2011年3月12.13日 2005年のワンゲル同窓会はこちら
ここ5.6年恒例の「やまびと」の熊野古道例会で今年は高野山町石道に行きました。
町石道は熊野古道とは言えませんが、紀伊山地の霊場とその参詣道ということで、同時に世界遺産に登録されました。
また、高野山と熊野本宮を結ぶ道が熊野街道小辺路と呼ばれています。
さて、前日に東北沖で大地震そして大津波で甚大な被害が出ているなか、こんなときに行ってもよいのかという疑問もありましたが、蓋を開けると15人の参加者全員が大和高田に揃いました。家に居て1日中テレビにかじりついているより、参詣道を歩く方が良いかもしれません。
高野山は平安時代初期に弘法大師空海によって開かれた真言宗の根本道場です。標高820mに広がる宗教都市で、寺院は金剛峰寺を中心に117、僧侶は1000人、町民は4000人と聞いています。
町石道は古来の参詣道高野七口の一つで和歌山県の九度山から大門口へ登る道で、高野山の西の入り口でしょう。
南海高野線の九度山駅到着は11時5分、真田の道を歩きます。九度山は真田雪村が大阪城に入場するまで隠遁生活を送った場所で、今も真田庵として残っています。
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九度山駅に15人が到着 11時05分 |
真田道 |
真田庵 |
11時45分頃、空海の母も滞在していた慈尊院に到着しました。女人高野と言われ、安産の神様とも言われています。
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慈尊院へ到着 しだれ梅がきれい |
安産祈願で母乳がでるよう奉納されている |
丹生官省符神社への石段の脇に180町石 |
町石はこの境内に180町の町石があり、ここからスタートします。お隣の丹生官省符神社にもお参りして、今回の旅の無事を祈りました。
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丹生官省符神社で旅の安全祈願 |
179町石 |
柿畑の中を登る |
12時に出発して急な登りを30分で柿畑の中に展望台があります。そこで紀ノ川の流れや橋本・九度山の町を眺めながら昼食にしました。これから行く高野山の楊柳山や弁天岳も見えています。
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展望台で昼食 1時30分 |
右端が弁天岳 |
六本杉の広場 2時15分頃 |
1時10分に出発、1時間一寸の登りで六本杉です。ここで町石道と別れて天野へ下ります。空海に高野山を貸したという丹生都比売神社(にゅうとひめ)に参詣するためです。
20分の下りで到着です。赤い大きな太鼓橋が眼にしみます。昔も、この神社にお参りしてから高野山に参詣するのが慣わしだったそうです。
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赤い太鼓橋 |
丹生都比売神社 ここも世界遺産 |
ここから二つ鳥居へ登る |
元来た道を引き返して六本杉に戻り、町石道を辿るのもありますが、時間の都合で一部町石道を割愛して二つ鳥居へ登りました。約30分の登りで3時20分の到着です。
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待賢門院の墓とか |
フキノトウ |
二つ鳥居 3時20分 |
この辺で標高は650mで、今日の行程ではもう登りはありません。紀伊高原ゴルフ場の周囲を辿りながら笠木峠に向かいます。
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ゴルフ場の縁を歩く |
コウヤマキも植えられている |
ぼたん鍋の主も多いようだ |
笠木峠までは約1時間、ここで上古沢駅への道が分かれます。そこから50分、5時15分に今日の目的地矢立に降りてきました。
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笠木峠 4時25分 |
矢立の60町石 5時15分 |
やきもちが名物の矢立茶屋 |
5時半に今夜の宿美嶋荘さんに迎えを頼んであります。昔はかつらぎ町と高野山は梨子ノ木峠越えの厳しい道でしたが、5年程前トンネルが出来て大幅に短縮されました。
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かつらぎ町の美嶋荘さん |
ぼたんですねえ |
楽しい語らい |
温泉に入って、今夜の夕食はボタン鍋です。楽しい語らいは夜遅くまで続いていたようですが、よく覚えていません。
翌日は7時朝食、45分には出発しました。8時に昨日の矢立に着き準備体操です。
この矢立茶屋は近くの花坂にある焼餅の本家が出しているのだそうです。
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ここから登ります 8時02分 |
59町石かな |
袈裟掛石を過ぎて |
矢立付近は標高480mなので、今日は340mの登りということになります。
8時過ぎに登り始めて、袈裟掛石、押し上げ石と過ぎて行きます。
高野山に近づくにつれ、杉の木が太くなって行きます。何百年の歴史を感じさせます。
45分ほどで車道を渡ります。ここは40町石なので3分の1来たことになります。
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杉の木が太くなります。 |
車道を横切ると40町石 8時50分 |
30町石 |
すぐ上に東屋がありましたが、あまり展望はよくありません。いつ降った雪でしょうか、小川に掛る橋の付近には雪が残っていました。
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雪が残っていた |
20町石で最後の休憩 |
大門へ到着 10時05分 |
9時半過ぎに20町石に到着、大した疲れもありませんが、もう少しで町石道も終わりということで、名残りの一休みです。
12町石を過ぎると道は登りになります。大門まで最後のひと頑張りです。20町石から30分、10時5分に大門へたどり着きました。
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大門です |
人間と比べてください |
6町石は山門の裏にあります。 |
雄大な山門と大きな仁王様、圧倒される大きさです。皆で記念撮影してしばし休憩しますが、ここは6町石で目的地ではありません。
目的地の根本大塔へは高野山のメイン道路を800mほど歩きます。3町、2町、1町と過ぎて、まだ雪の残る根本大塔に到着は10時30分でした。
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5町石からは自動車道です |
3町石は根本大塔のすぐ近くです |
2町石 |
歴史を感じさせる金堂と隣に聳える朱塗りの雄大な根本大塔はただ圧倒されるばかりでした。
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1町石 |
左金堂、正面根本大塔 |
圧倒される大きさです |
根本大塔を起点として慈尊院までの180町を胎蔵界、奥の院までの36町を金剛界とされ、当初は木の卒塔婆だったものを鎌倉時代に町石にされたそうです。
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1町石から金剛界のスタートです |
3町だったかな |
お酒ですね |
ということで、今度は奥の院までの町石道を1町石からスタートです。金剛峰寺まで境内を歩き、またメイン道路に出て、般若湯や高野槙が売られていたりする道路を歩いて一の橋に11時に到着です。
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高野槙を売ってます お墓で1月以上長持ちします |
一の橋入り口です 墓地の始まりです |
明智光秀の墓 |
この間、立派なお堂やお寺が立ち並び、一つ一つが他の町にあれば名所になるだろうなと思わせる町並みでした。
一の橋から奥の院までは2キロ弱ですが、この間に有名な戦国大名や武将の墓が立ち並びます。音声ガイドを借りてじっくり歩けば、ここだけで何時間もかかるのかもしれません。
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織田信長の墓 |
ここからは撮影禁止 弘法大使の御廟 |
手前で昼食、隣の中の橋会館でお土産 |
我々は豊臣秀吉や織田信長など超有名武将だけお参りして、後は横目でみて通りすぎました。空海の御廟にお参りして、中の橋の食堂に着いたのが丁度12時過ぎ。宿であれだけ朝食を食べたのに、すっかりお腹を空かしていました。
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ケーブルで極楽橋へ |
帰りの南海では、皆さん昼寝 |
難波のお好み焼き店に到着 |
昼食後、バスで高野山駅に行き、ケーブルで極楽橋駅に下ります。接続の南海電車で目指すのは、難波での反省会です。
今年は朝のドラマ「てっぱん」にあやかって、大阪のお好み焼きを食べることにしました。
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太麺の焼きそば、私の好物です |
牡蠣の塩焼きです |
大阪のOさんと一杯 |
いか豚たま、やきそば、牡蠣焼きと頂いて、私は大阪の友人と一寸打ち合わせがあり、一足先にご無礼して、もう1軒居酒屋へ出かけました。
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