中山道草津から武佐
2016年9月4日(日)
今日は山歩会の皆さんと中山道です。今年上半期は東海道を桑名から京都まで歩きました。
それで下半期は、中山道で草津から名古屋の近くまで、引き返すことになり、今日はその第1回です。参加者は7名。台風12号が九州へ上陸しかかっている日のウオーキングです。
中山道と東海道は京都から草津まで同じ道です。草津で東海道と分かれた中山道は守山宿・武佐宿と進みJR東海道線に沿って岐阜まで進みます。
本来の東海道は草津から貴生川線・関西線に沿って亀山・桑名へと向かいます。
9時20分に草津駅に到着。一旦東海道と中山道の追分まで戻りました。そこから9時40分頃にスタートしました。
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JR草津駅 |
東海道・中山道の追分 |
草津川の北側にもこんな石碑があります。 |
追分からは草津川の下を潜って歩きます。途中、少し右に入ったお寺の前にも、東海道と中山道を分ける大きな石標があります。何でしょうね。
草津駅付近の街道は、国道から離れているので、なんとなく風情があります。
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9:50 駅前付近の中山道 |
渋川が地名らしい |
10:07 東海道線を潜る |
追分から30分ほど歩いて東海道線を潜って線路の西側に出ます。栗東駅付近は難しい字で綣(へそ)と読むそうです。一寸休憩しました。
すぐ近くの大宝公園に芭蕉句碑がありました。
句碑から1キロほど先の左側に十王寺というお寺があり、中に閻魔堂が有るようです。この辺りの地名も閻魔堂町です。
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10:22 栗東駅付近 |
10:36 芭蕉句碑 |
10:50 閻魔堂 |
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10:56 今宿の一里塚 |
11:04 安土宿土橋 |
安土宿 |
閻魔堂の交差点を過ぎ、5分で右手に一里塚が残っています。今宿一里塚で滋賀県内で唯一残っているそうです。安土宿に入ってきました。
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11:07 石標 |
11:25--11:55 昼食 |
12:06 野洲川を渡る |
安土宿を通り抜けた所で昼食にしました。替え玉自由と言うラーメン屋さんでした。
30分ほど休憩して出発、10分で野洲川を渡りました。三上山がきれいでした。
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お堂 |
12:26 背比べ地蔵 |
12:31 野洲駅付近 |
野洲川を渡ると左手に由緒ありそうなお堂があるのですが、謂れが一寸解りません。東海道線を再度潜り、10分ほど歩いて野洲駅に近づくと背比べ地蔵さんがあります。そのすぐ近くに朝鮮人街道との分岐が有ったはずですが、今回何故か見落としました。
東海道新幹線を潜ると小篠原地区ですが街道の風情があります。集落を過ぎると銅鐸博物館の案内があります。行ったことはありません。
昼食から1時間歩いて、皆、ぐったりしてきました。甲山古墳で日陰を求めて休憩しました。
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小篠原地区 |
12:56 銅鐸が出たのか |
13:00 甲山古墳 |
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113:25 小公園 |
14:00 平家終焉の地 |
14:10--25 道の駅鏡の里 |
小公園を過ぎ、8号線に合流すると「道の駅2キロ」の案内があります。それにつられて歩きます。今日は台風の影響で曇りのはずが快晴です。
清盛の三男宗盛が鎌倉からの移送途中、ここで斬首され、息子も切られたことから、ここを平家終焉の地とするそうです。
午後2時過ぎ、道の駅に到着しました。冷たい飲み物を飲み15分ほど休憩しました。
この辺りは、源義経が奥州へ向かう途中に元服した土地だそうです。
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14:30 義経ゆかりの地 |
14:32 鏡の宿 |
14:36 そばの花 |
鏡の宿は一寸風情があります。8号線を離れた街道の小川で梅花藻を見ました。そばの花も咲いていました。
祖父川に昔は橋が有ったのでしょう。今は8号線まで遠回りして川を越えます。
八幡社で8号線に合流するとゴールはもう少しです。法然上人の念仏教団が規制の仏教から迫害を受けて、弟子の住蓮坊も殺された。その首を洗ったと言う池がありました。
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14:58 祖父川を渡る |
15:21 8号線に合流 |
15:35 住蓮坊首洗い池 |
武佐宿に近づくと住友家総支配人伊庭貞剛生誕地がある。
そこから5分で近江鉄道武佐駅で、今日はここまでです。
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15:55 伊庭貞剛生誕地 |
16:00 武佐駅 |
反省会 |
近江鉄道で一駅のJR近江八幡駅で反省会。乾いた砂漠に吸い込まれるように生ビールが消えて行きました。
次回は武佐駅からスタートします。