余呉から間違って敦賀へ
2012年10月27日

柳ヶ瀬yogo21前回、中山道の鳥居本から余呉まで自転車で北国街道を辿りました。
今回はその続きで、余呉から福井県の今庄まで35キロの行程です。
ただ間に栃の木峠(標高550m位)があり累積標高差で500mは有るのが悩みです。

つまり、35キロは平地の場合徒歩で8時間から9時間と思いますが、標高差を考えると更に1時間プラスでしょう。
そうすると家を6時に出て余呉駅を8時に出発したとしても今庄到着は午後6時を過ぎる。最近の日暮れは早いので暗闇になりそうです。
それなら前回と同じく自転車にすれば良いのですが、500mも登るのは嫌だと悩んでいたわけです。

結局、余呉駅に車をデポして、栃の木峠まで急坂は押して登る、途中でバテたら引き返せばいいや、降りは自転車なら簡単だからとなったわけです
で、7時に家を出て9時前に余呉駅に着き、準備して9時10分頃には出発しました。


柳ヶ瀬yogo11ところで今回のコースは国道365号線の左右を出入りするだけで、迷うところは少しも無い1本道です。

それで、一応2万五千の地形図は準備したものの、充分迷いそうな場所をチェックせず出かけました。
それが結果的に失敗に繋がりました。

さて、図の右下余呉駅がスタートです。前回、下余呉で街道と分かれているので、そこまで引き返して北国街道に入りました。

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入るとすぐ「左権現越、右北国街道」の石標がありました。権現越えとは何処のことか一寸解かりません。

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蓮如上人御休息所の石碑もあります。前回同様、浄土真宗中興の祖と言われる蓮如上人の足跡は越前の吉崎御坊付近まで続くのでしょうね。
中之郷に鉛練比古神社という由緒ありそうな名前の神社がありました。比叡山延暦寺の守護神と言われる大山咋神がご本尊ということ以外によくわかりません。

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鉛練比古神社 左衛門之辻 街道の風景

左手に史跡左衛門之辻という石碑がありました。調べると、賤ヶ岳の合戦のとき、秀吉が陣を構えた場所らしい。
ともかくこの辺り、旧街道の面影残す風情ある街並みです。

街道は国道に出る手前で右折し、北陸自動車道の下をくぐって小谷の集落に入ります。
集落を超えると再度自動車道の下を潜って国道に合流します。しかしすぐ右に別れて柳ヶ瀬の集落に入っていきます。出発して40分、9時48分です。

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北陸自動車道をくぐって振り返っています 小谷の集落への道です 国道から柳ヶ瀬集落へ入る道です。

この柳ヶ瀬という集落が現在は寂れた小さな集落でありながら、なかなかのものでした。入ってすぐ立派な民家があり、近づくと明治天皇行在所の石碑がありました。ふーんと思って進んでいくと、今度は関所跡の碑がありました。なんでこんな所に関所があるんだと思いながら進むと、倉坂峠道の説明板があり、だんだん謎が解けてきました。

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柳ヶ瀬の鈴木邸 柳ヶ瀬の街並み 柳ヶ瀬関所跡の碑

柳ヶ瀬刀根柳ヶ瀬は左の図で見ると、今から私が訪ねる栃の木峠越えの北国街道と倉坂峠を越えて敦賀・若狭へと続く若狭路の追分にあたる訳です。

そこで1620年、ここを預かる彦根藩が交通の要衝として、ここに関所を作ったのでしょう。

それと柳ヶ瀬山の稜線に玄蕃尾城とありますが、これは柴田勝家が築いた城です。
当時、勝家は越前と近江の長浜を領有していました。この中間の柳ヶ瀬に城を築き、来るべき羽柴秀吉との合戦に備えて兵站の確保を図る目的で築きました。

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倉越峠の説明と道標

事実、賤ヶ岳の合戦では勝家の本陣はこの玄蕃尾城に置かれ、戦いは有利に進められていました。
ただ、佐久間盛正の暴走で、大垣から疾風の如くとって返した秀吉に敗れたのは有名な話ですね。

その時、勝家の影武者として討ち死にして勝家を越前へ落ち延びさせた免受勝介の墓も確か近くにあったと思う。

柳ヶ瀬さて、倉坂峠道の説明を見た後、街道は一旦国道に合流します。

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左の図をみてください。
ここで北陸自動車道は大きく左にカーブして、敦賀を経由してから今庄や福井に向かいます。

一方、北国街道である国道365号線は、まっすぐ北上して栃の木峠を越えて今庄に向かいます。

私はこの二つの道しか頭に無く、図の県道140号線が柳ヶ瀬トンネルを抜けて敦賀に通じていることなど全く頭にありませんでした。

それで、街道はこのまま国道を進むのではなく、旧道が右に分かれて自動車道の下を潜ってからまた合流すると、うっすら頭に残っていました。

それで間違えて140号線に入り、柳ヶ瀬トンネルの入り口にきたときも、これで北陸自動車道の下を潜るんだなと思いながら入ってしまいました。
入り口の自転車、歩行者進入禁止のマークも見過ごしてしまいました。

柳ヶ瀬027入ると乗用車1台がぎりぎり位の狭いトンネルで、降り勾配です。
気持ちよくトンネルを走っているうちに可笑しいことに気づきました。

本来登りのはずなのに、降りでしかも異常に長い。

しかし、真っ暗なトンネルで、後から車でも来ると困るので、そのまま1.5キロのトンネルを走り抜けました。
トンネルを出て、一寸下った広場で地図を広げ間違いに気づきました。

引き返してトンネルの入り口で、自転車通行禁止に気づきました。
一方通行の登り勾配のトンネルを、通行禁止を無視して自転車を押してノロノロあるく元気はありません。

しかし、このトンネルが自動車専用とすると、徒歩や自転車の場合、北国道へはどう行くのでしょうか?
昔の旅人は、前述の倉坂峠越えで旅をしたのでしょう。でも自転車では無理そうですね。
ここは諦めて敦賀へ降ることにしました。

行程の距離的には三分の一、時間的には八分の一程度でリタイアとは残念でした。
また次回、同じ道を辿る必要があります。

まあ、あきらめて、間違った行程の残りを楽しみましょう。

敦賀散策は次のページで見てください。

北国街道の続きはこちら。