熊野街道松阪道普賢寺から相可へ
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和歌山別街道と合流 11時42分 |
一寸入った処に道標 |
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大楠から5分も歩くと左から和歌山別街道が合流してくる。前回この和歌山別街道で近長谷寺へ向かっている。そのとき「左くまの道」の道標を発見した。
一寸入った処に有ったが、川底から見つかったのを立てたそうなので、文面からすると先ほどの合流点にあったのではないかよ思う。いずれにせよ、ここを熊野街道が通っていた。
元に帰って合流点から和歌山別街道を5分も歩くと、普賢寺への道がある。
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ここを左折 11時52分 |
普賢寺への案内 |
金剛証寺への道標 |
そこを左折して神坂の集落に入って行くのが熊野道と佐奈駅前の看板には記されている。少し入ると石の道標が2基並んで居る。
これは普賢寺近くにある金剛証寺への道標です。ここはなかなかの古刹らしい。
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神坂の集落 |
普賢寺の表参道 12時03分 |
金剛証寺への登り口 12時10分 |
神坂の集落には普賢寺がある。前回訪れて閉まっているお堂を開けてもらって普賢菩薩像を見せてもらった。日本最古とも言える普賢菩薩像らしい。
小さなお寺なので探し切れずに帰る人もあるとか。金剛証寺の入口辺りが峠になっていて、そこからは新しく拡充された広い道が下っている。
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天啓公園入口 |
天啓公園12時30分 |
今日の弁当 〜12時55分 |
20分ほど歩いて天啓公園に着いた。ここに12時頃着いて昼食の積りだったので30分遅れか。東屋でお握りを食べていると、地元の人たちが多勢、池の周りをウオーキングしていた。
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経塚 13時02分 |
相可が見える |
相可で伊勢本街道と交わる |
公園のすぐ近くに経塚の案内があったので見に行った。佐田林庵という方が6万9千個余りの白石に法華経を写したものが埋めてあるとか。
20分ほどで相可の街に入る。道標広場は相可交差点の少し西にある。
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道標広場 13時23分 |
1863年建立 |
伊勢本街道 |
ここは伊勢本街道と交わる三叉路になっている。1863年建立というから、明治維新の4年前である。当時は、この辺りのどこかで櫛田川を渡る渡しがあったのでしょう。
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この辺が渡しだったか? |
両郡橋 |
櫛田川 13時32分 |
ここまでが多気町で、櫛田川を渡ると松阪市です。両郡橋は明治22年に初めて木造の橋が架けられたのだそうです。
その橋を渡って松阪市射和(いさわ)に入りました。
射和から松阪へ