東海道 宮の渡し〜有松
2013年1月23日(水)
東海道は京都の三条大橋から桑名の七里の渡し、そして佐屋街道で宮の渡しまでは歩いている。
そのあと東京までは、中山道と違って車の通行量の多い道ばかりだろうと、勝手に決めて歩いていない。
でもこの季節、興味を持っている北国街道は雪だし、他に興味をそそる道も思いあたらなかったので、少し東海道を歩いてみることにした。
我家を9時前にのんびり出て、JR東海道線の熱田駅に着いたのは10時。
以前、佐屋街道で歩いてきた宮の渡しへ向けて歩きました。
この間は何故か秋葉神社が何件もありました。
宮の渡しから桑名までは海上七里と言われ、多くの旅人は尾張名古屋へ寄らずに船で桑名へ渡りました。
陸上の旅は時間も掛かるし、木曽川・長良川・揖斐川と言う、いわゆる木曾三川を越えるのも大変だったでしょう。
でも舟に酔うとか、なにかの理由で舟の旅を嫌った人は佐屋街道で名古屋を抜け、木曽川の手前の佐屋まで歩いて、そこから矢張り舟で桑名へ向かいました。
この場合は海上二里だったようです。
さて現在の宮の渡しは熱田神宮の南西にあり、鐘楼と常夜灯が建てられた公園になっています。
付近は松が植えられ、トイレもあって市民の憩いの広場みたいですが、ほとんど人は居ないようです。
渡しから北東へ歩くと、「ひつまぶし」で有名な熱田蓬莱軒があります。広い車道を歩道橋で渡って斜めに入り、1号線の手前で右折して1号線と平行して歩くのが街道です。
その曲がり角が佐屋街道と宮の渡しの分岐点で石標があります。また石標の向かいにはほうろく地蔵さんなるものが祀られています。
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宮の渡し 鐘楼と常夜灯 |
10時50分頃 |
佐屋街道との分岐、前方が東海道 |
この分岐点から宮の渡しへ行かず、上の図の白鳥橋へ向かう直進の道があったのでしょうが、今は解かりません。
この辺りは熱田伝馬町と言い、過っては宮の宿場町として栄えた場所だが、今その面影はなにもない。
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この辺りが過っての宿場 |
姥堂と裁断橋模型? |
名鉄常滑線を潜る。 |
そのギボシに彫られた子を思う母の心の文章が有名にしたという裁断橋が一部残されている。またここは都都逸発祥の地とも言われている。
名鉄常滑線を潜り、前述の裁断橋が架かっていたという精進川を渡る。
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精進川にかかる橋 |
1号線と合流する |
アメンボのマンホール鉄蓋 |
すぐに国道1号線と合流する。この辺り、地下鉄の堀田駅の近くになります。国道1号線は松田橋の交差点で右折しますが、街道は直進です。
ところで道路の下水道のマンホールカバーが面白い図柄です。これはアメンボーで、アメンボーが住めるようなきれいな水にしたいという意味だそうです。
名鉄の呼続駅の近くで川を渡りました。ここにも秋葉神社が祭られていました。
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呼続駅の近くで川を渡る |
橋の袂の石碑 |
熊野三社神社 |
渡ると東海道の新しい石標があり、sばに古そうな石碑もありましたが読めません。
11時半ごろ、左手に熊野三社という神社がありました。熊野と名が付くとつい立ち止まって参拝します。速玉大社の縁の神社のようでした。
東海道の大きな石の案内がありました。鎌倉街道とか塩付街道とかが東海道と交差しているようでした。
すぐ近くに湯浴地蔵さんを祀る地蔵院がありました。付近の人の信仰を集めているような雰囲気で、このときも納経している人が居ました。
街道はなんとなく面影を残しながら笠寺観音へ向かっていきます。
「是より東かさでら」の石標を見たら左折です。
熊野三社から30分ほどで笠寺観音西門です。商店街はもう少し賑やかで、食堂もたくさん有るかと期待しましたが、あまり有りませんでした。
とりあえずお参りしました。役の行者や宮本武蔵の祠や塚がありました。
笠寺観音の前の道も街道の風情が残った道です。
笠寺観音正門
笠寺観音から5分ほど歩くと笠寺一里塚がありました。
片側だけですが大きくて立派です。
さらに2〜3分歩くと道端に大きな東海道の絵巻物がありました。本物は東京博物館にあるとか書いてありました。
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東海道の絵巻物 |
12時20分〜55分 |
天白川を渡る |
それにしても空腹になってきました。どこか食堂は無いかなと思っていると、天白川の手前、赤坪町という交差点に台湾料理の店がありました。
お得なセットということで、マーボ丼と塩ラーメン、ダイエットの積もりで歩いているのに食べ過ぎてしまいました(笑)。
30分ほどで出て、今度は天白川を渡ります。
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三王山交差点 |
鳴海宿西の入り口 |
少し街道の面影がある |
三王山の大きな較差点は渡って街道は南下していきます。この辺り街道は現在県道222号線と呼ぶようです。
道の左側は丘で、鉾ノ木貝塚とかの案内も見られます。
13時15分頃、丹下町の常夜灯がありました。鳴海宿の西の入り口だそうです。
この辺り、かすかに街道の面影もあり、商店街も少しレトロです。左手の丘には鳴海城があったそうです。
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商店街 |
鳴海駅付近 13時30分 |
橋の手前 瑞泉寺 |
13時30分頃、街道が少し鍵型になった和菓子屋さんを通過しましたが、この右手が名鉄の鳴海駅だったようです。
扇川の橋の手前に瑞泉寺というお寺があり、その前の道標に初めて「絞りルート」という言葉がでてきた。
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初めて「絞り」という字が |
道端の石碑 |
道路のモニュメント |
現在鳴海は名鉄の急行も止まる駅で、多くの団地があり人口も多いと思う。その分、昔の面影は薄れていて、絞りは有松に残るのみかなと思う。
鳴海を過ぎると、今まで道端に有った東海道の石標も無くなり、自分が旧東海道を歩いているのか不安になる。
わずかに石碑やモニュメントがその不安を解消してくれる。
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国道302号線 |
有松宿に入る |
宿に入るとすぐこんな店が |
国道302号線の高架の下で名鉄の踏切を渡ると有松宿です。有松は正式な宿場ではなく間の宿と言うらしいが、絞り染めの産地として有名です。
その街並みは現在も健在で往時の繁栄振りを忍ばせる豪邸が立ち並びます。
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有松絞りの問屋が軒を並べる |
山車は鳴海にもあったと思う |
有松駅近くの絞り問屋さん |
この井桁屋さんというお店も現在も営業中と言うか、しっかり現代社会の中の商売として儲かっている?ようです。良いことですね。
すぐ近くに有松鳴海絞り会館というのがあります。いろいろ資料があって見学したいと思っていたのですが、水曜日は定休日でした。
近くには有松宿の地図や広重の鳴海宿の絵がありました。
この絵は鳴海宿ですが旅の女性が軒先に吊るされた有松絞りの美しさに見とれている様子が描かれているとか。
さらにこの近くは織田信長が今川義元の軍を破った桶狭間の古戦場があるのでその案内の地図もあります。
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有松鳴海絞り会館 |
広重の鳴海宿 |
有松の街並みと桶狭間の地図 |
絞り会館の辺りで雨がパラついてきたので、ここで止めて帰ろうかと思ったのが14時15分頃。
まあ雨も大したことないので先に進むと国道1号線に合流した。
一寸1号線を歩くとすぐ右に街道が現れる。特に旧東海道の案内は無いが、これがそうらしい。
絞り会館から15分ほどで名鉄の中京競馬場前の駅に着く。そこに桶狭間古戦場100mの案内があった。意外と近い。
きれいな公園になっていて、今川義元の墓があった。
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名鉄 中京競馬場前駅 |
名鉄神宮前駅近くの飲み屋街 |
一寸一杯飲んだ |
名鉄の普通電車でのんびり神宮前まで帰ってきたのが15時過ぎ。
ここは昭和40年代に随分お世話になった飲み屋街があります。もう40年近く足を向けていないが今どうなっているか気になって下車した(笑)。
中に入ってきょろきょろしていると、お婆さんが「どこ探しているの?」と話しかけてきた。馴染みだった店の名前を言うと、一軒は廃業もう一軒も休業中だった。
無理も無いですね40年も前だから。そのお婆さんの店は50年前からやっているとかで、一寸一杯飲んで行きなさいと誘われた。
熱燗を一杯やってカラオケで1曲歌って帰ってきました。懐かしいねえ(笑)。
池鯉鮒宿へ
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