姫街道で東海道と合流
2013年12月10日
今日は前回日没で引き返した浜松市の遠州鉄道・自動車学校前から天竜川を渡り、磐田市の東海道見附宿まで12〜13キロを歩きました。
また時間的に余裕があったので、そのまま東海道を袋井宿まで7〜8キロを歩きました。メンバーはいつものWさんと二人です。
今日は天気予報で前線の通過が報じられ、11時頃までは雨の予報でしたが、駅に10時頃着いてみると、雨はあがってすっかり良い天気でした。
10時03分に出発しました。
最初の目標は大養禅院です。一寸道を間違えながら辿り着きました。県道261号線が姫街道ですが、旧道は時々離れます。
また県道と合流して少し歩くと小池一里塚跡ですが、気をつけないと見逃すような小さな石碑です。
八丁どうもとか呼ばれる技術専門学校のある広い道路の終わりに熊野神社がありました。10時40分頃です。
児童公園になっていて姫街道の親切な案内板がありました。でも街道を歩いているだけだと通りすぎてしまいそうです。
半僧坊里程石はありましたが、池田道分岐の案内は見つかりませんでした。この辺り、秋葉街道に近い性か秋葉灯篭があちこちに見られます。
下石田北という交差点から街道は県道314号線に変わります。直進して県道65号線を渡り、国道1号線の下を潜ると県道312号線ですが、それを渡ってT字路になった所が旧東海道です。ここから天竜川を渡るまでは東海道を歩きます。11時30分頃です。
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旧東海道から姫街道を見る |
分岐の説明板 |
金原明善の生家 |
T字路を左折して天竜川に向かいます。途中に暴れ天竜の治水に生涯をかけた金原明善翁の生家があります。
天竜川の堤防にぶつかる辺りが中野町と呼ばれるそうですが、そこには明治17年に銀行ができたとありました。天竜川の水運を利用した、木材や鉱石の流通基地として栄えたとありますが、銀行ができるほどだったのですね。
堤防にあるのが六所神社です。伊勢神宮の式年遷宮のとき御正殿の古材を頂いて建立云々の説明があった。ここから街道は天竜川の堤防伝いに上流の池田の渡しへ向かったようです。また、明治元年、明治天皇の下向の折、船を並べてその上に木の板を敷いて、初めて橋が掛けられたそうです。
現在は池田の渡しは無く、天竜川橋を渡ります。前回11月末に歩いたときに富士山が見えたので探しました。一寸薄いですが今日も見えました。
天竜川を渡って12時を廻りました。県道261号線側に行き、適当な食堂があったので昼食にしました。12時15分頃です。
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750円です(笑)。 |
池田の渡しへ向かう道筋 |
藤の花がマンホールカバーにも |
12時40分に店を出て、国道1号線の下を潜って街道は北上します。
見附宿へ