東海道 三雲〜瀬田 石部宿、草津宿
2016年6月12日
山歩会仲間との東海道歩き5回目です。今日はJR草津線の三雲駅から草津を経て東海道線の瀬田駅まで25キロ弱です。
見所としては天井川が何本か見られることでしょうか。
9時20分頃三雲駅に5人が集合し出発しました。すぐ明治天皇の聖跡があります。明治天皇は江戸を視察に行かれたまま、まだお帰りでないというのが京都人の見方ですが、このとき16歳でした。
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9:23 明治天皇聖跡 |
三雲城案内 |
9:41 JRを渡る |
1キロ一寸歩くとJRの線路を渡りますが、そこに猿飛佐助の案内がありました。真田丸の影響でしょうか。渡ると道標と地図がありました。
その地図が詳しいので、一寸載せます。
現在地の左に大沙川隧道とあります。これは大沙川の川底が土砂の堆積でどんどん高くなり、それに連れて堤防をかさ上げしていったため、川底が付近の土地よりずいぶん高くなった。従って旅人は土手を登って川を渡らなければいけない状態だった。
それを明治に入ってから川の下にトンネルを掘り、平地で通行できるようにした。今、そのトンネルが土木遺産になっているそうです。
こうした天井川は全国に何百かあるそうですが、滋賀県は最も多く80以上あるそうです。その原因は地質にもありますが、寺院建築のため樹木の伐採が激しく、そのため土砂の流出が激しいのが原因だそうです。
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9:50 大沙川 隧道 |
街道の面影 |
石部宿一里塚跡 |
トンネルを潜ると弘法杉や三雲城の案内があります。街道の面影残る道を一里塚跡の案内など見ながら20分ほど歩くと、また天井川があります。
こんどは由良谷川です。
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10:12 由良谷川 隧道 |
10:26 家棟川平地化案内 |
10:44 きずな街道休憩所 |
隧道を潜り1キロほど歩くと家棟川という天井川を、こんどはすべて土手を削って平地化したという説明の案内がありました。いろいろ苦労していますね。
湖南市はこの旧東海道を「きずな街道」と呼んで美化したり休憩所を作ったりされているようです。
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西福寺 寺院が多い |
11:02 石部宿小公園 |
石部宿休憩所 |
この辺り、各宗派のお寺が非常に多く、檀家も限られるのに経営は大丈夫かと心配します。それに、この多くのお寺の建築に付近の山が伐られたのだなと納得もしています。東の見付けの案内を過ぎて10分ほど歩いた交差点の角に石部宿の公園がありました。
渡るとすぐ休憩所があります。素通りしてさらに5分歩くと街道は鍵の手に直角に曲がります。その角に田楽茶屋というお店がありました。8年前に歩いたときも有ったのですが、今回、営業しているか確信が持てなかったので弁当を持ってきました。
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休憩所付近 |
11:11 田楽茶屋 |
11:28 JR石部駅 |
11時半頃、石部駅の隣の交流センターのような建物のベンチをお借りして昼食休憩。50分には出発しました。
石部駅の前は石部宿の公園になっています。この辺りの説明には東海道の宿場と言うより、伊勢街道の宿場になっています。
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11:50 石部駅前公園 |
11:58 五軒茶屋道 |
旧街道 |
駅から10分ほどで五軒茶屋道の案内があります。8年前はこの案内は無く、ここを左折して山側を迂回して歩いた記憶があります。地図の青い線です。
この道は野洲川の氾濫を避けて作られたう回路だそうで、今回は元の東海道を歩きます。
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12:17 旧街道・五軒茶屋道出会い |
刀鍛冶 |
領境石 |
う回路より15分は近道です。昔の名残の出会いの常夜灯を見ながら街道を行きます。街並みに入ると、旧宿場時代の屋号もでてきます。
12時40分頃、右手に六地蔵の案内がありました。国宝か重文なのか解りませんが、ともかく有名な地蔵さんのようです。
六地蔵から3分で立派な木造建築がでてきます。和中散という薬屋さんのようで、江戸時代には相当手広く商いをされていた店のようです。
過ぎるとすぐ県道が接しますが、すぐまた右に分かれます。
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12:48 一里塚跡 |
手原醤油 |
13:12 稲荷大社 |
するとまた20分ほどで立派な建物が出てきました。今度は手原醤油というお醤油屋さんのようです。
そして5分、今度は赤い格子塀の稲荷神社がでてきました。Nさんが足に豆ができたかもと一休みです。
50人位の東海道ツアーの人たちが居ました。
そしてこの神社の境内に立派なD−51が飾られていました。何故ここにというのは不明です。
10分の休憩で出発するとすぐ手原駅前です。通り過ぎると東経136度の石標がありました。明石とは1度違いですか。
ため池の角を曲がると足利9代将軍義尚ゆかりの地の石碑がありました。応仁の乱の頃、六角氏征伐の陣を構えた所か。
「かわずら」という難しい読み方の標識を過ぎて突き当りがため池の堤防です。堤防の上を歩くように案内が有ったので登りましたが、草茫々で無理でした。
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13:32 足利9代将軍義尚陣地跡 |
かわずらと読む |
13:47-55 土手を登って見たが |
また下へ降りて歩くと新幹線を潜って草津市に入ります。これまでは栗東市です。本来はここで草津川の堤防へ登ったみたいですが、現在は国道1号線の上が歩けないため国道を渡ってから、引き返し気味に旧草津川を渡ります。過っては草津川も天井川だったのですね。
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一里塚跡 |
14:15 草津市に入る |
14:26 旧草津川 |
草津川を渡って草津宿へ入って行き道は、まだ街道の面影があります。大峰奥駈講などの看板がありました。
この辺りで雨がぱらついてきました。前途が若干危ぶまれます。
中山道との追分到着が14時35分。ここから南草津が30分弱、更に瀬田駅までが45分。1時間15分で15時50分着でしょうか。
本陣も素通りで南草津に向かいました。
街道沿いの太田酒造さんはバスツアーも立ち寄るスポットです。繁華街の外れにある立木神社は1200年の歴史があるそうですが詳しくありません。
天井川という名の地酒がありました。
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地酒 天井川 |
南草津駅入口 |
15:06 野路の一里塚跡 |
あるくこと30分弱で南草津の入り口に来ました。野路の一里塚跡が小公園になっています。雨も止んでいるし、公園で一休みして元気を取り戻し、瀬田駅まで頑張ることにしました。
10分ほど歩くと、野路の玉川跡という古来知られた土地の案内がありました。
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15:28 野路の玉川跡 |
15:34 弁天池 |
月輪辺り |
過ぎるとすぐ大きな池が有り、真ん中に小島があります。島には弁財天が祀られていて東海道弁天池の石碑がありました。古いため池のようですね。
月輪大池の案内があったりしますが、この辺りも街道の雰囲気を醸して良い感じです。一里山との境に東海道立場跡の石碑があります。
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15:54 月輪の立場跡 |
16:02 一里山で瀬田駅へ |
反省会 |
ここを過ぎると瀬田駅はもう近いです。小川の小さな橋を渡った所で街道を離れ、瀬田駅へ右折しました。
1号線を渡れば瀬田駅はすぐでした。
次回は三条大橋まで行けそうですね。