2008年6月21日
JR野洲駅から近江鉄道武佐駅へ
天気予報では雨だが少しでも中山道を進めておこうと12時過ぎに野洲駅に着いた。
途中の列車の窓から飛行船が見えた。
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地球エコ号 |
お城かと思う民家 |
この辺に立場があったのか |
どこかで腹ごしらえと思いながら前回歩いた新幹線のガードまで来てしまった。
少し向こうに平和堂の看板が見えたので入って昼食とする。出発は午後1時でした。
街道に入ると立派な民家が多い。バス停の壁に案内があった。銅鐸が出土しているとの案内もある。30分ほどで桜生(さくらばさま)歴史公園があった。中に入ってみると甲山古墳というのがあり見学する。
公園を出て10分少々で篠原神社、ここも一寸お参りする。
すぐ国道8号線にでる。細い歩道を車に注意して歩く。国道沿いの古い民家が取り壊されつつあった。又一つ歴史が失われるかと思ったが、なす術もない。
右手に西池があり、西暦5世紀に雄略天皇が掘らせたとか、源平盛衰記の篠原堤とかの説明がある。
左の旧道に入ると、この地区でよく見る小屋根をつけた家があった。通りかかったおばさんに聞くと、「この家はこの地区の庄屋さんで倉が六つもあったそうですよ」と教えてくれた。小屋根は煙りだしのためかな。
また国道にでて少し歩いた右側の丸い池が「首洗い池」または「蛙泣かず池」らしい。池を越えて少し右に入った所に平宗盛の胴塚がある。壇ノ浦で源義経に捕らえられた宗盛親子がここで首を切られたという伝説がある。そういえば草津宿に平清宗の胴塚があった。
2時半ごろ8号線に戻り鏡宿に向かう。
国道と平行する旧道の右には星が峰城跡があり、国道に戻ると右手に源義経元服の地の石碑がある。右側の道の駅の手前を右折していくと、史跡西光寺跡の石碑があり、その奥に重文の石灯籠と宝篋印塔がある。いろいろ謂れが書かれている。
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平宗盛胴塚 |
源義経元服の地 |
道の駅 鏡宿 |
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西光寺跡とか |
重文 石灯籠 |
重文 宝篋印塔 |
道の駅に戻り、しばらく休憩する。ここ鏡宿は結構栄えた宿場だったらしい。
3時に道の駅を出て、すぐ左手に鏡神社がある。元服した義経が、参詣するとき烏帽子を掛けた松とか、もう少し行くと、義経宿泊の宿とか本陣跡とかもある。
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石灯籠と印塔 |
烏帽子掛松と鏡神社 |
義経宿泊の館跡 |
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ここにも煙出しの屋根が |
旧道に入る |
旅館亀屋跡 |
右に旧道に入り亀屋跡とか見ながら国道に出た後、西横関の集落へ左に国道から分かれる。
街道の雰囲気を味わいながら日野川にぶつかるが、渡しが無くなっているので一旦川沿いを国道まで出て橋を渡り、また街道まで堤防道を引き返す。3時30分頃です。
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日野川に沿って |
国道から日野川 |
東横関の街道に戻る |
たんたんと街道を歩いて再度国道に出る。渡って右の旧道に入ると住蓮坊首洗池が左にある。住蓮は法然の弟子で後鳥羽上皇の怒りに触れて処刑されたとある、13世紀の話です。
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住蓮坊首洗池 |
8号線から別れ武佐駅へ |
伊庭貞剛屋敷跡 |
ここで4時、ここからしばらく8号線歩きが続きます。
1.5キロ歩いて、ようやく右に街道は分かれます。車道とも分かれて街道は近江鉄道「武佐駅」に向かいます。途中住友財閥の総支配人だった伊庭貞剛の屋敷跡があります。
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武佐駅前の踏み切り |
武佐駅 |
武佐駅到着は4時半でした。
武佐宿散策は次回のお楽しみです。
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