東海道 土山宿〜水口宿
今日は出発時間が遅いので、鈴鹿峠越は無理ということで、土山から水口の10キロほどを歩くことにしました。
土山の東入り口に田村神社があり、その前に道の駅があります。その道の駅に車を置き、歩き始めたのは午前10時半でした。
国道1号線沿いの道の駅の東側が街道ですが、その入り口に「かにが坂飴家」がある。古くからの土山名物らしいのですが、この日は閉まっていました。
鈴鹿馬子歌に「坂は照る照る鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る」と歌われているのは有名ですね。
この土山宿は東海道49番目の宿場で、案内看板を見ると旅籠の数が数え切れない、相当栄えた様子がよくわかります。実際は44軒の旅籠があったらしい。現状残っている建物は無いようですが、表札や石碑で案内すると同時に町並みの保存にも気を使っておられるようです。
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往時の屋号を掲げている |
安藤広重の土山宿 |
橋も雰囲気を出している |
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白川橋も国道にある |
石標もいたるところに有る |
伝馬館の展示 |
カラー舗装された雰囲気のある街道を30分歩くと本陣跡で、近くの伝馬館には往時の資料がいろいろ展示されています。入場も無料です。
また土山は森鴎外ともいろいろ繋がりがあると説明されていました。少し歩いて車道を横断すると大黒屋本陣跡がありました。大名などの往来が多く、本陣だけでは捌ききれなかったため、当時の旅籠の大手大黒屋に、もう一つ本陣を作らせ認可したらしい。
更に20分程歩くと、街道は1号線を渡ります。そして野洲川を渡った訳ですが、今は橋が無く野洲川は渡れない。手前の案内に従って再度国道を渡り、歌声橋という歩行者専用の橋を渡って街道に入っていった。11時半でした。
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右が旧東海道 |
野洲川が渡れないので迂回しなさい |
道案内 |
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歌声橋 |
歌声橋から野洲川を見る |
頓宮村たばこやとある |
この辺りから集落は頓宮に変わります。斎王頓宮があった場所です。天皇の代参で伊勢神宮に参拝に向かう斎王が休憩宿泊した場所です。
途中、普通の民家なのですが手打ち蕎麦の看板を掲げる店があり、心が動きました。でも一寸時間が早いので、次に街道が1号線と交差する大野まで待つことにしました。実際、1号線沿いにはいろいろな店がありますが、旧東海道には飲食店は全くありません。
途中、瀧樹神社というのがあり参拝に心動きましたが4丁と書いてあったので遥拝に止めました。
前野、市場と過ぎて三軒屋へ向かうあたりからは東海道の松並木が残っています。多分街道の面影残す一番の松並木でしょう。この辺り、野洲川を見下ろす堤防の上だったようです。反野堤という案内もあります。花枝神社の鳥居の前を通って大野に着いたのは12時半過ぎでした。所が悲しいことに大野周辺には食堂の影も形もありませんでした。
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花枝神社は国道の向こうか |
土山大野の国道 |
今宿辺り、京都新聞の看板がある |
そのまま国道を渡り、やや高台の街道を行きます。徳原では日野への道が下を潜っています。30分ほどで又国道に戻ってきますが、ここには「今宿」と刻まれた石碑と常夜灯が目を引きます。
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今宿の石碑と常夜灯 |
一里塚跡 |
可愛い石仏が集められていた |
国道はここから水口宿に入って行くのですが、現在は水口バイパスが国道になっています。旧東海道は、この二つの国道の間を通っています。一里塚を見ながら、お腹を空かせて歩いて行くと、左下の旧国道のコンビニが見えました。おにぎりでも買おうかと思いましたが、もう水口も近いし、どこか食堂で暖かい物を食べたいと我慢しました。
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一旦旧国道に出て、また右へ |
八幡神社 |
トンカツ定食 |
一旦旧国道に出て又離れると大きな杉の樹がある神社がありました。観音堂もあり由緒ありげな八幡神社でした。
その近くにようやく喫茶店があり、やれやれと昼食にしました。1時半です。コーヒー付トンカツ定食で800円でした(笑)。
2時10分に出発、街道は一旦右に登り、日野水口有料道路を横切ります。山川橋を渡ると水口宿の東の見附跡があり、すぐに旧国道を横断します。
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曳山蔵 あちこちに有る |
ここは右が正解か |
問屋場跡 |
いよいよ水口宿に入っていきます。商店街を歩いて行くと道は幾つかに分かれます。宿場に入ればどこが街道ということも無いのでしょうが、一応真中の道が東海道です。本陣跡や問屋場跡などがあります。
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バス停にはからくり時計があった |
旧東海道 |
曳山のあるまち |
また水口の街は曳き山が行なわれるらしく、街のあちこちに山車の倉庫がありました。
まっすぐ商店街を歩いて、2時45分、近江鉄道の水口石橋駅に着きました。
水口から草津へ