8月12日
今日は昨日パムッカレ見物を済ませているので7時半の出発です。
最初の目的地はコンヤです。パムッカレから400キロ位でしょうか(;゜−゜)。
 |
 |
 |
朝のホテル |
道路標識を見る余裕が出てきた |
トルコ猫 |
コンヤというのはオスマントルコの前セルジュクトルコの頃アナトリアの首都だったそうで、13世紀頃が最も栄えたようです。
7時半に出発した我々の最初の目標はチャイです。チャイはトルコのお茶を意味しますが、今日はこの辺りで昼食でしょう。約200キロの距離です。
 |
 |
 |
沿道に塩の湖が |
高原の土地は痩せているが広大 |
モスクは全ての集落にある |
この道は主要道ではなく一寸マイナーな地方道のようです。
 |
 |
 |
沿道のレストラン |
たしかヨーグルトだったか |
日本語のガイドブックも並んでいる |
 |
 |
 |
伝統工芸かな |
ナザールボンジュー |
伝統衣装かな |
チャイを越えて11時20分に昼食場所に到着、12時まで食事でした。田舎の街道沿いのなんでもないレストランなのですが、日本人のツアーグループが2組入ってきました。有名なのか他に無いのか。メニューはエンドウマメ入のピデ(トルコ風ピッツァ)だそうです。
 |
 |
 |
この辺は豊かそう |
エンドウマメピザ |
どこまでも続く高原 トルコは広い |
更に2時間半走って、ようやくコンヤに到着です。コンヤは標高1000m、人口は90万位とか。もう中央アナトリア地方に属するのでしょうか。
 |
 |
 |
これは売店、水を買う |
トルコのナン |
長い台の上に肉とナンかな |
セルジュクトルコの時代、イスラム教の中でもメヴラーナ教という宗派が栄えていて、この宗派ではトンガリ帽子を被ってクルクル回転する旋回舞踏が行なわれていたらしい。
これを見た旅人が中国にこの話を伝え、イスラム教のことを回教徒と呼ぶようになったという。
そのメヴラーナ博物館と神学校がコンヤの観光でした。
 |
 |
 |
メヴラーナ博物館 |
|
靴をカバーして入る |
 |
 |
 |
|
やはり手や口を洗う |
これは神学校 |
3時半過ぎにコンヤを出発、今夜の宿ネブシェヒルに向かいます。
この道筋は当時のシルクロードだったそうです。当時この近辺は山賊が多く、ラクダの隊商が襲われることも多かったらしい。そこで当時のコンヤの王様は、隊商の安全を守ることが交易を盛んにし発展に繋がると考え、街道の30〜40キロ毎に城壁を備えた隊商宿を建設したそうです。
 |
 |
 |
シルクロードは真っ直ぐに続く |
隊商宿正面入口 |
中央にはモスク |
 |
 |
 |
隊員の寝所兼商売の場所 |
ラクダの厩舎 |
当時の用具 寝所に展示してある |
宿にはモスク、宿泊所、ラクダの寝所などが備えられ、兵士も20〜30人は駐屯したそうで3泊までは無料開放したそうです。
その隊商宿の一つが当時のままの保存状態で残っているとか、今回そこを訪問しました。
キャラバンサライと言うらしい。
このまっすぐなシルクロードを走行中、左右の草原には数多く小さな竜巻が発生していました。多いときには一度に5つの竜巻が目に入ったこともありました。
隊商宿の前の土産物店でシルクロードのCDを買い、満足してバスに乗り込みました。
勉強不足だった私は、行程表の隊商宿とシルクロードが結びついていなかったので、この結果にすっかり嬉しくなったのでした。
5時20分頃隊商宿を出発、カッパドキアの中心地に程近いURGUPのホテルに着いたのは7時頃でしょうか。
この日は夕食後、オプションツアーが組まれていました。メヴラーナの旋回舞踏鑑賞というものでした。何の事か解っていなかったので申し込んでいませんでした。ただ今回はじめて、回教徒の言葉の謂れと解り、急に興味が湧いて参加してきました。薄暗い洞窟の中で、白い衣装の踊り手がクルクル廻りつづけるのはかなり印象的でした。
 |
 |
 |
バイキングも飽きるなあ |
果物は豊富 |
トルコ料理かな |
 |
 |
 |
サラダ系かな |
トルコ犬、狼から羊を守る |
ホテルの机、メッカの方向を示す |
今日も夕食はバイキングでした。
4日目に続く