大和街道 新堂〜島ヶ原

1/29/05 天気 晴れ時々曇り メンバー単独

大和関西線今年最初の街道歩きは大和街道の続きです。

天気予報では今日土曜日だけが暖かく、明日からは寒くなるとか。

大和街道は今日から伊賀の国です。忍者と松尾芭蕉の生まれた所として有名です。

9時35分、JR関西線の新堂駅に着きます。ここも無人駅ですが、切符販売所がホームにあります。駅には「関西線をもっと使おう」という、大きな看板がありました。

賛成ですが、亀山や柘植での乗り換え時間をもっと短縮して欲しいですね。

駅を25号線側に出て、柘植川沿いの街道まで10分程です。街道はここからしばらく柘植川沿いに降って行きます。すぐの御代の集落には常夜灯などありますが、年代物とは思われません。

大和街道2

大和街道風景1春のようなうららかな日差しを浴びながら、のんびり川沿いの街道を歩いて、駅から1時間ほどで円徳院橋です。街道はもう少し下流を渡ったらしいのですが今はこの橋を渡るしかありません。途中に造り酒屋があり新酒や酒粕の案内があり、心惹かれましたが歩き始めに荷物を作るのもいやなので止めました。

25号線で橋を渡り、すぐ右折して街道に入ります。佐那具の集落は街道の面影を残しています。かっての脇本陣が今はこんにゃく料理の店として営業しています。何十年か前、飛び込みで食べに入ったら、予約以外は駄目と断られたような気がします。なまこ壁の家があったりもします。

街道をしばらく歩くと又25号線に合流します。その角に「孝子留松の碑」というのがあり、25号線を50mほど歩いて左に分かれます。分かれて300mほどで直角に左折しますが、この辺り「恋の湊」と言うらしいです。地蔵堂があります。左折して田圃の中を400mで右折、さらに田圃の中を600mほど歩くと25号線に出ます。途中、近くの青安寺というお寺の境内に道標がある筈ですが見あたりませんでした。

芭蕉生家25号線を1キロほど南下すると右手に小宮神社があり、一寸お参りしました。この辺りで11時55分、歩き始めて2時間15分位です。更に少し南下すると右手の古そうな茅葺きの民家と祠がありました。すぐ服部川を渡る服部橋ですが、現在掛け替え工事中です。この土手からは上野城が見えてきます。

服部橋を渡ってすぐ右折して街道を探します。100m一寸で新しいお地蔵さんがあり、この辺りと見当つけて左折して上野市街へ向かいます。この辺りも団地が開発され、道が新しくなっているので迷ってしまいます。取りあえず南に向かって歩くと町並みが古くなり、厄除け地蔵さんがあります。その側の坂道を上ってすぐ狭い道をを右折するのが街道ですが、一寸通り過ぎて「芭蕉生誕の家」を見に行きました。

家の事務員の女性に「この付近に大和街道が通っていたそうですが」と尋ねましたが「不勉強ですみません」とのことでした。
あまり有名では無いようです(笑)。

大和でんがく街道に戻り少し行くと「割烹旅館三田青」の立派な看板で左折します。広い道を横切り南下、すき焼きで有名な「金谷」の駐車場で右折します。この辺り、伊賀街道との合流点で街道の面影残す古い町並みです。菅原神社の手前右手に、でんがくで有名な「大和屋」があり、今日の昼食はここにしました。12時45分です。

さっそく「でんがく」を頼み、熱燗も1本注文しました。湯飲み茶碗・徳利、盃ともに伊賀焼きなのは気持ちがいいです。一寸ホリューム不足なので「にしんそば」も頼みました。お酒1本だけなのに、良い気分になりました。30分休憩して出発です。

出るとすぐ「菅原神社」で参拝します。今年はまだ初詣をしていなかったので、しっかりお参りしました。神社を出て少し歩くと上野駅の近くのメインロードです。百五銀行の建物も街道に合わせています。ここも国道25号線なのですが、商店街で「加太越え奈良道」という案内が目立ちます。大和街道を大いに意識しているようです。

大和鍵屋の辻商店街を過ぎて広い通りを横切ると、幸坂という降り道になります。これを降りきったところが荒木又衛門の「伊賀越えの仇討ち」で有名な「鍵屋の辻」です。「みぎいせみち・ひだりなら道」と刻まれた大きな石標があります。鍵屋の辻には資料館とかお茶屋もあり、軽食や飲み物を楽しむこともできるようです。

鍵屋の辻を過ぎて少し歩くと木津川にぶつかります。ここに「淀川遡行終点の碑」というのがありました。大阪から登ってきた船はここまできたのでしょう。今は長田橋を渡ります。渡ってすぐ右折すると上野城がきれいに見えます。
長田の集落も街道の面影があり「虫篭窓」の家もあります。集落を抜けると163号線に合流します。

合流点には橋本地蔵が祀られたお堂があります。国道を歩くのも癪なので、お堂の左手の細い山道を歩きました。少し歩くと10体ばかりの地蔵さんがありました。お紋地蔵と書かれています。更に歩くと太い縄が木から木へ渡されていました。「勧請縄」と言うらしいです。
大和虫籠窓 大和勧請縄 大和三軒窯
虫籠窓の家 勧請縄 三軒窯からは右へ

ここを過ぎると道が消えてしまったので163号線に戻りました。1キロばかり歩くと三軒屋の大きな交叉点に出ますが、右の川沿いの道を選んで行きます。

大和三本松池「みとどけ地蔵」の案内があったので高台へ見に行きました。時間も3時になり、一寸疲れてきたので10分ほど休憩しました。

この後街道は急に左折して山に入って行きます。曲がり角には最近立てられた案内があります。

芭蕉が伊賀上野から奈良へ向かうときもこの道を通ったらしく「句碑」があります。

この後三軒屋窯という窯元がありますが、そこで道を間違えてしまいました。街道は窯元の右側を通って山に入っていくのですが、広い道がまっすぐ続いていたので、そちらに入ってしまいました。5分も歩くと道が消えて、しばらくまごまごしていましたが、諦めて引き返しました。窯元の人に教えられて街道に戻りました。よく見ると案内もあったのです。

街道は風情のある山道です。大和街道や茶屋跡の案内もあります。三本松池のそばを通り右折して島ヶ原村へ向かいます。4時半の電車に間に合うか、やや心配になってきます。途中、左に分かれる自動車道でなく水平な右の道が街道です。「芭蕉のしりもち坂」の案内を見ながら、池から1キロほどで集落にでます。ここに島ヶ原駅の案内があり、それに従って自動車道を歩いたのがまた失敗でした。街道は集落の中の狭い道だったらしいです。

街道は島ヶ原大橋の南で木津川にぶつかるはずなのに、北側の天理教の大教会に出てしまいました。ここでまた、まごまごして、島ヶ原駅についたのはほとんど4時半でした。あわててカップ酒を買い、電車には間に合いました。

大和街道 島ヶ原〜笠置へ