東海道 関宿〜土山宿
2008年4月29日
今日は時間が出来たし天気も良さそうなので東海道を歩いてみようと思い出かけました。
わが家から関宿までは以前参宮道や大和街道を歩いた時、東海道と重なっているので歩いている。
また、今年中山道を歩き始めたので、京都の三条大橋から草津までは歩いている。そう考えると関宿から草津までの52キロほどを歩けば、わが家から三条大橋まで繋がることになる。
京都に実家のある私は、車では良く国道1号線で京都まで走っている。そして1号線の近くを旧東海道が通っていることも知っている。だけど歩いてはいないということで、以前から気になっていたのでした。
さて東海道ですが、三重県の関宿からは難所の鈴鹿峠を越え、土山、水口まで26キロ9時間の行程をこなさないと鉄道の駅はありません。水口から草津はJR草津線沿いなので好きな時間に歩けます。
9時14分、関駅に到着、陸橋を渡って宿場に入って行く。街道沿いは電柱が1本も無く建物も往時の面影を残すよう努力されている姿は何回来ても感心する。
「関の小万」の墓をちらっと見て、「関の地蔵さん」で有名な地蔵院の傍を通って西の追分に着いたのが9時45分です。無料の休憩所でパンフレットを入手したりして10分ほど休憩しました。
大和街道はここで別れて国道25号線を南下していきます。
出発するとすぐスーパーオオクワの配送センターがあり、その辺りに「転び石」があったらしいのですが見逃しました。
国道と分かれて右に入り、また国道を渡って石灯篭のあるお寺のそばを街道は行きます。
すぐ又国道に出て、ここからしばらくは国道歩きです。前方には筆捨山が見え、右下に流れるのは鈴鹿川です。
コミュニティバスの筆捨山停留所を過ぎ、市瀬の集落を過ぎる頃街道は右に国道から離れて、沓掛の集落に入って行きます。10時45分、沓掛公民館を通過しました。
ムードのある沓掛の集落を過ぎる頃、坂下宿右への案内があります。道脇に丸太の柱が立てられ、1本1本に東海道53次の宿場名が書かれています。
入るとすぐ左手に鈴鹿馬子唄会館があります。一寸入ってみましたが展示物としてはそうありません。唄が聞けるようですが、先を急ぐので退散しました。11時です。
坂下宿は本陣が3軒、脇本陣が一軒あったそうですが、現在は全て取り壊されています。
わずかに松屋本陣の建物の一部が法安寺というお寺の庫裏の玄関に移築されています。
知らずに法安寺に入った私は立派な玄関だなと見とれたものです。
この辺りで時刻は11時15分でした。
旧街道にしては非常に広い坂下宿の街道を鈴鹿峠に向かいます。途中、金蔵院という古刹の石垣が残っているらしいのですが見逃しました。
国道1号線の上り車線と接した所に、右に登る急な丸木の階段があり、片山神社を経て鈴鹿峠と書かれています。でもこれは東海自然歩道の案内で、旧東海道は国道1号線に沿って500mほど歩いてから、右に片山神社へ向かいます。
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東海道の道案内 |
ここで国道と分かれる。 |
片山神社への道 |
片山神社到着は11時40分。鎌倉時代にはすでに有ったと言われる古い神社ですが、現在は荒れ果てています。本殿は焼失し神楽殿も危険につき立ち入り禁止とされています。立派な石垣だけが往時を忍ばせます。
11時50分、右手の急な灯篭坂を登り神社の上に出ると、国道1号線のコンクリートの橋脚を潜ります。階段を登って一寸した広場に出たあと芭蕉句碑の前から上りに入ります。馬の水呑場跡を越えて10分も登れば鈴鹿峠です。12時20分でした。標高は378m、左折すると高畑山への道です。途中で鑑岩への道が左に分かれます。
鏡岩からは今登ってきた坂下宿方面の景色が素晴らしいので、是非行ってみましょう。
鈴鹿峠を境に伊勢の国から近江の国に入ります。そこに大きな万人講常夜灯があります。
そこに一寸した広場とベンチがある事を高畑山登山で知っていたので、今日の昼食はそこと決めていました。
ペットボトルで持ってきた焼酎と助六・魚肉ソーセージでささやかな小宴を開きました。天気は快晴、風も無く新緑に包まれての小宴、これは何事にも変え難い至福の時間です(笑)。
とは言え先もあるので焼酎はほどほどにして20分で小宴は切り上げました。12時50分の出発です。
ここから土山までは旧道は定かでなく、殆どが国道歩きだそうです。峠から降ってくると土山に向かって国道の左側の歩道に入ります。ここで地下道を潜って右側に出るのが良いかもしれません。私はそのまま左側を歩きました。
すぐに昔時々利用した山賊茶屋が左側にあります。何年か前から営業は停止して、今は残骸の状態です。山中の信号が13時5分、右側に石仏群が見えたので国道を横断して見に行きました。
のどかな農道があったので、しばらく国道を離れました。また国道に出ると、今度は反対側に十楽寺というお寺があり見に行きました。前方を見ると今年3月に開通した新名神高速道路が雄大に見えてきます。
又右側に渡って山中宿のポケットパークを見て、少し残っている旧道に入ります。13時35分、新名神の下を潜ると又国道に合流します。そこには鈴鹿馬子唄のポケットパークがありました。
国道を10分歩くと猪鼻の信号です。ここは鈴鹿スカイラインの入り口でもあります。
向かい側には金毘羅さんがありました。
信号から500mほど歩くと街道は右に分かれます。この辺りを蟹ヶ坂と言って古戦場だそうです。土山の白川神社のお旅所がありました。
少し街道の面影を感じながら歩くと、すぐ工場があります。工場のそばを通り過ぎると田村神社の森が見えてきます。平成17年に田村川に街道の橋が架けられ、国道へ迂回せずにそのまま田村神社の境内に入れるようになっていました。14時12分の到着です。
田村神社は坂上田村麻呂を主祭神とする歴史ある神社です。平成24年の坂上田村麻呂鎮座1200年に向けて社殿の修復が行なわれていました。お参りして、国道を渡り、道の駅土山に着いたのは14時30分でした。
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神楽殿?は修理中だった |
かにヵ坂飴 |
昔はこうして吊るしていた |
土山には鉄道は有りませんが、町営のあいくるバスというのがあります。時刻表を見ると次は15時31分でした。
街道入り口に「蟹ヶ坂飴」を昔から手作りする店があります。入って一袋買いました。昔は一袋ずつ縄で縛ってぶら提げていたそうです。
時間もあるので近くのコンビニで発泡酒を買い、バス停のベンチで飲みながらバスを待ちました。
次は
土山宿〜水口宿へ移動してください。