2007年8月9日

桑名発18時01分の近鉄特急で大阪に向かう。鶴橋でJRに乗り換え天王寺から関空に向かうつもりだったが、気が変わって上本町からバスにした。9時20分関空着、4階の国際線出発に着くので楽だ。

Oさんと落ち合ってJTBの受付を済ますと10時を廻った。空港の飲食店も全て10時閉店で前祝ができない。これは誤算だった(笑)。コンビニでカンビールとおつまみを買い安上がりで済んだ。

定刻の11時45分にトルコ航空は離陸、13時間の禁煙タイムの始まりです。午前1時半頃夜食が出て赤ワインを2本飲んで眠りに就いた。6時頃目覚めたが現地時間ではまだ零時です。サマータイム採用中ですが時差は6時間、通常なら7時間です。

トルコ機内 トルコ機内食
トルコ航空機内 なかなか快適 機内食 なかなか美味しい。

不思議にタバコは苦にならず、2度目の機内食を食べて現地時間の6時45分にイスタンブールに着いた。
トルコは人口7500万人、イスラム教の国です。国土は日本の2倍、食糧自給率は100%以上だそうです。世界でも数少ない親日的な国です。

親日的な理由としては、
1890年、トルコの軍艦が潮岬沖で台風に遭遇して沈没したとき、串本町の住民が献身的な介護で生存者を助けたこと。その後も山田某氏が寄付を募って遺族に届けたこと。また日露戦争で日本が勝利したことで、当時ロシアと戦争状態にあったトルコが助かったこと等を歴史的な事実として小学校で教えているそうです。

反日的な教育をしているどこかの国とはえらい違いです。

トルコ目玉 大辺路トルコ トルコ目玉2
トルコのお守り ナザール・ボンジュー 串本町にあるモニュメント 目玉は至る所で売られている

最近ではイラン・イラク戦争で、日本航空が危険として飛ばないため、テヘランに取り残された日本人を、トルコ政府がトルコ航空を使って救出してくれた。そのときのトルコの新聞報道の見出しが「やっと日本に恩返し出来た」と言うものだったそうです。

また、最近のサッカーアジアカップが東京で行なわれ、トルコが日本を破ったとき、日本人の観衆が勝者のトルコチームに惜しみない拍手を送ったとかで、ますます日本が好きになったそうです。

そう言えば、紀伊大島にトルコ記念館があり、ダイビングの合間に見学したことがありトルコ船が遭難した話は知っていましたが、そこまでトルコで恩にきてもらっているとは知りませんでした。

また、熊野古道の大辺路を歩いた時、串本海中公園の近くで「トルコのお守り」として大きな目玉のモニュメントがあり休憩したこともありました。それがトルコのいたる所で見られる「ナザールボンジュー」だと言う事も今回知りました。この目は、蛇の髪の毛を持ちその目を見たものは石になるというメデューサの目であり、周囲の青はトルコブルーです。

8月10日

イスタンブールの入国は簡単でパスポートを見せるだけでした。それより驚いたのは税関です。空港のターンテーブルまでポーターが入ってきて、皆のスーツケースを台車に積み上げ、そのままの状態で通関しました。開けて見る気配も全く有りません(笑)。

トルコ空港 トルコ荷物 トルコバス

イスタンブール空港
到着に免税店があるのは何故?

このままで通関してしまった。

バスはなかなか快適。
真中にも乗り降りのドアがあり便利です。


今日は午前中イスタンブール見物です。

イスタンブールは人口1200万人、東西文明の十字路と言われる商売の街です。
古くは東ローマ帝国の首都としてコンスタンチノープルと呼ばれ、近くはオスマントルコの首都として1923年トルコ共和国の首都がアンカラに変わるまで1500年の間地域の首都でした。

現在アンカラの人口は400万人だそうなので、現在もこの近隣諸国で最大の都市であることには変わりありません。
今回の旅は23人、専用バスの社内はゆったり一人掛けです。

まず向かったのはイスタンブールのモスクの象徴ブルーモスクです。今回、何も下調べをしてこなかったのでぶっつけ本番です。
イスタンブールの旧市街はヨーロッパサイトにあり、ブルーモスクの他にアヤソフィア大聖堂、トプカプ宮殿、グランドバザールなど観光名所が集中していますが、これは後から知ったことです。

トルコブルーモスク トルコ洗い場 トルコモスク1
ブルーモスクは6本の尖塔が名物

モスクには全てこのような洗い場がある。
信者はここで口や手足を洗って礼拝する。

モスク内部。

ブルーモスクは6本の尖塔を持つことで有名です。17世紀初頭、オスマン帝国第14代スルタン・アフメットによって建設されたイスタンブールで最も美しい寺院とされます。

次に向かったのはアヤソフィア大聖堂です。隣です。

現在のアヤソフィアは6世紀に再建されたもので、15世紀にオスマントルコがイスタンブールを征服するまではキリスト教の協会として、以後はイスラム経のモスクとして使用されてきた。20世紀にトルコ共和国が出来ると政教分離により博物館として公開されている。
本来キリスト教の教会として建てられたこの建物は、征服したイスラム教徒にもすっかり気に入られ、以後モスク建築はドームを持つこの大聖堂を真似て作られるようになったと言われています。

トルコ大聖堂 トルコ大聖堂2 トルコ大聖堂3
最高の建築とされるドーム内部 2階部分へは馬車で登れたという。 2階からの眺め。

昼食はマルマラ海に面したレストランで食べました。肉を削ったような料理です。付近はイスタンブル城の城壁が残っていました。

トルコレストラン1 トルコ昼食1 トルコ城壁1
洒落たレストラン 肉を削った料理。 城壁の一部が残る。

午後は延々と移動です。マルマラ海の沿岸をギリシャ国境近くまで行き、Kesanで南下してチャナッカレに向かいます。11時20分にイスタンブールを出発し、チャナッカレ海峡を渡るフェリー乗り場に着いたのは5時頃です。

トルコ麦畑1 トルコレストラン2 トルコトイレ1
沿道は麦畑が続きます。 沿道のレストラン。 トイレはほぼ有料で50リラです。

フェリーはヨーロッパサイトからアジアサイトに人や車を30分で渡します。

トルコフェリー1 トルコフェリー2 トルコフェリー3
ヨーロッパサイトから出航。 トルコは人種のルツボです。 アジアサイトへ近づきます。

アジアサイトの船着場から約30分、トロイの遺跡へ6時30分に到着です。興味深い遺跡があるのですが、さすがに今日は疲れています。早くホテルに入って冷たいビールが飲みたいばかりです。

トルコトロイ1 トルコトロイ2 トルコトロイ3

紀元前10〜20世紀のギリシャ神話の話
なのです。

時代に沿って9層から10層も遺跡が
埋もれているそうです。

トロイのヘレン、トロイの木馬は
あまりにも有名ですね。


30分で遺跡を見学し、有名な木馬の模型を見て、チャナッカレのホテルに着いたのは8時前でしょうか。ビール、ワインで夕食し、部屋で一寸焼酎を飲んで10時には寝てしまいました。

トルコホテル1 トルコバイキング1 トルコ両替
エーゲ海に面した良いホテルです。 食事はバイキングです。

最下段、1リラは100円丁度です。
帰る頃には随分円高になりましたが。


日本時間にしたら翌日の4時ですものね。長い1日でした。

エーゲ海にはオルデニズという楽園のようなビーチがあるらしいです。

2日目に続く。