2008年12月13日
関ヶ原〜美濃赤坂
8時半ごろ関ヶ原の歴史資料館に着いた。ここの駐車場に車を置かせて貰って歩き始めます。
近くに徳川家康最後の陣跡があります。それを見てから、今日のスタート地点である駅前の国道21号線に出ました。8時50分です。
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徳川家康 最後の陣跡 |
永長元年って1096年だけど |
街道の民家 |
歩き始めるとすぐ、歴史ありそうな旅館や民家がありました。
国道の脇道に入ると、中山道の松並木を復元するような道の部分もありました。
20分ほどで国道に分かれて街道は左に入ります。
ここには昔の松並木を保存されているようです。街道の風情があります。
国道のほうに家康最初の陣跡の旗が見えます。ここに最初の陣を構え、最後は先ほど見た駅の北側まで移動したということでしょうか。
関ヶ原宿跡ということで、六部地蔵の祠と共にポケットパークになっていました。
山之内一豊の陣跡とか見ながら街道を歩きます。伊富岐神社への参道の前が9時35分の通過です。
少し歩くと国道に出会いますが、その手前に垂井宿の案内があります。
国道を渡ると、すぐ右手に垂井の一里塚跡と日守の茶所があります。再度国道を今度は陸橋で渡りました。
この後しばらく見るものも少ないのですが、中山道の案内が道を確認できます。
松嶋稲荷神社に一寸お参りして、少し歩くと垂井宿西の見附の案内がありました。10時8分でした。ここから800mほどが垂井宿です。
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陸橋の上から街道を見る |
この案内が助かる |
松嶋稲荷 |
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垂井宿 西の見附 |
本龍寺 |
当時の商家 |
本龍寺というお寺の付近で美濃路の写真を撮っているという人が居ました。
向かい側には当時の商家が残っていました。
南宮神社の大鳥居の近くが本陣跡です。
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南宮大社 大鳥居 |
亀丸屋 |
東の見附 付近の観光マップ |
亀丸屋という旅籠が昔の建物を残しながら今も営業されているそうです。
相川の橋の袂が東の見附です。
この相川の人足渡しも垂井宿の問屋場で手配していたと、先ほど説明を読みました。
相川を渡ると街道は二つに分かれます。右は美濃路で大垣を経て東海道の熱田宿へ向かいます。中山道は左へ行きます。
この辺りは街道の雰囲気も無く、見るものとて無くて淡々と歩きます。街道から少し外れれば平尾の御坊とか美濃国分寺跡とかあるようです。国分寺跡へ行こうかと思いましたが1キロと見て止めました。
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街道の雰囲気は無い |
御坊道 |
1キロは遠い |
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一里塚跡 |
国分寺道 |
青墓宿 |
車道を渡ると青墓町です。11時08分でした。墓という字が着く地名は珍しいと思うのですが、謂れは知りません。
ただ歴史は古く、平安・鎌倉の時代に遡るようです。
よしたけ庵、照手姫の水汲み井戸などがありました。街道の面影もあります。
東海道線の下を潜ると昼飯町です。
長野の善光寺へ仏像を運ぶ一行が、この辺りで昼飯を食べたとか。
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ここに謂れがいろいろ書いてある |
丁度良い所に食堂が |
本格的なカツ丼 |
丁度、街道沿いに食堂があったので、私も昼食にしました。こんなふうに丁度昼時に食堂があるなんて珍しいことです。さすが昼飯町です(笑)。
カツ丼780円を注文したのですが、ひさしぶりにカツ丼らしいカツ丼が出てきました。卵スープも付いて、質・量共に満足のカツ丼でした(笑)。11時40分〜12時17分。10分ほどで赤坂宿に入ると、石灰の工場が目立ちます。かっては石灰の粉が飛び交ったらしい赤坂の街も今は集塵装置も完備してきれいな街になっています。
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石灰石の工場が多い |
赤坂宿入口の兜塚 |
赤坂宿の町並み |
赤坂宿は江戸から数えて57番目の宿場だそうで、57に拘った商品開発などで町起しをしておられるようです。
また、皇女和宮一行が宿泊したとき、1万人に及ぶお付や警護の兵の宿所が無く、突貫工事で50数軒の宿を新設した。これが「お嫁入り普請」と呼ばれて今も数軒残っているそうです。
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お嫁入り普請の展示館かな |
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57番目の宿にこだわって |
古い民家が残っています |
谷汲山への道 四辻 |
12時43分、谷汲山への街道もある四辻を過ぎ、本陣跡の公園を過ぎると赤坂港です。
四辻を南に少し下ればJR東海道線の支線、美濃赤坂駅があります。昔は石灰の積み出しを行ったらしい。
赤坂港も杭瀬川の豊富な流れを利用した、水運の要衝だったらしいが、今は公園になっている。杭瀬川を渡ると街道は左に進みます。
ここに中山道を看板にした麺処がありました。旧街道に食事処が少ないので、こういう店は貴重です。
1時16分、養老鉄道の東赤坂駅に着きました。
1時間に1本の無人駅で、JRの大垣駅まで10分ほどです。
大垣は水の名所と見えて、駅前には自噴水が紹介されていました。
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