姫街道

姫街道全図

上の図でグリーンの線が旧東海道、赤の線が姫街道です。姫街道は東海道のバイパスで、浜名湖の北側を通る60キロほどの道です。
東海道は新居関の厳しい取締りや、舞阪の渡しなどを嫌った旅人が利用したよです。本坂道と呼ばれました。

ただ余り脇街道の通行が多くなり、江戸幕府は大名や旗本の通行を禁じました。それで本坂道を通るのは大名の奥方や姫君と一般庶民ということになり、姫街道と呼ばれるようになったようです。

私は今、暇を見つけては東海道を歩いて東下りをしています。最近浜名湖を越えて舞阪まできました。それでそのバイパスである姫街道も歩くことにしたのです。当初は図の左端、御油宿の追分で東海道と別れ、豊川稲荷、本坂峠を越えて三ケ日宿、そして気賀、市野を経て見附宿で再度東海道と合流しました。

後年、江戸幕府は市野宿手前の追分で浜松宿に行くようコースを定めたので、現在もその道が姫街道(本坂道)になっています。
でも、姫街道を歩く現在の旅人は、浜松には行かず旧の道で見附宿を目指すようです。私もその予定です。

ただ、現在は池田の渡しが通れないので、一旦天竜川の手前で東海道に合流して天竜川を渡り、その後池田に北上してまた姫街道を辿ります。
この道は池田近道と呼ばれたようです。

2013年11月22日 御油〜三ケ日

朝8時50分頃名鉄の国府駅に着きました。国府は特急が停まるので御油駅より便利です。
東海道を少し引き返して、姫街道との分岐に着いたのは9時10分頃です。秋葉山道の石標や常夜灯があります。
木片で小さく姫街道とも書かれています。

姫街道078

ここから姫街道に入り1号線を越え、名鉄の線路を陸橋で越えます。陸橋からはすぐ近くに、今降りた国府駅が見えます。
まず今日は伊那街道との交差点にある豊川稲荷を目指します。

姫街道001

すぐに道端でなにやら調査しているらしい現場がありました。聞くと船山古墳関連の調査みたいでした。

姫街道081

9時37分に三河国分尼寺跡まで1.2キロと書かれた案内があったので、見に行きました。ところがその後なんの案内も無いので迷いました。近所の人に聞いて辿り着いたのは国分尼寺ではなく国分寺跡でした。

姫街道088

私は両方あることに気がつかず、隣の八幡宮を見てまた街道に復帰しました。10時17分でした。
筋違橋の交差点の案内で気づきましたが、もう行くのは止めました。今日は三ケ日まで25キロほど歩く必要があります。

姫街道094

その後は黙々と県道歩きです。街道の面影を残すものも無いようです。1時間一寸歩いて豊川稲荷に近づいたころ、牛丼屋さんがありました。11時25分、そこで昼食としました。牛丼は好物です(笑)。

姫街道101

11時50分過ぎには店を出ました。すぐに名鉄とJR飯田線の踏切がありますが、その手前に伊那街道との交差点があります。
先日、伊那街道を新城まで歩いたばかりです。この街道も根羽まで歩く予定です。

姫街道104

今日の予定の三分の一も来ていないのに12時です。急がないといけません。

姫街道002

と言う事で豊川稲荷さんも、もっと古いと聞いている三明寺も見ることなく歩きました。
今日は山仲間のWさんと一緒ですが、しゃべりながら歩いていたので、三橋一里塚跡というのは見逃してしまいました。熊野神社がありました。新宮の速玉大社の関連とか。

姫街道108

遠くに本宮山らしい山が秀麗な姿を見せていました。

姫街道113

豊川に掛かる当古橋というのが有りますが、その近くに往時の渡し場跡があり見に行きました。
説明によると昭和9年まで渡しがあったそうです。公園になっています。

姫街道118

豊川と当古橋です。12時50分頃豊川を渡りました。

姫街道126

さてここからはいよいよ姫街道一の難所と言われる本坂峠に向かって歩きます。

本坂峠へ