北山街道
熊野の人々はその北方の山里を北山地方と呼んだ。現在の奈良県上北山村、下北山村、そして和歌山県の飛び地である北山村もその仲間に入るのだろう。
その北山郷は古来交通の便悪く、戦いに敗れた公家や武士が逃げ込み隠れ住むには絶好の土地であった。
そのため南北朝時代から戦国に至るまで、数々の歴史の舞台に登場している。
その北山郷に至る道が北山街道と呼ばれた。吉野の上市から川上村をへて入る道。また熊野の新宮から七色を経て入る道がそうである。
吉野からは国道169号線が川上村、上北山村、下北山村、そして熊野市の五郷を経て北山村に至っているが、北山街道はほぼ国道に沿っています。
この北山村で国道と別れ、丸山、尾呂志などを経て新宮に向かっているようです。
さて今回はお盆の暑い最中ですが、吉野の上市から川上村を経て上北山村へ歩くことにしました。
この169号線(東熊野街道)は多くのダムやトンネルができ、昔の街道は面影も無いことは、これまでの大台ヶ原登山や大峰奥駈で何回も通っているので知っています。
それで今回の行程では3つの楽しみを作りました。
一つ目は吉野町から川上村へ入るのに五社トンネルがありますが、これを通らず五社峠を超えることです。
二つ目は川上村から上北山村へ入るとき、現在の169号線はループ橋のあるトンネルを通りますが、これを通らず旧169号線でループ橋の下を通ることです。
最後の三つ目は、伯母峰トンネルを通らず伯母峰峠を越えることです。峠までの登りは大台ケ原ドライブウエーになっているため魅力は薄れますが、峠から上北山村への降りは旧169号線で現在は使われていないため魅力いっぱいです。
これ以外の道は、炎天下の中、お盆の車ラッシュに追われながら歩くので、気分次第ということにしました(笑)。
2008年8月13日(水)
9時21分、近鉄大和上市駅へ到着です。ここからは大台ケ原行きのバスや南奥駈の前鬼へのバスに乗りました。また和歌山街道を歩いた時、上市の中を街道が通っていました。
さて25分に出発、北山街道を歩きます。吉野町役場を通って河原屋までは前述の和歌山街道と重複して、風情のある街道歩きができます。30分ほどでその河原屋の大名持神社に着きました。今回の道中の無事をお祈りして10時6分の出発です。
吉野川の川向こうに道があり近畿自然歩道になっています。そちらの方が歩きやすそうで心は動きましたが、今回は街道歩きです。
車の多い国道を歩いて、対岸に発電所が見えるころ、楢井の集落への道が左に登っていきます。やれやれと、しばし騒音とお別れです。のどかな山里の集落を過ぎると、中荘温泉という立ち寄り湯のある国道に戻ってきます。
ここからは、しばらく右側に歩道があり助かります。宮滝に入ると国道に別れ右に入ります。ここは宮滝遺跡といって縄文時代?や奈良時代の建物跡なども発見されているそうです。この辺で11時です。
吉野川を渡り左折して樫尾方面に向かいます。
国道を渡って右折すると、すぐ左に山道が分かれます。これが五社峠への道のようです。
登っていくとすぐ道が二つに分かれ石の道標がありました。
左いせ、右くまのとか刻まれています。
伊勢じゃなく熊野でしょうということで右にとります。
道はしっかりコンクリート舗装されていて、軽自動車も走れる立派な道です。
途中は何の案内も無いので、地形図と磁石で現在位置を確認しながら登っていきます。
50分も登った頃、ようやく道端に「五社」と書いた案内があり、間違っていなかったとほっとします。
この辺はまだ傍に水が流れていました。
更に10分ほど登って、水が無くなると五社峠です。式内川上鹿塩神社というのがありました。
12時10分で、昼食と思いましたが、どうもそんな気分になれず降ることにしました。
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ここ左が登り口 |
登り口直後 |
二股の石標 右くまのさん上へ |
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良い道が続く |
ようやく五社の看板があった |
五社峠と式内川上鹿塩神社 |
これまでの吉野側と違って、川上村側は本来の山道のようです。峠の切通しは土砂に埋まって、ワーッという感じです。
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切通しは土砂に埋まって |
旧道を採りました |
旧道の感じです |
少し降るとすぐ「左旧道・右土倉牛車道」の案内がありました。牛車道は地形図の曲がりくねった道なのでしょう。こちらの道は整備されているようです。
でも私は計画時点で直線状の道と決めていたので、迷わず旧道を選びました。
こちらは手入れもされていないのでしょう、お世辞にも良い道とは言えません。でも、そんなに悪い道でもなく、蜘蛛の巣さえ気にしなければ普通の踏まれていない山道です。
20分も降れば眼下に学校が見えて現在位置も確認できます。12時40分に国道に到着、出口は金網の中で、とても旧街道入口とは思えませんでした。
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眼下に学校、展望も開ける |
国道との出会いは寂しい |
降りてきた国道は大滝の入口です |
近くにバス停があり、そのベンチで昼食にしました。しかしどうも食欲が無いので、持参の焼酎で喉を刺激しながら、なんとか食べ終えました。
13時15分、バス停を出発、湯盛温泉を目指します。ここからは単調な国道歩きです。
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焼酎で弁当を食べる(笑) |
土倉翁の文字を刻んだ岸壁 |
大滝ダムが見えてくる |
吉野杉の礎を築いたと言われる日本の山林王「土倉庄三郎」の出身地大滝を通過。右折すると蜻蛉の滝を経て吉野山の青ガ峰に通ずる旧吉野街道があります。
前方に巨大な大滝ダムが見えてきます。こうなると昔の道はすべて付け変えられ街道は面影もありません。大滝ダムに到着。せめて大滝トンネルは巻き道でと思っていましたが、その道も閉鎖されていました。
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旧道は完全に無くなっている |
大滝ダム |
トンネルの巻き道は閉鎖されていた |
仕方なくとぼとぼと大滝トンネルを潜りました。間断なく走る車の轟音が響き渡るトンネル歩きはお奨めできるものではありません。
トンネルを出て雄大なダム湖の景色を見ながら歩いていると、後南朝最後の激戦地とかの石碑がありました。
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ダムに水が貯められつつあった |
後南朝 最後の激戦地跡とか |
川上村役場のある湯盛温泉 |
14時30分、湯盛温泉のある道の駅に到着です。ここで温泉にでも入って、17時10分発のバスで民宿へ行くかとも考えましたが、時間が有りすぎるので、もう少し歩くことにしました。
上市からここ湯盛温泉までは頻繁にバスがありますが、ここから先は1日2本しかないのです。陸の孤島ですね。
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丹生川上神社上社 本殿 |
神社境内からの展望 |
又、トンネルを潜った |
川上村には丹生川上神社があります。ここにあるのが上社、東吉野村に中社、下市に下社があるようです。以前は吉野川の川床に有ったのですが大滝ダム建設で川底に沈むことになり、平成10年に現在の山の中腹に移されたとか。
とりあえず、トンネルの手前から神社目指して登り始めました。10分ほど登って神社に近づいた頃、突然雨が降ってきました。あわてて社殿に駆け込み雨宿りしました。神主さんと話していると、この神社は延喜式で指定された式内神社でないことを誇りにしておられるような感じでした。
トンネルの向こうえ降りる道があるかと期待したのですが、神主さんの話で「無い」らしい。天川へ行ってしまうという。仕方なく戻って、「森と清流の館」?から又トンネルを潜りました。
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人知の対岸白屋地区には義経伝説がある |
民宿のある白川渡付近 |
民宿 中奥川と奥さん |
人知(ひとじ)の集落に来ると酒屋さんを見つけました。たまらず缶ビールを買って、バス停で飲み始めました。結局ここで2時間も居座って、バスで民宿のある白川渡へ着きました。
民宿「中奥川」さんは川を渡って、瀬戸団地の中にありました。普通の民家で、奥さんが一人でやっていました。ご主人が74歳で亡くなり、3人の息子さんは都会に出て、今は一人暮しとか。山村の典型的な姿ですね。これで奥さんが高齢化すると民宿の跡をつぐ人が無く、消えてしまうのです。かといって、息子さんが経営するほどの客は期待できないのです。
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夕食 |
この豆腐がサービスで出たけど満腹で |
ともあれ、今日からはお盆で、息子さん達も帰ってくるので、私以外のお客は皆断ったとかで、お客は私だけです。
料理も多く、ビールを飲み、お弁当も作ってもらって7500円は安かった。お奨めの宿ですね。中でも地元の手作り豆腐が豆腐好きの私には大変気に入りました。
明日の伯母峰峠へ
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