草津宿〜守山宿〜野洲駅
2008年1月26日
2時前にJR草津駅に着き、前回見損なった本陣を見に行った。
200円を払い中に入る。
なかなか立派な造りなのは当然として、宿泊部分と住居部分が土間で分離されていたり、大戸を跳ね上げると騎乗のままで裏まで入れる造りが興味深い。また雪隠や湯殿は昔の我が家や田舎の造りを思い出した。
さて、2時10分頃東海道との分岐を過ぎて 歩きはじめました。
商店街の中ほど右に入った所に覚善寺があり、ここにも門前に「右東海道、左中山道」の石碑があります。ここが追分の時代もあったのでしょうか。
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覚善寺の道標 |
商店街を抜けていく |
このガードをくぐったのは間違い |
駅前の大通りを渡り、最初の信号で左折して線路を潜ったのですが間違いでした。もう少し直進して、伊砂砂神社を過ぎてから線路を潜るのが正解でした。お陰で神社を見落としました。
線路沿いの広い道を歩き、笠川の信号を渡る頃から、少しずつ街道らしい雰囲気がでてきます。
花園の大きな信号を渡るとすぐ栗東駅の西口です。このあたりの地名が綣(へそ)という珍しい読み方の漢字です。大宝神社という立派な神社がありますが、境内の外れに芭蕉句碑があり「へそむらのまだ麦青し春のくれ」と詠まれていました。
大宝神社を出て少し歩くと、今度は左手に焔魔堂があります。小野篁作と書かれていました。その建物もなかなかだったので中を見たいと思いましたが、見学できそうな雰囲気も無かったので諦めました。
焔魔堂の信号を超え守山市に入って行きます。入るとすぐ「今宿の一里塚」があります。
この辺り今宿町は、しっかり中山道を意識した町です。電柱広告や店の前の看板も中山道守山宿で統一しています。
守山宿は「京発ち守山泊まり」と言って、京都を朝出た旅人は、その日守山宿で一泊するのが標準だったようで、結構賑わったらしい。
駅前通りを過ぎると左手に東門院「守山観音」があります。街道の雰囲気を盛り立てる商店街は吉身の交差点あたりまで続きます。
交差点付近に「右中山道美濃路、左錦織寺・・・」と刻まれた石標がある。また、甲屋という旅籠跡の碑もあった。
商店街を過ぎると少し寂しくなり、琵琶湖大橋に通じる407号線の信号を渡って野洲川に出てきます。右手には近江富士と言われる三上山が見えます。山を七回り半巻きついた大ムカデを俵藤太秀郷が退治したのもここだったか。
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こんな案内が所々に |
琵琶湖大橋への路を越えて |
由緒ありげな神社 |
橋を渡り、JR東海道線の下を潜って野洲の市街に入って行きます。線路の手前のお堂にも芭蕉句碑がありました。
蓮昭寺を過ぎ、背競地蔵を過ぎると三叉路になります。左右どちらか迷うところですが、良く見ると電柱に案内があります。左は朝鮮人街道、右が中山道です。
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近江富士 三上山 |
小さな芭蕉句碑 |
蓮生寺の前のお寺 |
朝鮮人街道は中山道のバイパスで、ここで分かれて近江八幡、安土を経由して彦根の鳥居本でまた合流します。朝鮮の特使がよく通ったので、この名があります。
右の中山道をとるとすぐ交差点に出て、中山道のモニュメントがあります。
斜めに横断して新幹線のガードに出ますが、ここがJR野洲駅前の通りで、今日の行程はここまでとします。4時25分頃の到着で、草津の追分から2時間15分位でした。
左折して10分程歩くと野洲駅でした。
野洲駅〜武佐宿へ