波田須から新鹿へ
2014年12月14日
大吹峠登山口の東屋を12時05分頃出発しました。
熊野街道を歩く場合、ほとんどが熊野本宮に向いて歩きます。
ところが今日は逆に歩くので、風景は新鮮ですが道を間違えそうで不安です。
波田須への降り口も道標が変な風に案内していて、私の記憶の場所と違うほうへあんないしています。一瞬迷いましたが記憶の方を信用して下りました。
左図の左下中波田須と書かれた辺りに下ってきます。
そのあたりにある文字岩です。
関ヶ原の合戦で西軍に付いて敗れた西丹後守という人が、後年仇討に来た相手を返り討ちにして、その晩年に自戒の意味をこめて、この岩を置いたとか。
その近くに徐福宮と言うのがあります。
昔、秦の始皇帝に命じられて、東方の蓬莱山にある不老不死の薬を探しに来た徐福が上陸したのがこの波田須です。
一族郎党を引き連れて来た徐福は、不老不死の薬が無いと始皇帝に報告するわけにもいかず、そのまま日本に住み着いてしまいました。
徐福の墓は新宮の駅前に徐福公園として残っています。
このような徐福伝説は日本各地はおろか朝鮮にも中国にも有るようで、どこまで真実かは解りません。
最近、中国では徐福の故郷とか、徐福が船出した街とかが日本人観光客で賑わっているそうですが、日本人観光客を呼び込むためのでっちあげという話もあります(笑)。
その徐福宮へ行く途中ですがくまの灘がきれいです。この日は晴天で海の色が良いですねえ。
リアス式の海岸線もきれいですね。熊野街道伊勢路のハイライトはこの辺りですねえ。
下の写真の左側の、こんもり丸く茂った大木が徐福宮です。
以前来たとき、寄せ書きノートを見たのですが、中国人も結構来ているので驚いたことがあります。
ご神体は徐福が持ってきたというすり鉢だそうです。上の大きな森はこの三本のくすの木とは驚きですね。
天台烏薬という木だそうですが。12時35分頃です。
徐福宮から急坂を登って波田須神社へ行く途中です。ここからの景色もまた絶景です。
波田須神社は国道のすぐ上にあります。
波田須神社から波田須の道という古道があります。鎌倉時代の石畳が有名です。
鎌倉時代はまだ石工の技術が発達せず、石をうまく加工できないため、自然石をそのまま利用している。
江戸時代に入ると技術が進み、石を小さく加工して持ち運びを便利にして石畳を作っているそうです。
短い波田須道を過ぎ、国道を右下に見ながら細い道をしばらく歩きます。そして小さなトンネルの上を越えてすぐ国道に降りてきます。
13時10分頃です。
5分ほど国道を歩くと、左側に古道が現れます。新鹿海岸に降りて行く道です。庚申さんが祀られています。
20分ほどの下りで新鹿海岸沿いの国道に合流します。
新鹿海岸は日本一kれいな海水浴場と宣伝していますが、実際きれいな砂浜です。今は閑散としていますが、夏場は一杯です。
トイレなどは今も使えます。しばらく休憩しました。13時30分頃です。
次は逢神坂峠に向かいます。