岡崎宿その1 2013.4.5
今日は午後から山歩会の岡崎ウオークがあるので、午前中に前回の新安城から岡崎宿の二十七曲りを歩いておくことにした。
8時半に名鉄新安城駅に到着、45分ごろには街道に復帰した。
上図左上の新安城付近から街道に入るとすぐ左手に相撲取りの像がある神社があった。横目に見ながら通り過ぎる。
この辺り街道の両側は工場地帯になっていて車の通行も結構多いが、松並木の保護にも努めているようだ。
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相撲取りの居る神社 |
松並木も保護されている |
明治川神社 |
明治川神社という大きな交差点を渡るとすぐ左手に永安寺というお寺があった。お寺は助郷の免除を願い出て刑死したこの付近の庄屋助太夫の霊を祀るものですが、
その境内のクロマツが素晴らしい。雲龍の松と呼ばれています。
この付近、宇頭茶家という知名なので茶屋があったようです。
9時10分頃、左手に熊野神社があり、その脇に一里塚跡がありました。説明を読むと、ここは鎌倉街道と東海道の交差点だったようです。
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近くの宇頭村の人が茶屋を営んでいたとか |
鎌倉街道との交差点 |
熊野神社 |
熊野神社を過ぎ更に歩くと街道は国道1号線と合流します。歩き始めて1時間、9時45分頃です。
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国道1号線と合流 9時45分頃 |
宇頭大塚古墳の上に建つ薬王寺 |
街道は国道から離れる。 |
ここからしばらく国道歩きですが、奈良時代創建の薬王寺があります。近くには宇頭大塚古墳というのもあるそうです。
国道歩き30分、10時15分頃、街道は左に国道から分かれます。この交差点は安城街道入口というので、南へ降る道は安城街道と言うのでしょう。
やはり国道から離れると街道の雰囲気が残っています。「ふきこ神社」と読むらしい、難しい名前の神社がありました。
誓願寺十王堂の付近では毎年5月8日から3日間「花のとう」というお祭りがあり、露店が並んで賑やかだそうです。
近くの神社の前には東海道の案内がありました。
矢作川の堤防の近くには、家康の長男で、武田との内通を疑われて切腹させられた信康ゆかりの勝蓮寺がありました。
ガイドブックでは矢作川を古い橋で渡るようになっていましたが、現状はその古い橋は取り壊されて無く、街道も消えているようでした。
10時40分頃、新しい矢作橋を右手上流側の歩道で渡りました。
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街道は消えてしまったか。潜って橋を渡った |
古い橋は完全に撤去されたようだ |
渡ると街道らしい道が右手にある |
渡ると右手に昔の街道らしい道が見えるので、その道に入るのが良いようです。
この辺りから、岡崎宿の二十七曲りが始まります。
岡崎宿へ。