大和街道 島ヶ原−笠置

2/11/05 メンバー単独 天気曇り時々晴れ



大和島原駅前大和街道の3回目、前の晩急に思い立って歩きに行きました。

長島発7時56分のJR関西線普通は亀山で20分ほど乗り継ぎを待って、9時58分島ヶ原到着です。写真左は駅前のお堂です。案内もあります。

駅前をまっすぐ歩き信号を渡って直進、三叉路を左折して適当に木津川沿いの街道に出ます。左折してぶらぶら歩くと本陣跡があります。

街道からは外れますが「行者堂」を見に行きます。そのまま山道を直進して適当に街道にでました。

山菅の集落に入ると、山さんとか菅さんの表札が多く納得しました(笑)。集落を過ぎて峠を登ったところに関所跡があり、500mほど降ると「二本杭」という伊賀の国と山城の国の境を示す石標が2本立っていました。ここから山城の国、京都府です。

ここまでは「三重の歴史街道」で詳細な地図がありましたが、ここからは有りません。「週間日本の街道」で伊賀街道を購入して参考にしましたが、大雑把な地図しか載っていないので、実際に歩くには役に立ちませんでした。ここからは大和街道は伊賀街道とも呼ばれたようです。ここまで駅から1時間です。
大和石灯籠 大和二本杭 大和良い道
行者堂ではなかったような(^_^; 二本杭の国境 趣のある月ヶ瀬口への道


梅林で有名な「月ヶ瀬口」駅の近くに降りてきました。

日本の街道によるとJRの北側の国道163号線になるのですが、遠回りだし面白くも無いので左に旧道らしき道を行きます。

少し登ってJRの南側を線路沿いに行く道を2万5千の地形図で選んだのですが見事に道に迷いました。

最初のトンネルまで良かったのですが、道が無くなり、出たのは線路の北側でした。

一寸藪こぎして南側の道に出ました。ともかく163号線沿いの本郷の集落に着いたのは11時55分でした。

国道は車が多く横断にも苦労します。集落の中の街道らしき道を通って北大河原の集落も抜けて、また163号線に出ます。

右折して国道を笠置方面に歩こうかと思いましたが、狭い2車線の国道で歩道も無くなったりすると命がけの歩きになるので止めにしました。

木津川の対岸に「東海自然歩道」が笠置まで続いているらしいので、それにしました。

大和恋路神社 大和石仏 大和お地蔵さん
南大河原の恋路神社 磨崖仏 由緒ありげな地蔵さん

一寸引き返して大河原大橋で木津川を渡り南大河原の集落を目指します。集落には天満宮があり、その前にゲートボール場があり東屋もあったのでお借りして弁当にしました。12時半から15分ほどたき火にあたりながら休憩させて貰いました。

集落を抜けると左手の崖に、室町時代と言われる「磨崖仏」がありました。さらに歩くと自然歩道は車道と別れて川沿いの未舗装の道になります。古いお地蔵さんもあり、この道も歴史を感じます。

JRの鉄橋の下をくぐって少しで、小さな橋がありそれで木津川を渡って上有市の集落に入りました。街道の面影がありそうな気がしたからです。1時30分頃です。
大和細い橋 大和お寺 大和峠のお堂
木津川の小さな橋 上有市の茅葺きのお寺 峠の天律地蔵

大和街道3街道は国道に平行して一寸高台を行きます。良い感じの道です。

下有市に入り横川の袂に巨大な杉がありました。京都自然百選の一つだそうです。

ここから街道は半端でなく登ります。道の途中にベンチが置かれる程です。

峠には「天律地蔵」さんが祀られていました。急な降りを過ぎると北笠置の集落で石仏が数体有り、国道沿いには「笠置大明神」と刻まれた石仏がありました。笠置橋が目の前です。

大和笠置















ここで2時20分頃。地形図を眺めると、ここから次に街道らしい加茂町の井平尾の集落まで6キロほどは国道沿いになります。「嫌だなあ」と思い始めると足が動かなくなり、ここから先はは「柳生街道」を歩いて奈良に入ることにしました。ということで笠置橋を渡り、JRの笠置駅についたのは2時35分。

柳生街道は次回のお楽しみです。


柳生街道へ