北山街道
今回歩く北山街道に関しては二つのキーワードがあるようです。
一つは「北山一揆」、もう一つは「筏師の道」です。
北山一揆は2回あり、豊臣秀吉の検地に反対した1回目、大阪冬の陣のとき新宮城を攻めた一揆。いずれも鎮圧されて多くの犠牲を出しています。
筏師の道とは、熊野川上流の北山郷の材木を筏に組んで新宮まで乗ってきた筏師が、歩いて北山郷に帰った道です。
北山一揆については、ネットで「くまどこ」の熊野百科なんかで読みました。筏師の道については、昨年シーカヤックでご一緒した三石学さんが熊野産業誌の中に書かれた「筏師の道」で勉強しました。
今回は和歌山県の新宮を起点として、御浜町の尾呂志、紀和町の丸山・長尾を経て和歌山県の飛地北山村に入ります。
更に七色から奈良県の下北山村の池原に行き、そこからバスで帰る予定です。
途中の見所はトロトロ坂、赤木城跡、不動峠でしょうか。
歩いた人のレポートも少なく、未知の世界が多い行程なので、予定通り歩けるかどうか心配しながらのスタートです。
2009年1月10日
新宮駅−鮒田−大里−桐原−トロトロ坂−片川−尾呂志
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徐福公園 |
熊野大橋 2本ある |
9時前に新宮駅に着き、駅前の徐福公園に一寸寄りました。歩き始めは9時頃です。今日は天気は悪くないものの風がひどく強い。今日はトロトロ坂が目標ですが、うまく道が見つかるのか自信がありません。
とりあえず熊野大橋で熊野川を渡り三重県に入ります。左折して鮒田水門を渡ると牛鼻神社というのがあります。
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目的地は近い? |
鮒田水門 |
説明では5000年の歴史があり紀州地方最古の神社だそうです。まあ日本人は縄文時代から住んでいた土着の民族と大和朝廷をはじめとする朝鮮や中国から渡ってきた民族の融合のようですから、この神社は土着民族のころから祭られていたのでしょう。
いずれにしても丑歳だし、ていねいにお参りしました。9時50分頃です。
ここから相野谷川の右岸を上流へ上っていきます。対岸にも道があり、そちらのほうが直線で距離も短かそうですが、多分新しい道だと考え、山すそに沿って曲がりくねる右岸の道を選んだのでした。それにしても快晴なのに風が強い。山風なので海から離れて山間に入っても風が弱まらない。
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由緒ありそうな石碑 |
のどかな風景だが風強し |
津波が2回も |
この辺は、「下地」とか「和田地」とか語尾に「地」が着く地名が多い。又、平成2年と9年に津波に襲われているようで、こんなに海から離れているのにとびっくりする。
蛇塚というバス停で休憩したのが11時、大里を目指します。
大里には「京城(みやこのじょう)」という城があったらしい。天正16年(1588)、秀吉の検地に反対した一揆を藤堂高虎が鎮圧した。その後、北山街道の主要地であるこの大里に新宮城主が築城したと説明にあった。
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無人販売店 100円です |
石垣を焼却炉に 結構多い |
城跡の説明 |
大里で道が二つに分かれて、一瞬迷いかけたが「平尾井薬師」の案内に従い左にとり、すぐ右に街道らしい道をとる。
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平尾井薬師へ |
平尾井神社 |
昼食はカップラーメンで暖まる |
阪松原に入り、通りがかりのおじいさんにトロトロ坂を聞いてみる。でもはっきりしない。お昼なので左手の平尾井神社の境内で弁当にする。12時12分〜35分。
更に尋ねて近道を模索するが、皆解り易い道を教える。仕方なくトンネルを潜ったが、これは昔切通しだったのを補強してトンネルにしたようなので、これは正解かもしれない。
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阪松原 |
トンネルは切通しだった |
この三叉路を右が失敗の始まり |
トンネルの後二股の右を選んだがこれが失敗だった。計画時点でこの道に決めていたが選定ミスでした、林道をどんどん歩いて、結局女郎ケ峰の近くまで行ってしまった。引き返して1時間以上のロスでした。
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左の高山の右裾を行くはずだったが |
気持ち良い林道だったが |
右下の小さな案内で間違いに気づいた |
気を取り直して再度トロトロ坂への道を目指しますが、過疎地で人が居ない。たまに居ても非常に高齢で耳が遠いとかでうまくいかない。
上桐原で若い奥さんに会えたが、若いとトロトロ坂なんて知らない。結局県道を片川へ歩くことになった。14時30分です。
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県道40号線で片川へ |
それらしい道があった |
良さそうな石仏 |
地形図を良く見ると、県道がトロトロ坂に近づいた辺りからトロトロ坂に入る道がある。
地形から判断してこの辺と思う辺りに、それらしい道があった。良さそうな石仏も祀られている。入り口に木の小さな道標があるが字が消えて読めない。まあこれだろうと入っていくとすぐ道が細くなった。
1軒の民家があり、尋ねるとお婆さんが「これがトロトロ坂への道ですよ」と明確に答えてくれた。今日はじめてのことです。飲み物も持っていきなさいとの親切を丁重に断って出発した。15時25分頃です。
山道やお墓の前を5分で稜線に出て、更に2〜3分降るとトロトロ坂らしき道にぶつかりました。石畳の道です。さっきのお婆さんが「電話線がどうこう」とか言っていたが電話線もあります。
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稜線から降る石畳 |
トロトロ坂出会い、右来た道、左近道? |
右新宮、左同近道?とか |
石標があり薄暗い中読んでみる。右(今私が来た道)新宮、左同近道とか刻まれているようです。これでいくと私が今日歩いてきた道が正規ルートで、当初私が歩きたかった道が近道になるのかな。
そこから石畳の道を30分位降ると片川の集落が見えてきました。降りきって初めて手書きの案内に「トロトロ坂」の名前が出てきました。片川橋到着は16時でした。
片川も寂れた集落ですが、民家の建物は由緒ありそうな立派なものも有ります。でも手入れ行き届かず、朽ちて行きつつあるようです。
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片川の集落が見えて |
始めてトロトロ坂の文字が |
片川側の入口 |
尾呂志に向かうとすぐ先の上桐原からの県道に合流します。牛鬼碑なる祠がありお参りしました。ちらちら雪も降ってきて手がかじかみます。
三叉路になり、右国道42号線、左311号線で一瞬迷います。左をとります。
前回一度宿泊したことのある民宿船木屋さんに到着したのは、片川橋から1時間強の5時5分でした。
夕食時、飲み物を頼むと、ビールもお酒も置いて無いと言う。買いに行くにも遠くて足が無い。仕方なく酒なし夕食にするかと食べ始めると、息子に買いにやらしたとワンカップを2個出してくれた。熱燗にしてもらってあり難く頂いた。
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良い部屋です。以前は旅館だから |
酒なし夕食か |
全然心配無かった(笑) |
そのうち熊野古道の語り部をしておられる別の息子さんが、お酒とおつまみの差入れを持って話に来られた。
いろんな話に花が咲き、9時頃まで飲んで寝た。
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