恩名村の国頭方西海道
2010年5月21日
今日は国頭方西海道の一部を歩く予定です。
首里を出た中頭方西海道は浦添・北谷・読谷と進んで国頭方西海道に繋がります。
図を見てください。左下に喜名番所というのがあります。当時の番所ですが現在は小さな道の駅です。
そこから真栄田の一里塚までが一里、次の仲泊の一里塚までがまた一里だったようです。
この間が宿道として名残を残しています。
恩名村博物館か隣の道の駅に車を置き、逆に歩いて真栄田の一里塚に行き、琉球村の通りにあるバス停まで出る予定で博物館の人に相談したら、
その道は手入れもされてなく、草むらにはハブも出るので止めたほうが良いと言われた。
ハブと聞いては諦めざるを得ない。タクシーを呼んで一里塚まで行ってもらった。
タクシーの運転手も知らない道で、地元の人に聞きながら一里塚の先の御待毛(うまちもう)まで行った。1100円だった。
ウチナー口でモウとは原っぱ。万座毛とかモウアシビなんて使う。
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道の駅喜名番所 国道沿いにある |
恩名村博物館 |
民具や歴史の展示がある |
御待毛はお役人を地元人が待つ広場です。ここをスタートにすぐ真栄田の一里塚です。
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御待毛の案内と広場 10時26分 |
真栄田一里塚の案内 |
一里塚跡 |
海の見える海道を歩いていくとフェーレー岩があります。フェーレーとは追剥の意だそうです。ここは難所で度々追剥がでたとか。
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道案内があり迷わない |
海の見える海道 |
フェーレー岩 10時45分 |
少しあるくと海道は車道から分かれます。地道を少し歩くと寺川矼に出る。矼は「はし」と読むらしい。石造りの橋でしょうねえ。この寺川矼は最近復元されたのか新しい矼です。
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車道から分かれる |
国頭方西海道の説明 |
地道になり街道の面影 |
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山田の集落が見えてくる |
寺川矼 10時55分 |
琉球村近くのバス道へ出る 10時58分 |
ここを過ぎるとすぐ琉球村の近くの山田集落にでます。バス通りを左折してすぐに山田グスクの案内があり右折します。ハブに注意の案内もあります。
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ここ右折 11時03分 |
58号線を渡った。11時10分 |
歴史の道方向へ |
58号線を渡ると山田グスク、護佐丸父祖の墓の案内が隠れてあります。護佐丸は悲劇の武将でもあり、築城の名人でもありました。
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この急坂を登る |
平坦になり |
三叉路 街道は左だがお墓を見に行く |
山田グスクは現在残って居なくて、石垣や建物は今世界遺産の座喜味グスクを作るのに使われたそうです。護佐丸父祖の墓は残っていました。
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護佐丸父祖の墓はこの階段を登る |
護佐丸父祖の墓 10時20分 |
墓よりの眺め |
滑りやすい地道を少し歩くとまた国頭方西海道の案内があり、整備された石段がある。降ると山田谷川の石矼があります。これは立派な石組の矼で美しく当時の高い技術を感じさせます。
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滑りやすい石段 |
何時ごろの道かな |
国頭方西海道の案内 |
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山田谷川の石矼 |
11時30分 |
岩を削ったような道 |
この辺りで3人連れの外人さんとすれ違いました。日本人も歩かないこの道を、よく外人さんが来るなあと感心しました。
そこからも地道を歩くと国道58号線に出てきます。
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海が見えて |
58号線に降りてくる。渡らず右折すれば無難。 |
国道を渡って、振り返る。 11時40分 |
海道は分断されたのでしょう案内もありません。強引に国道を渡って下を除くと旧道に歴史の道の案内が見えました。
一旦下に下り、海岸沿いの旧道を行きます。
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この道で下の旧道に降りる |
旧道がまた国道に合流する |
ここから街道へ 11時51分 |
再度国道に出会いますが、ここは信号を渡ります。危ないと思えば国道を4〜500mほど歩く方が良いかも。
歴史の道の案内に従い、階段を登ると「比屋根坂石畳の道」です。
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遊歩道なのか? |
当時の石畳の道なのか? |
残ってはいるそうですが |
これを登りきって少し下ったあたりに休憩所がありますが、景色も良くなります。
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これは遊歩道か |
休憩所 12時 この近くが遺跡らしい |
景色も良くなる。 |
休憩所から3分ほど、また石畳の道になって博物館近くに下りてきた所に第三貝塚があり、遺跡の説明もありました。この近くに仲泊遺跡があり、貝塚や住居跡があるようです。
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先史時代後期の住居跡とか |
住居跡の前を比屋根坂の石畳 |
入り口 12時05分 |
御待毛から2時間弱掛かったかなと思います。
そこから車でやんばるへ出かけたので仲泊の一里塚を見るのを忘れました。次回行ってみます。
やんばるの国頭方西海道へ