2015.12.16 東海道金谷宿〜岡部宿
我家の最寄り駅を6時に出て、名古屋、豊橋、浜松で乗り換えて、金谷駅到着は9時7分。一寸準備して15分に金谷駅を出発した。
前回は駅の裏側から線路を潜って出た右手にある一里塚跡で終わっている。そこから東へ金谷宿の街並みを見る。もう昔の面影は勿論無いが、そう江戸時代から変わっていないようにも見える。
|
|
|
9:25 本陣跡 |
一番本陣 柏屋 |
二番本陣 佐塚屋 |
10分ほどで左手の商工会の前に本陣跡があった。柏屋というのが本陣らしいが、他の宿場ではあまり見かけない、二番本陣、三番本陣の案内があった。
読んでいると、いろいろな事情で本陣が変わっていったらしい。
一番本陣から20分ほどで川越の案内や広場があった。資料には島田宿側の川越会所のことばじゃり出ていたので、当然金谷宿側にもあるのを忘れていた。
明治3年に川越人足制度が廃止され、1200人が失業した。その人足の生活を支え、自立させた中田源蔵という義人の碑があった。一寸、感銘を受ける話だった。
|
|
|
10:10 島田宿側 桜堤防 |
島田宿側 川渡しの図 |
10:20 島田市博物館 |
1キロの橋を渡って対岸の島田宿に入る。ここには立派な博物館や会所、宿所などが作られ、復元されたりしている。
ゆっくり、博物館など見物すべきだが、その時間を考慮していなかったので諦める。
|
|
|
川会所 |
10:30 街道の雰囲気を残す |
島田宿側 三番宿 |
川会所で10分ほど休憩したのち、風情の残る街道を島田宿の中心部へ向かう。
10分ほどで県道に合流し、しばらく県道を進む。10分で大井神社、また10分で本陣跡です。本陣の建物は無く、からくり時計が建てられていました。
一里塚跡とか〇〇跡の立札は所々にありますが、見るべきものは余りないようです。一寸県道を離れてまた県道に合流した所が六合駅前でした。
朝食が早かったので空腹です。駅のベンチでお握りを食べようと駅に寄りましたが待合室はありませんでした。
|
|
|
11:45〜12:05 お握り弁当 |
12:20 藤枝市に入る |
松並木がよく残っている |
駅の反対側に出ると八幡神社があったので、その境内で弁当を広げました。15分の休憩で弁当を済ませて再開しました。
15分で藤枝市に入りました。藤枝市に入ると松並木がでてきました。やはり松並木があると、東海道という感じですね。事実、この後も、松の木が道を教えてくれました。
|
|
|
12:50 千貫の大金をかけた堤 |
瀬戸の染飯(そめいい) |
13:00 東海道追分 |
瀬戸の染飯とは街道名物だったそうですが見たことも食べたことも無い。藤枝の駅で売っているとか。東海道の追分とは、江戸時代の東海道と中世の東海道はコースが違ったらしい。その分かれ道です。
追分から40分、志太の一里塚が勝草橋の袂にある。橋を渡ると藤枝の商店街が始まります。徳川家康ゆかりの藤枝とあります。
|
|
|
藤枝宿へ入る |
上伝馬 問屋場跡 |
14:05 家康ゆかりの解説 |
家康ゆかりは明日行く府中宿だろうと思いながら歩く。すると、そのゆかりの説明があった。家康が明智の追っ手を逃れて伊賀越えし、鈴鹿の白子町に来たとき、助けたのが小川孫三で、その孫三に藤枝で白子町を作って住むことを許した謂れが書かれていた。
|
|
|
|
14:30〜35 須賀神社の大楠 |
15:00 仮宿交差点 |
商店街を過ぎ、国道を渡ると須賀神社があった。そのご神木の大楠が素晴らしく、一寸休憩した。仮宿の交差点を陸橋で越えると、岡部宿はもう近いですね。
|
|
|
|
15:10 横内のあげんたい |
15:40〜55 岡部宿案内所 |
小さな橋を渡ると「横内のあげんたい」と書かれた変なモニュメントがあった。近所の方に伺うと、大たいまつだそうです。県道に合流して1号線を潜ると、是より岡部宿の大きな石の案内と灯篭があります。
途中コンビニで10分ほど休憩して喉を潤しました。傍に五智如来の石像がある観光案内所に入ってみました。女性の方が明日の宇津ノ谷峠のコースを詳しく説明してくれました。知らずに歩くと明治のトンネルへ入ってしまうそうです。
|
|
五智如来 |
16:00 きくやさん夕食 |
今夜の宿「きくや」さんは案内所から5分で、東海道からも近く、良い宿でした。
明日の宇津ノ谷峠へ