東海道 府中〜江尻〜興津

興津4032016年4月3日

久しぶりに東海道を再開した。今回は4泊5日で箱根を越えて小田原まで歩く予定。
でも今日は静岡に住む息子家族と夕食を共にする予定。

で、当初は、前回歩いてきたJR草薙駅の近くに宿をとって明日早朝から歩き始める予定だった。

でも運悪く明日の夜明け前から8時頃に掛けて大雨の予想。それで今日のうちに少し歩いておいて、明日の歩行時間を短くすることにした。

それで今日は草薙から清水港を経て興津駅まで10キロほど歩いておくことにした。
清水は宿場名としては江尻宿です。

海道一の親分清水次郎長で有名ですね。

長島からずっと鈍行で4時間弱、12時前に草薙駅に着いた。
ハトヤ旅館さんは駅の近くで、洒落たレストランを併設していた。

まだ早いけど部屋が使えるとのことで荷物を置かせてもらって12時40分頃出発した。

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草薙駅付近の考える犬 12:40 ハトヤ旅館さん 12:44 草薙神社

駅前の考える犬は、どんな謂れがあるのでしょう?県道を左折して清水方面に進むと草薙神社入り口です。草薙の剣でも有名ですが日本武尊が祀られているようです。街道が県道から分かれる手前に一里塚跡があります。地名も一里山だそうです。一緒に建てられている大きな狸も霊験があるそうです。

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12:58 草薙一里塚跡 東海道の道しるべ 13:13 狐ケ崎駅付近のため池

東海道にはずっと写真のような道しるべがあります。何年か前の東海道ルネッサンス全体に配置されたのでしょうか?歩き始めて30分ほどで狐ケ崎駅を通過しました。もうすぐ清水港に近づく頃「都田吉兵衛供養碑」というのがありました。説明を読むと清水次郎長に森の石松の敵として討たれた都鳥の吉兵衛のことでした。
街道筋では清水次郎長関連の史跡はこれだけでした。

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13:29 都田吉兵衛の供養塔 追分付近の街道 追分の石標

この辺りは追分と言うが東海道から清水港へ行く道が分かれるのでそう言うらしい。大きな石標には「これより志まず道」と彫られているとか。

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江尻宿の道案内 13:50 稚児橋は河童 江尻城跡

稚児橋は江尻橋の渡り初め式のとき、河童の子供が現れたそうで、この名前になったとか。江尻城は武田信玄が作り、穴山梅雪が守っていたが徳川に降伏した。
1601年に廃城となったとか。

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江尻宿案内板 14:16 清水駅 14:28 細井の松原

草薙駅から1時間40分弱で清水駅を通過した。そのまま10分強歩くと国道1号線と合流する。そこが細井の松原で、2代将軍秀忠が旅人の憩いのため植えさせた松が街道の両側に200本余り有ったそうです。第2次大戦中に伐採されたとか。

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細井の松原を過ぎて単調な国道歩きをしていると、左上にお城の天守閣が見える。この辺に城は有ったかなあと地元の人に訊くと、あれはお城ではなく、水道施設だと教えてくれた。

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15:10 お城じゃなく配水施設 15:17 横砂東町で一寸国道を離れる 15:34 興津 座漁荘

横砂という変わった地名で街道は一寸右に入る。すぐに踏切を渡り、国道1号線のバイパスを越える。そこで地元の小母さんが、国道沿いより1本海側の公園の道が今桜できれいですよと言う。そちらへ入って少し歩いたが、街道沿いの史跡を見逃してもいけないので街道に復帰する。

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当時は三保の松原が見えた 清見寺 興津宿案内

踏切から15分で西園寺公望の別宅「座漁荘」が有った。無料なので入って見ると庭に昔の写真があった。そうか家の縁側から三保の松原が見えたんだ。今は埋め立てもされ、静清バイパスも走って何も見えないけどね。興津は大正天皇が皇太子の頃清見寺に泊まって海水浴をされたり、伊藤博文など明治の元勲が別荘を構えていたのだそうです。

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薩?峠まで2時間か 15:56 興津駅 居酒屋で夕食

座漁荘のすぐ向かいに高山樗牛の仮寓跡があり、その横が清見寺です。前に興津宿の案内があります。そこから15分で興津駅でした。

明日は興津から富士市へ歩きます。