熊野街道紀伊路
いよいよ紀伊路を歩き始めました。
京都から船で淀川を下ってきた旅人は現在の天満橋、当時の窪津で船を下りて熊野詣での旅に入ったのでした。
窪津は八軒家浜とも呼ばれ船着場として栄えていました。
2006年8月15日
午前10時25分、Oさんと私は天満橋を出発しました。京阪電車天満橋駅の向かい側、土佐堀通りに面した「永田昆布店」の前に「八軒家浜船着場跡」の石碑がある。ここが本日のスタートです。
歩き始めると、すぐ左手に昔の船着場へ降りて行ったと言う石段があります。
そこからすこし西に歩くと御祓筋で、「熊野かいどう」の銅版の案内があります。一筋西に第一王子である窪津王子跡が有るらしいが、特に何も無いらしいのでパスする。
後日見に行きました(笑)
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この石段で船着場へ降りたらしい |
座摩(きかすり)神社が王子跡 |
この日の大阪は37度を越える猛暑で、アスファルト舗装の道を何時間も歩くのは熱中症が心配でした。でも、御祓筋に入るとビルの谷間で日陰もあり、風も少し有って思ったより歩きやすい。
大阪城築城に当り行われた背割の説明を見て、阪神高速の下をくぐって南大江公園に着く。すぐ先に道を半分塞いだ榎神社がある。大火事を防いだとの言い伝えがあるらしい。
手前を左折、谷町筋を超えてすぐに右折、四天王寺へ向かって南下する。近松門左衛門の墓が近くにあったらしいが見逃してしまった。
歩き始めて1時間ほど経ったので上汐公園とかで休憩する。暑い。
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空堀通りからの街道、面影がある。 |
四天王寺の門前 |
少し歩いて天王寺警察で右折、すぐ又左折すると四天王寺の門前町で一気に賑やかになる。中門から入って参詣する。お盆とあって境内は人の波です。四天王寺は聖徳太子の建立で五重塔も有名ですが、初めての参詣でした。11時45分〜12時。
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四天王寺遠景 |
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参詣を終えて阿部野橋方面に向かう。若い外人のカップルが私の被っている笠を見て、何処で買えるかと訊ねてきた。Oさんが流暢な英語で、ここには売っていないと答える。
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四天王寺の近くには高層マンション |
阿倍野筋の阪堺電車 |
中華料理店はこの奥 |
阿倍野橋からは阪界電車という路面電車があり、しばらくは線路沿いに阿倍野筋を南下する。
その前に空腹となり、阿倍野銀座近くの中華料理店に入る。Oさんはジンギスカン定食、私は焼きそばの大盛を頼む(笑)。そしてたまらずビールを注文してしまった。午後は歩けるのか。
1時前に出て歩き始める。しばらく線路沿いに歩いた後、一筋東に入った小路になると、陰陽道で有名な安倍清明の生誕地と称する清明神社があった。私の生まれた京都の実家の近くにも「せいめいさん」と呼んでいた清明神社があったなと懐かしくなりお参りする。安倍清明は最近ブームですね。
その2〜3軒南に大阪市内に唯一現存する王子社がある。阿倍王子神社です。
「もと熊野街道」の石碑と「第二王子社」の石碑がある。ここは丁寧にお参りする。1時30分頃。
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丁寧にお詣りする |
近くに経塚があった。 |
合流する。 |
また軌道に合流して南下するが、この辺り日陰が無い。大阪の高級住宅街と言われる手塚山だが暑い。たまらず万代池の湖畔で休憩する。2時頃。
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万代池のほとり |
南海電車の踏切を渡る |
近くのお寺、万代供養 |
すこし歩くと阪界電車と別れて南海電車と合流する。ここまで来れば目的地の住吉大社は近い。神社の裏側から入ったようだが4つの神殿にお参りする。有名な太鼓橋で記念撮影。2時半頃。
まだ時間も早いし、なんとか体力が残っているみたいなので堺まで行くことにする。
神田の傍を通って行くと昔の灯台があった。大き目の常夜灯といった感じである。そうそう、昔は住吉大社のすぐ前まで海だったのですね。
話変わりますが、伊勢神宮とか橿原神宮のように神宮とつくのは天皇家の系統で、出雲大社や住吉大社のように大社とつくのは別の氏族と聞いたことがある。
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遠里小野の町並みは街道の面影 |
銅板が地面に |
農神社って何? |
さて大社を出ると街道の面影のこる遠里小野(おりおの)の町並みに入る。大阪夏の陣かなにかで家康が苦戦したとも伝えられる。
右手に農神社というのがあり、すぐ大和川の堤防に突き当たる。以前は日本一水が汚いと言われた川だが、最近は大分きれいになったらしい。3時頃。
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大和川の堤防を歩く |
南海 浅香山駅、各停しか停まらない |
豪華な?宴会(笑) |
堤防の上を少し歩いて遠里小野橋を渡ると堺市です。南海電車浅香山の駅はもうすぐです。3時15分着。
スーパー銭湯に入るつもりだったが適当なのが思い浮かばず、なんばに帰ってそのまま居酒屋で沈没してしまった。冷たい生ビールは身体の隅々まで沁みていくようでした。
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