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石原公民館から15分で51号線にぶつかった。その手前に切通の馬頭観音さんが祀られていた。
この馬頭観音は、今から200年ほど前1813年に木曽街道の道しるべとして建立されたと説明がありました。

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41号線にぶつかる 10時13分 切通しの馬頭観音

左折して国道の下を潜ります。潜ると左側に鳩吹山へのハイキングコースがあります。先ほど通って来た石原へ抜けるようです。
右側の山は土田城址とありました。

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41号線を潜る 10時17分 土田(どた)城址

土田城は室町時代の末期に建てられ、江戸時代の初期まで有ったようです。織田信長の生母が生まれた城とか。
syぐ可児川を渡ります。なかなかの急流で、ここで木曽川に合流します。

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可児川を渡る 10時23分 土田宿本陣跡

すぐに土田宿本陣跡があります。中山道から少し離れたこの位置に、何故宿場が有ったのか疑問に思いました。
説明では、中山道が整備される以前は、土田---善師野---犬山というルートがあったようで、織田信長が武田攻めの折、徳川秀忠が関ヶ原の合戦の折に泊まったと言う記録があるそうです。1694年に中山道の伏見宿が出来て土田宿は役目を終え、以後衰退したのだそうです。

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白髭神社で休憩 10時36分〜42分 富士浅間神社 11時10分

カヤバ工業手前の白髭神社の境内で少し休憩したりしながら、11時10分頃に旧中山道に合流しました。浅間神社があります。
少し中山道を引き返して太田橋の袂の今渡の渡し公園へ行ってみました。

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太田橋と今渡の渡し公園 中山道に入る 11時16分

ここは5年半前に歩いた懐かしい道です。下の写真のように、現在の中山道歩きでは、この太田橋で木曽川を渡ります。
上街道は一応ここで終わった訳ですが、懐かしい中山道をもう少し歩いてみようと思います。

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中山道は車道で面影は有りません。今渡神社を越えて20分ほど歩くとJRの踏切を越えます。

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今渡神社 中山道踏切 11時38分

中山道踏切と書かれています。道筋にもここは中山道との案内も出てきます。すぐに国道21号線に合流します。
可児駅近くの中恵土交差点に一里塚跡の小さな石碑がありました。

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一里塚跡 車屋ラーメン 11時58分〜12時21分

交差点の近くのラーメン屋さんで昼食、なかなか旨い。大盛ラーメン680円です(笑)。
店を出ると前方に木曽路の山々らしい峰がきれいに見えていました。

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木曽路の山々かな 御嵩町に入る 12時33分

店を出て10分ほどで街道は国道から分かれて、旧21号線に入ります。御嵩町に入ったようです。
御嵩町には伏見宿と御嶽宿の二つの宿場があります。御嵩と御嶽、どう使い分けるのでしょうか?
入って15分ほど歩くと伏見交差点ですが、手前右側に伏見郵便局の看板がかかった建物があります。

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伏見郵便局 12時48分 伏見交差点

その内部は現在、街角案内所のようになっています。入って洞興寺の場所を確認しました。
時間が有ったらお茶を飲んで行けと誘われましたが、辞退して洞興寺に向かいました。交差点を右折して300mほどです。

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洞興寺のサザンカ 12時58分 伏見子安観音

大きなサザンカの木があるこの寺は、新四国八十八札所にもなっています。子安観音も境内にあり、女郎塚があります。

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女郎塚 伏見宿本陣跡 13時09分

伏見宿が栄えた頃は多くの女郎が居たそうで、ここで亡くなる女郎も多かったとかで、供養塔が建立されたのだそうです。
引き返して街道に戻り、少し歩くと、伏見宿本陣跡がありました。

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旧中山道 比衣一里塚跡 13時31分

街道は旧21号線を少し出入りしながら進んでいきます。比衣一里塚跡を過ぎ、顔戸駅付近では可児川がこんどは穏やかな姿を見せます。

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顔戸付近の可児川 鬼の首塚 13時57分

鎌倉時代の無法者の首を埋めたという鬼の首塚を過ぎると、街道は21号線から右折して、名鉄御嵩駅方向に向かいます。

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名鉄御嵩駅 14時11分 駅前の願興寺

御嵩駅は名鉄では無くなったのかな?新可児駅まで別会社になったみたいですね。
駅の前は願興寺で、中山道はしの前を通って細久手宿へ向かいます。

細久手を越え大湫宿を過ぎ、大井宿までの間に下街道が分かれます。
その下街道で名古屋城へ戻る道をいずれ歩いてみましょう。

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