安中宿〜高崎宿〜本庄宿

2012年5月26日

高崎今日は昨日の安中駅まで戻って、高崎宿・倉賀野宿などを通って、本庄宿まで35キロ位を歩く予定です。

朝6時半にはホテルのサービス朝食の準備ができます。
パンとコーヒー・ジュースなどだけですが、自分のペースで食べて出発できるので、我々のような街道一人歩きの人間には便利で有り難いです。

それとビジネスホテルには、大抵無料のインターネットがあるのがうれしいですね。

6時20分頃食堂に行くと、すでに準備が出来ていたので早速朝食を頂きました。旅館で宿泊すると豪華な朝食が出るので、ついつい食べ過ぎてしまいますが、普段の自分の朝食を考えれば、この程度の朝食で充分一日は動けると思います。


高崎駅まで10分以内なので7時前の列車に乗れました。それで安中駅到着は7時10分頃でした。
安中バイパス(国道18号線)の北側に上毛三山パノラマ街道というバス道路がありますが、中山道はその更に北側の寂しい通りです。
入って少し歩くと珍しい道標と一緒になった石柱の庚申塔があります。

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ホテルの朝食 庚申塔 碓氷川を渡る

すぐ右折して先ほどのパノラマ街道で鷹ノ巣橋を渡ります。これも碓氷峠で水源を見た碓氷川です。
渡るとすぐ右折して街道に復帰します。水量の豊富な用水が流れています。板鼻宿に入ってきました。

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板鼻堰と言うのかな 本陣跡 杯を持った祝言(婚姻)像みたい

坂本宿から高崎宿までは30キロほどです。その間に松井田宿、安中宿、板鼻宿と三つの宿場があります。
それは碓氷川に橋が無く、川止めもあるし、また碓氷峠越えの準備もあるということで、宿泊客も多く賑わったらしい。

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東京へ113キロか 八幡宮へ 一番左の道へ

板鼻宿を抜けると国道18号線に合流します。高崎まで6キロ、東京までは113キロとあります。
すぐ左に大きな鳥居があり八幡太郎義家の甲冑が奉納されているという八幡宮の入り口です。右に入ると小林山達磨寺があるそうです。
上豊岡町で道は3本に分かれ、一番左の道を行きます。

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上豊岡茶屋本陣 達磨の看板が多い 新君が代橋を渡って右折

金ヶ崎不動尊を過ぎると茶屋本陣があります。それとこのあたり達磨の販売の看板があちこちにあります。
達磨寺もあったし、高崎は達磨の産地だったのですね。
すぐに国道と合流して君が代橋で今度は烏川を渡ります。渡ると高崎市街で、すぐ右折するのが街道です。

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中山道恋文横丁だそうです 高崎駅入り口 10時05分 県道12号線 東国文化歴史街道だそうです

高崎本庄
右折してまたすぐに左折するのですが、案内が無いので通り越してしまい、また引き返したりしてごちゃごちゃになってしまいました(泣)。

とりあえず本町一丁目から三丁目と歩き県道134号線で右折して、田町・高崎駅前と歩きます。

昨日出来た足の裏の豆をつぶす針をホテルに忘れてきたので、コンビニへ入って縫い針セットを買いました。高いけど、何でもあって便利ですね。だからコンビニか(笑)。

この辺り特に高崎宿の跡を示すような建物や看板もありません。
唯一見たのは中山道屋台村の看板ぐらいでしょうか(笑)。

高崎駅前の通過が10時05分でした。
安中駅から2時間45分掛かっています。

左手に今日明日宿泊するホテルが見えます。

駅前から15分ほどで上信電鉄の踏み切りを渡り、更に上越新幹線の下を潜ると、道は県道12号線に変わります。

道幅の広い県道を淡々と倉賀野宿に向かって歩きます。
この辺の道を東国文化歴史街道と呼ぶそうですが、一寸その面影は薄いですね。

11時過ぎに倉賀野宿へ入ってきました。

安楽寺や高札場跡、脇本陣などがあります。

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左は安楽寺 高札場跡 脇本陣

ガイドブックによると倉賀野宿は烏川と利根川を利用する水陸輸送の拠点で、宿場女郎も居た賑やかな宿場だったそうです。
またここは中山道と日光例弊使街道との追分でもありました。

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左、日光例弊使街道 右 中山道 背後が閻魔堂 閻魔堂裏手の石仏群

追分には常夜灯と道標、そして閻魔堂があります。
常夜灯には寄進者の名前が312名刻まれているそうで、相撲の雷電や鬼面山、役者の団十郎などがあるそうです。
時刻も11時半を過ぎ、手打ちラーメンの店で昼食のしました。冷麺が美味しかったのでラーメンを追加してしまいました(笑)。

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12時10分に店を出て県道13号線を新町に向かいます。
烏川を渡って左折、しばらく歩くと高崎伊勢崎サイクリングロードが合流して、すぐに土手に登っていきます。
街道も土手かと思いましたが、道標は下にあるので下に降り、高速道路のガードを潜りました。

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すぐにスリーデーマーチ発祥の地の石碑があり、それを過ぎると新町宿です。
東屋の形をした休憩所があり、そこで休憩しました。お隣が明治天皇の行在所公園になっていました。
芭蕉句碑や常夜灯などを見ながら15分ほど歩くと、神流川合戦の碑がありました。滝川一益と北条軍の壮絶な合戦があったそうです。

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高崎からは国道17号線になっています。ここからは日本橋までずーっと国道17号線が中山道と呼ばれることになり、旧中山道も出入りしながら進むことになります。神流川橋を渡って、一里塚跡で国道から離れます。

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隣の庚申塚を見て金窪神社を過ぎると、また国道を横断します。JR神保原駅を過ぎて浅間山古墳の赤い鳥居を右手に見ます。
広い国道462号線を渡ると本庄宿です。左手に金鑚神社(かなさな)という難しい名前の神社がある。

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高崎471本庄宿も飯盛り女が100人も居た賑やかな宿場だったらしい。
また街を歩いていると創業が江戸時代の商店が結構多い。
老舗が多い街ですね。

本庄駅到着は午後4時7分、朝の早出が効いていますね。

この日は居酒屋へも行かず、コンビニで買った食糧で一杯飲みながら寝てしまいました。

明日の熊谷へ