへ入ってしまいました。
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案内の角度を見誤った。 |
手前え歩いたのが間違い。右だった。 |
萩倉ロマンの里案内 |
萩倉ロマンの里とか明治館製糸工場跡とか、いろいろ歴史的な案内もあり、25分ほどのんびり歩いて間違いに気づきました。急いで15分で引き返しましたが40分のロスです。早立ちの30分は消えてしまいました。
気を取り直して住宅街の中を通って国道へ降ります。遠くに和田峠に繋がりそうな山なみも見えてきました。ここで9時12分でした。
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降ってすぐ右の住宅街へ |
国道に出る。9時21分。 |
30分で右に入る。 |
次に目指すのは水戸浪士の墓です。1864年、武田耕雲斎率いる水戸浪士と幕府側の藩士が戦い双方に10人ほど死者が出て、その水戸浪士の墓だそうです。
30分ほど歩いて案内に従い右に国道と別れます。ペット専用の墓地がありました。
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ペット専用の墓地 |
水戸浪士の墓 |
歩道の無い国道歩き |
5.6分で国道の下を潜ると浪人塚がありました。標高は1020m前後と思われます。ここで少し休憩し、10時に出発しました。
国道へ出て、ここから30分は歩道の無い国道歩きです。車も結構多いので注意が必要です。ようやく右に国道と別れると、今度は気持ちの良い林間歩きです。
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30分でようやく。左に登る。 |
うれしい林間の道 |
ガレ場をトラバース |
右下に川を見ながら、ガレ場も通って25分ほど歩くと旧国道を横切ります。新和田トンネルが出来て車は皆そちらを通るので、旧国道は静かなものです。
渡るとそこは西の餅屋跡でした。和田峠を挟んで東西に餅屋を作り、旅人の便宜を図ったものですね。私もここで一服です。11時5分に出発。
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旧国道へ出る |
西の餅屋 説明板のみ |
再度、旧国道を横切る |
15分ほど山道を歩くと再度旧国道を横切ります。そこから20分一寸で石小屋跡があります。そのすぐ上に水飲み場があります。ガイドブックには水は涸れていると書かれていましたが、出ていました。冷たくて美味しい水でした。雪解けの一時期だけあるのかもしれません。
そこから30分弱、12時一寸前に和田峠に到着しました。御岳は見えませんでしたが逆側の浅間山がきれいに見えていました。峠の付近は少し雪が残り、道にも日陰に残っていました。ここ1日か2日で解けたようです。
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御岳遥拝所 でも雲の中 |
浅間山方面 |
雪が少し残っている |
ここで昼食と思いましたが、風が強いので10分ほど降った所で昼食にしました。
20分で昼食を終え、歩きはじめるとヴィーナスラインの下をトンネルで潜ります。でもその中が氷でした。アイゼン無しでは通れそうもないので、諦めて上に登って越えました。
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下り道にも少し残っている |
ボリュームたっぷり |
トンネル内部は氷だった |
すぐ東の餅屋跡ですがドライブインが1軒あります。おじさんが「力餅」を食べて行けと言いましたが、弁当食べた直後なので、諦めました。
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東餅屋 ドライブイン |
広原一里塚と石畳 |
避難小屋と石畳 |
広原の一里塚、石畳の道、避難小屋と過ぎて、東餅屋から35分で接待という場所に着きます。ここは永代人馬施行所とも言われ、中山道の難儀を少しでも緩和するため、旅人には粥、牛馬には煮麦を与えたそうです。ここで1時22分でした。
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接待 永代人馬施行所 |
三十三体観音 |
和田側登り口 1時50分 |
そこから25分ほどで三十三体観音があり、3分で和田側登り口に到着です。1時50分でした。ここからは国道142号線で6キロほどで和田宿でしょう。
15分ほど国道を歩くと右側に唐沢の一里塚への案内があり、そこを登ります。ここは保存状態も良く、道の両側に残っています。
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唐沢一里塚への登り口 |
唐沢一里塚 |
この先で田圃道に入った |
再度国道に下りて歩きますが歩道がありません。25分ほど歩いて右に国道を離れて田圃道に入りました。一寸遠回りかもしれませんが命には換えられません(笑)。
3時丁度に和田宿の入り口に着きました。江戸時代から営業する本亭旅館の広告看板があり500mと書かれていますが、これは嘘でしょう。少なくとも1キロはあります。
実は今日はこの本亭旅館に泊りたかったのですが、何か取込みがあるらしく知り合いのペンションを紹介されました。本亭旅館まで送迎してもらう予定でしたが、結構早く着いたので、電話してもう1時間位歩くことにしました。
本亭旅館の隣の本陣跡到着は3時17分でした。実はこの辺では足の裏に豆ができていました。久しぶりに舗装道路歩きが長かったのでできたようです。でも送迎時間を遅らせたばかりなので、歩かなければなりません(泣)。
往時の名残りを残す古い家や面白い建物の小学校を見たりして、和田宿東の入り口まで15分。新しく出来た国道と別れて街道は下和田の集落に入ります。ペンションとの電話で4時ごろ下和田のどこかで拾ってくれと言ったつもりが、先方は4時ごろペンションを出ると受け取ったようです。
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和田宿 東の入り口 |
大きな馬頭観音の碑 |
道祖神もデザインいろいろ |
下和田の上組、中組と過ぎても迎えに来ず、結局4時半に大門街道との合流点に近い青原でようやく拾ってもらいました。青原は中山道のモニュメントや石仏・東屋もある小公園になっていました。
豆で痛む足で1時間半も歩いてしまいましたが、お陰で明日は楽になるでしょう。今日は30キロを越えたようです。
ペンションはそこから20キロ大門街道を走った車山に近いスキー場近くにありました。ご主人と話していると、美ヶ原の山本小屋の創始者のような人で、現在もスキー学校の校長や連盟の役職など勤める山にも詳しい人でした。
夕食は話が弾んでお酒を飲みすぎ、その上サービスと言って冷酒まで出してもらって、いつ寝たのか解りませんでした(汗)。
明日の長久保宿〜岩村田宿へ