2008年12月7日
醒ヶ井駅〜関が原駅


柏原2

醒ケ井駅には10時15分に着いた。久しぶりの中山道です。
ホームから伊吹山が見えている。
駅の傍には「水の宿」という施設ができている。
醒ケ井というのは養鱒場としか知らなくて、中山道の宿場だったことも知らなかった。

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水の宿 ハリヨは魚、梅花藻は? 伊吹山

歩き始めると「ハリヨと梅花藻の里、醒ケ井」とあった。ハリヨは魚で、梅花藻というのは花を咲かせる藻らしい。
街道筋には川が流れ、昔は生活にも使われていた様子がうかがわれる。

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西行水と泡子地蔵 街には清流が 街角博物館 梅花藻の写真

西行水とか十王水とか、いたる所に湧き水の名水があるようでした。

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延命地蔵さんと名水 平成の名水百選とか、居醒の清水 21号線、江戸から来るとこうなる

柏原

30分ほどで醒ケ井宿を抜けると国道21号線に合流する。
国道に沿って300mほど進むと向こう側のラブホテルの横に中山道の入り口が見える。ここは信号も横断歩道も無い場所なので、驀進してくるトラックの合間を縫って渡るしかない。気をつけて渡りましょう。11時5分です。

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ラブホテルの角を入る 中山道の松並木 小川の関跡

渡って中山道に入ると、右手はラブホテル、左は中山道の松並木といった感じになる。
うららかな山添の道を歩いていると、中山道歩きらしい男性とすれ違った。松並木ならぬ紅葉並木を過ぎると、北畠具行の墓の案内がある。

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うららかな山沿いの道 北畠具行の墓 東山道の説明

この辺り東山道と言って、中山道のバイパスか前身のような道があったらしい。
又、壬申の乱で大海士の皇子と大友の皇子が戦った戦場でもあるみたいだ。
柏原の一里塚跡を見て柏原の宿場に入る。

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柏原の一里塚跡 旅籠は22軒あったとか 現存する郷宿

この宿場も随分栄えた宿場だったようだ。郷宿という始めて聞く建物が現存していた。
お茶屋御殿跡とか旧柏原銀行の建物があるようです。
お昼になったので歴史館で昼食にした。カレーライスの大600円です(笑)。

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お茶屋御殿跡 将軍の定宿 旧柏原銀行は修景工事中 歴史館 食堂

後から来たお婆さんが「やいとうどん」というのを注文した。
なんだろうと思っていたが、やいと=お灸のことらしい。
お灸をイメージして、うどんのトッピングにとろろ昆布と紅ショウガが乗っているらしい。そうか柏原は「伊吹もぐさ」のお膝元なのでした。12時25分出発。

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伊吹堂 皇女和宮宿泊 蝋燭屋さん

その伊吹もぐさの発売もとの伊吹堂さんの屋敷はまだ活動中のようでした。屋敷の中に大きな福助が飾られていましたが、撮影禁止と書いてありました。
福助というのは、ここの番頭さんだったそうです。
皇女和宮宿泊の本陣とか、この宿場は中山道4番目の規模だったと書かれています。
JR柏原駅を過ぎ、街道を歩いて行く。

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雪吊り 融雪装置

この辺り冬場雪が多いと見えて雪吊を施している家も多く、道路には融雪工事が施されている。
12時45分、照手姫笠掛地蔵があった。あの小栗判官と照手姫は、こんな所から熊野へ向かったのですね。
JRを渡るとすぐ神社があり、そこが前述の東山道との追分でした。

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小栗判官を地車に載せて引いていく 右の小さい方が照手姫地蔵 東山道入口

さらに進むと滋賀県と岐阜県の県境です。かっては近江の国と美濃の国の境でした。
その境界は細い1本の溝でした。その溝を挟んで両国が旅籠や番所を作りました。
なので旅籠の客は寝ながらでも隣の国の客と話が出来たそうです。

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寝物語の里 国境は細い溝 車返しの坂

そこでこの地域のことを「寝物語の里」と呼ぶようになったそうです。
芭蕉も3回ほどここを通り、俳句も詠んでいるそうです。
JRと21号線を渡ると今須の宿です。入り口右手上に「車返しの坂」というのがあり、お地蔵さんが祀られています。

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今須宿 問屋場跡 妙応寺 のんびりした山里

京都の商人が寄贈した常夜灯とか、往時のままの威容を残す問屋場の建物が残っています。
今須宿には妙応寺という禅宗のお寺があります。20万石の寺領を誇った由緒ある寺のようでした。一寸参詣しました。1時35分。
21号線を渡り、JRの線路の間を進み、のんびりした山里を進むと山中の集落になります。
ここには常盤御前の墓があり、びっくりしました。

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常盤御前の墓 黒血川 不破の関跡へ

奥州へ逃れた義経の後を追って、ここまで来たが、土賊に襲われて落命したと言われているそうです。ここは小公園みたいでトイレもあり、少し休憩しました。
もう少し歩くと黒血川というのがあります。壬申の乱のおり、多くの将兵の血が流れたとか。そしてここはもう関ケ原古戦場の近くなので、大谷吉継の墓もあるようでした。
21号線を陸橋で渡ると不破の関に入ってきます。

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藤古川 これも由緒ある 不破の関跡 不破の関説明

美濃不破の関は1300年前に作られた関所で、伊勢鈴鹿の関、越前愛発の関と共に3関と言われたそうです。都で起こった異変を地方に波及させない役割を持っていたそうです。資料館があります。
不破の関を過ぎると関ケ原の古戦場です。
21号線に合流して、しばらく国道を歩きます。

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西軍の陣跡 西の首塚 脇本陣

西の首塚があり、関ケ原の交差点を渡ると本日の目的地関ケ原駅はすぐです。途中左手に脇本陣跡がありました。
駅の裏には東の首塚や資料館、各武将の陣地跡など、古戦場の史跡が満載です。
ここを見るだけでも半日仕事でしょう。レンタサイクルが半日500円で資料館にあるようです。

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東の首塚 関が原町 役場 資料館前の鬼瓦

垂井から赤坂宿へ

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