自転車で伊勢参り
自転車で熊野街道伊勢路を走ってみようかなと思った。伊勢路は伊勢神宮から熊野本宮大社まで200キロほどかなと思う。
そのためにはまず伊勢神宮まで行かないといけない。それで今回スタートした。
長島の自宅から伊勢までは国道23号線を走れば90キロほどかなと思うが、それでは面白くない。桑名の七里の渡しから四日市の日永追分までは旧東海道、そこからは旧伊勢街道を通って伊勢神宮へお参りすることにした。
宿は内宮から10キロほどの 二見のユースホステルにしたので、1日目はは110キロ位かな。
旧東海道や伊勢街道を辿るとなると、地図を見ながらではとても時間が掛って走れない。
幸い、伊勢街道は8年前、熊野街道伊勢路は10年前に歩いているので、いくらかは覚えている。それを頼りに出発することにした。
それにしても時間がかかりそうなので、桑名市内の東海道は前日に走ってみた。
尾張大橋西詰に明治初期に建てられた東海道の石碑。桑名市街に入ると参宮国道の大きな石碑。
そこを左折して海岸へ出た所が七里の渡しです。ここをスタートに次の目標は国道1号線を西に渡った矢田の立場です。桑名城の堀のそばを進み右折すると昔の鋳物の町鍋屋町です。珍しい梵鐘屋さんがあります。
立場というのは宿場と宿場の間にある飲食店街のようなものです。
これから旧東海道は国道1号線と平行して少し西を南下して行きます。
町屋川では橋が無いため国道に迂回してまた復帰します。ここまでは前日に走っておきました。
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矢田の立場 |
町屋川の案内 ここに橋があったのか |
2011年3月26日
さて今日はここから7時40分のスタートです。
近鉄の伊勢朝日駅の踏切を渡って、街道は近鉄とJRの間を南下します。富田で近鉄とJRは東西を入れ替わりますが、街道はあくまでその間を行きます。JRの富田浜付近には力石、近鉄霞ヶ浦付近には街道なごりの松があります。一旦国道に出て海蔵川を渡りますが、堤防には三つ谷の一里塚跡があります。
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力石 重さ32貫 |
街道なごりの松 |
三ツ谷の一里塚跡 |
海蔵橋を渡って四日市の中心部に入ります。大きな石標を見ながら諏訪神社に到ります。街道はこの商店街を通っています。
この辺りで9時一寸前、お参りして今度の旅の安全を祈願しました。
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大きな石標だが複製らしい |
諏訪商店街の中を通る |
日永追分の大きな石標 |
9時ごろ出発して次の目標は日永追分です。商店街を抜け、道なりに近鉄日永線沿いに25分ほど走ると、追分にでました。大きな石標のあるここ追分は、美味しい湧き水があるので、いつも水汲みの人が絶えません。さあここで東海道と別れて、いよいよ参宮道、伊勢街道です。
県道103号線を南下しますが、次の目標は鈴鹿市の神戸の見附です。内部川を渡り、県道の西側を南下しますが、今日は風が強い。天気予報で風力9とか10です。幸い街道筋は民家が多く風は弱い。
だけどこの辺りは田圃で風を遮るものがありません。幸い北西の風でまともな逆風で無いのが救いです。南西の風だったらギブアップでしょう。
鈴鹿川を高岡橋で渡って南下します。追分から30分で神戸の見附でした。見附とは町の出入り口の木戸でしょうか、夜には閉められたようです。
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神戸の見附 |
弥都加伎神社 |
ここ神戸は吉良の仁吉で有名な荒神山の近くです。街道は近鉄鈴鹿市駅の近くを通り、進路を南東に変えて海岸へ向かいます。JRや国道23号線を越え、また23号線に近づいて、ややこしい動きをしながら弥都加伎神社やフジクラ電線のそばを通って江島で近鉄本線を越えます。
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白子の大きな石標 |
見事な松があったので |
白子の町に入っても街道は複雑な動きをしますが、8年前の記憶が断片的に蘇り、何とか旧街道を辿って行きます。大きな石標が今も健在でした。
堀切川で一旦23号線を越え、平行して中の川まで進んで川を渡り、少ししてまた国道の海岸よりに街道は進みます。
千里の駅で伊勢街道はまた近鉄を越えますが、私はそのまま巡礼道にはいりました。二つは江戸橋の近くでまた合流することが解っています。
この辺で11時頃、昼ごろには津に着いて昼食を食べないと、目的の伊勢神宮が怪しくなります。
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伊勢街道(左)と巡礼道の追分 |
江戸橋も木製の欄干に変わっていた |
ラーメン定食(笑) |
立派な門前の松のある神社や白郷稲荷神社を見ながら伊勢街道との追分に着いたのが11時24分、江戸橋を渡ったのが11時半でした。
津駅前を通り、塔世橋を渡って津観音の近くの中華食堂で昼食にしました。11時36分、走行距離は54キロです。ラーメン定食を食べて、40分ほど休憩して店を出ました。すぐ近くの津観音にお参りしました。
次いで大門商店街を通り、岩田橋を渡って、少し国道を走った後、閻魔堂のほうへ斜めに左折します。閻魔堂付近は当時店屋で相当賑わったそうです。
垂水で国道を渡り進むと、以前あった4分間の片側交互通行の信号は今も健在でした。いまでも、そんなことあるんだ。
高茶屋の駅を過ぎて、雲出橋の袂で常夜灯を見て、松浦武四郎記念館を見たまでは良かったが、自転車ナビに入れた松阪商人の館で間違ってしまった。
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高茶屋付近の六地蔵堂 |
雲出橋の常夜灯 |
ナビは42号線を案内し、奈良街道の追分と市場庄の町並みを通過したのは失敗だった。
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松浦武四郎 記念館 |
松阪商人の館 |
ともかく坂内川を渡って松阪商人の館に着いたのが13時40分、和田金のすき焼は素通りして、駅前の大きな石標を見ます。ここは和歌山街道との分岐点です。
そのまま進むと、8年前あった懐かしい映画館は健在でした。
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左さんぐう道 右わかやま道 |
レトロな映画館 |
ここも閻魔堂 |
東松坂付近で、ここにも立派な閻魔堂があります。覗くと大きな閻魔様が祀られていました。JR徳和駅を少し過ぎた左手の田圃のあぜ道に女人供養塔があります。明治の建立ですが有名らしいです。
もう少し行くと、外宮まで4里の石標があります。伊勢まで16キロ、旅も終盤に近づいています。14時10分です。
斎宮駅までの途中右手に気になるお寺があるのですが、前回同様今回も素通りしました。
斎宮は駅の向こうで見えません。近鉄斎宮駅を越えて、すぐ竹神社というのがあります。お参りしてみると、社殿は簡素ながら歴史を感じました。
伊勢に近づくと、民家の建て方が変わります。普通、街道筋の民家は街道に屋根の庇側、つまり長い方を面しますが、伊勢の民家はツマ側を街道に面しさせます。なにか理由があるのでしょうね。
へんば餅本店を過ぎ、ここまで来てそう間違える理由も無いですが、宮川橋でなく渡会橋に出てしまいました。ここは明日、熊野街道で渡るべき橋なので再度引き返して宮川橋を渡りました。何十分かのロスです。走行キロは100キロを超えました。
そうこうしながら筋向橋を経て万金丹の前を通って外宮へ着いたのは15時50分で、予定より20分は遅れてしまいました。
とりあえずお参りして、次は内宮へ向かいます。外宮から内宮の間は往時古市街道という4キロほどの道がありました。ここは大きな遊郭があり、妓楼80軒遊妓1000人を数えたそです。「伊勢参り皇大宮へも一寸寄り」と歌われていました。
小田橋を渡り古市へ入りますが、今は昔の名残りはありません。唯一、麻吉旅館というのが江戸時代から今も営業しておられます。表から見ると木造二階建てですが、裏から見ると五階建に見える傾斜に建てられた面白い建物です。一度泊まりたいのですが、予算に合わず、今回も二見のユースホステルです(汗)。
今回の参宮道は、強い風で悩まされた場所もありましたが、登りはありませんでした。でもこの古市街道は一旦登ります。そして大きな両宮常夜灯が二基現れると、そこから急な下りです。下りきった左手が猿田彦神社です。猿田彦神社は道開きの神様とかで、今日明日の無事を祈って参詣します。
おはらいまちに入り、多勢の人で自転車は押して歩きます。赤福や修学旅行で懐かしい岩戸屋を過ぎて内宮の前、宇治橋に辿りついたのは16時40分でした。
内宮はお参りすると、少なくとも30分は必要なので、ここから10キロほどの二見のYHが夕食の6時までに入れと言われているので、お参りは明日にしました。ここまで108キロでした。
戦国時代村の近くにある大江寺へ着いたのは17時41分、走行キロは119.46キロ、私の最高不倒距離でした。まあアップダウンが少なかったからねえ。
YHは初めて泊まりますが、ここは和室で、空いていれば個室です。これは良いですねえ。沖縄のドミトリーは2段ベッドかカプセルですね。
食事は安いのでこんなもんでしょう。でもお酒がお鍋と湯のみ茶碗で出てきたのは笑えました。でも実質関係ないから、私としては満足でした(笑)。
10時の消灯を待たず、9時半には寝てしまいました。明日は熊野街道へ行きます。
翌日の熊野街道へ