中山道醒ヶ井から垂井
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2016年10月23日(日)
今日は山歩会の中山道歩きです。醒ヶ井、柏原、関ヶ原、垂井と20キロほどを歩きましたが、非常に多くの遺跡や説明があり、見所の多い1日でした。

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9:11 醒ヶ井駅前 水の駅 9:16 街道に入る 西行水

9時過ぎに醒ヶ井駅に到着。一寸戻って、前回の中山道に復帰しました。
醒ヶ井は湧水の豊富な街です。鈴鹿山脈の北の端、霊仙山からの水でしょうか。西行水、十王水などがあります。

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十王水 醒ヶ井宿 梅花藻とハリヨの里

その清らかな水が地蔵川として宿場を流れ、梅花藻やハリヨを育んでいます。どこを写しても絵になる醒ヶ井宿の風景なので、なかなか前に進めません。

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梅花藻 9:40 居醒の清水 9:48 伊吹山

地蔵側の水源は居酔の清水と言われ、日本武尊の伝説も残ります。
街道に入って30分ほど、国道へ出る手前の道を右折、東の見附の枡形を登ると前方に伊吹山が見える。この付近は江戸から上って来ると前方の景色が開け、京の空が見えたという。

名神高速道路に沿って、少し歩くと一里塚跡がある。

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一里塚跡 10:04 国道21号線と合流 振り返ると中山道の案内

一里塚跡から10分ほどで国道21号線に出て右折する。ラブホテルの間ですが横断歩道も信号もありません。気を付けて。
渡ってラブホテルの裏に入ると、立派な中山道です。松並木も残っています。

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10:16 梓河内付近の松並木 10:31 バス停 10:43 小川の関

10時半頃、また国道に接します。信号も有って向こうに渡れますが、街道はそのまま進みます。梓河内のバス停があります。
バス停から10分ほど杉林の中を歩きますが、左に古い中山道があるそうです。小川の関と言う石標があり、そこで合流していたようです。

のんびりとした街道を15分も歩くと北畠具行の墓という案内があります。後醍醐天皇を助け、北条氏に反抗しますが、捉えられ、ここで死罪になりました。

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柏原へ向かう 北畠具行の墓入口 11:02 一里塚跡

すぐに柏原の一里塚跡です。一里塚には1本または複数の榎が植えられたそうです。成長が早く、根を張って、塚が崩れにくいのだそうです。
この辺りが柏原宿の西の見附です。10分ほどでポケットパークのある十字路に出ました。津島神社付近です。

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津島神社付近の交差点 11:15--50 歴史館 カレーライス大盛

交差点から3〜4分で歴史館があります。歴史館には入らず、併設の軽食喫茶に入りました(笑)。前回もそうでした。
この辺り、他に食堂は無いので貴重な存在です。

柏原宿は大きな宿場で、皇女和宮もここで泊まっています。八幡神社には芭蕉句碑がありました。
歴史館を出て25分ほどで宿場を抜け、JRの踏切を渡ります。

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柏原宿 12:05 八幡神社 12:16 JR東海道線

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旧東山道 12:35 寝物語の里 12:40 今須の踏切と国道を越える

線路を渡ると旧東山道の石碑があった。東山道は江戸時代以前の主要道であるが、江戸時代以降は中山道や甲州街道など五街道に集約され、東山道は消滅した。渡って20分、美濃と近江の国境があります。

小さな溝が国境なので、両側に建てられた旅籠は軒を接し、布団に寝ながら御客同士が話が出来たので、寝物語の里と言うそうです。
すぐに国道を越えると今須の宿です。

荒れ果てた不破の関跡を見ようとやってきた南北朝の頃の酔人が、屋根を修理したと聞いて、ここで引き返したという車返しの坂があります。

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車返しの坂 12:57 今須宿本陣跡 妙応寺

今須宿本陣跡の前に妙応寺というお寺があります。今須城主長江家ゆかりの寺です。そこから中山道歩きらしい人たちが、三々五々出てきました。
岐阜県の17宿を歩くイベントの1日だそうです。今日は70人で、柏原から関ヶ原まで歩いているそうです。

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今須宿浮世絵 13:04 今須一里塚跡 国道を渡る

妙応寺から3分で国道です。そこに今須の一里塚跡があります。この国道も渡るのですが、信号や歩道はありません。
今日は先ほどグループのお蔭で、係の女性が車を停めて渡らせてくれました。

渡るとすぐ今須峠なのですが、あれ、登りは有ったのかな?という程度です。

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今須峠 13:13 東海道線踏切 13:18 常盤地蔵

すぐにまた踏切を渡り、5分も歩くと常盤地蔵があります。奥州に逃れた義経の後を追った常盤御前は、ここで山賊に襲われ、死亡したそうです。
その墓もすぐ近くにありました。その墓は小公園になっていて10分ほど休憩しました。トイレもあります。

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13:20--30 常盤御前の墓 山中付近 13:37 黒血川

13時30分、公園を出て不破の関跡へ向かいます。
途中、黒血川という川がありますが、壬申の乱の折、大友・大海人両軍が激突して、多くの血で岩を黒く染めたそうです。

陸橋で国道を渡ります。不破の関跡はすぐ近くです。

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13:45 国道を渡って不破の関へ 関の藤川

関の藤川という川があります。黒血川と同じく多くの戦場となり、歌枕にもなっているそうです。
13時55分、不破の関跡へ着きましたが、先ほどのグループもうろうろしているし、我々は垂井まで行くので、資料館は見ないで先に進みました。

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13:55 不破の関跡 14:05 西首塚 国道沿い 14:10 関ヶ原西町交差点

5分で国道に出て右折、5分歩くと西首塚があります。線路の向こうに東首塚がありますが、特に西軍・東軍ではなく、戦死者の首を弔った塚だそうです。
関ヶ原西町の交差点を越え、脇本陣跡を過ぎて、関ヶ原駅の前を14時15分頃通過しました。

さらに15分ほど国道を歩くと街道は左に分かれます。すぐまた国道に接しますが、またすぐ分かれます。一つ軒の交差点です。
入ると松並木が残り、中山道の雰囲気があります。

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脇本陣跡 14:29 国道と分かれる 東町 14:38 一つ軒から入ると松並木

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徳川家康 最初の陣地 14:42 野上中山道祭 14:51 野上は間の宿

右手、国道の向こうに、徳川家康最初の陣地の旗が立っています。この辺りは野上と言い、関ヶ原宿と柏原宿の間の宿だったそうです。
今日はたまたま、その中山道祭をやっていました。雰囲気のある街並みが続きます。

2キロ弱街道を歩くと、再度国道を渡ります。広い国道になっていて、街道ははるか向こうに見えます。

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15:09 関ヶ原バイパスと国道を渡る 15:15 垂井一里塚跡 15:20 日守で国道とJRを越える

渡るとすぐ垂井の一里塚跡跡です。10分弱でまた国道を陸橋で渡り返します。そしてJR東海道線を踏切で渡ります。
渡って10分弱歩くと垂井宿の西の見附です。

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垂井宿に入る 15:35 南宮大社鳥居 旅館亀丸屋

見附から5分で南宮大社の鳥居があります。南宮大社は美濃の国一宮ですが、全国の鉱山の総本山だそうです。
旅館亀丸屋は200年以上続く旅籠だそうで、今も営業しておられるそうです。

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15:46 垂井駅 反省会は大垣で焼肉 大垣は自噴水の街

今回の旅はここまで。垂井駅に向かいました。
反省会の会場を探しましたが、2.3軒ある居酒屋さんは皆17時からで、諦めました。

一駅乗って大垣に行き、駅前近くの焼肉屋さんに入りました。
韓国人の女将さんで、なかなか本格的でした。


次回は加納宿(岐阜)を目指します。