やんばるの宿道
国頭方西海道は名護番所に入り二つに分かれます。
一つは図の449号線で今帰仁から運天港に至る道です。
もう一つは図の仲尾次、羽地で国頭方東海道と合流して大宜味番所、国頭番所へ到る道です。
18世紀頃になると、宿道は更に伸びて最北の奥まで整備されたようです。
今その名残が残っているのは、私の知る限りでは名護の番所跡と本部半島、今帰仁の松並木だそうです。
また、大宜味村に入ると、芭蕉布の里として有名な喜如嘉から謝名城を経て田嘉里へ向かう峠道が昔の宿道の面影を留めるそうです。
また運天港というのは琉球王朝の時代から栄えた港らしいので、今も面影を偲べるかも知れませんねえ。
私は美ら海水族館や今帰仁城跡は行っているのですが、当時は琉球王朝の歴史や宿道にも、あまり興味が無かったので、途中の史跡には無関心でした。
近いうちに再度、今帰仁城跡とともに訪れてみたいものです。
名護を過ぎて大宜味村に入る頃から「やんばる」と言いましょう。今回(2010年5月21日−22日)、そのやんばるに再訪しました。前回はダイビングと与那覇岳や比地大滝、すなわちやんばるの自然に触れにきたのです。今回はそれにもうひとつ歴史を加えました。
芭蕉布の里「喜如嘉」と謝名城にある「国頭グスク(上グスク)」を見に来ました。
喜如嘉は沖縄の原風景が残る集落としても有名なんだそうです。