ルクラの飛行機事故について

この事故について、あまり詳しく書くと余計な心配をかけると思い、これまで軽くかいてきた。
でも、その経緯を知ることも意味あるので、最後に書いておくことにした。

ヒマラヤ078左の写真は事故を伝える新聞です

ルクラの飛行場は山岳地帯にあるため、滑走路が短く小形飛行機しか着陸できないということは、本で読んだりして知っていた。

しかも滑走路には傾斜がつけてあり、着陸時はその傾斜を利用して減速すると。
しかし、そこはベテランパイロットの腕で、事故は滅多に起きないとか。

「そりゃそうでしょうね、そんなに度々事故が起きるようでは誰も乗らないものね。」
と納得していた。

それより問題は天候です。
雲が湧いてくると有視界飛行だし、滑走路も見えないので着陸できない。
なので午後の便は飛んでも引き返す場合が多いし、飛ばないことも多いと聞いていた。

我々の旅行社であるATESも、その辺はよく心得ていて10月8日の1番機、午前6時30分発を予約してくれていた。

我々のカトマンズ到着は10月6日の午後、翌7日はトレッキング準備の買い物や休養、10月8日の1番機で出発は我々の希望でもあった。

10月6日午後カトマンズに到着して1時半頃飛行場を出る。
聞けば、今日を含めて4日間、天候が悪くルクラ便は飛んでいないとか。
そのため飛行場は天候回復待ちの乗客で溢れかえっているそうです。

翌日の7日は天候も回復し、順調に飛んでいるという情報もあった。

10月8日当日は4時に起床、ホテルで弁当を貰って5時半には飛行場に着きました。
でも空港はまだ開いていなく、入場待ちの人でいっぱいです。
キャンセル待ちの人も多いのだろうと同情しながら我々も入場しました。

でもルクラ行きのイエティ航空は少しも事務手続に入りません。
ルクラへはイエティ航空の他にも3社ほど飛んでいます。
6時半のフライトに間に合わせる様子もまったくありません。
順番待ちの乗客もいらいらがつのります。

ヒマラヤ171 ヒマラヤ176 ヒマラヤ174
飛行場入口 イエティ航空 チェックインカウンター ともかく荷物を前に置く

そのうちようやく事務手続が始まり、我々もボーディングパスを受け取りました。
ほっとして待合室に入りましたが、一向に今度は呼び出しがありません。
結局、前日から残っているお客が1番機に乗り、我々は9時半発の2番機になったことが解りました。

「まあいいか、今日はルクラから2時間ほど歩くだけだから。」と我々は余裕です。
待合室で時間を潰していましたが、1番機が一向に帰ってきません。
そのうちに、ルクラ飛行場で事故があったらしいとの情報です。

それを聞いた時も、自分たちが乗るはずだった1番機の墜落事故とも思わず、何か軽い事故とでも思っていました。
ルクラ飛行場では事故はあっても死人が出たことは無いとの神話もありましたから。
それより、早く事故処理を終えて、フライトを再開してくれと願っていました。

カトマンズ843時間が経つにつれて事故の概要が解ってきた。
本来我々が乗るはずだったイエティの1番機が着陸に失敗し炎上した。
ドイツ人14人とスイス人(本当はオーストリア人だった。)3人の乗客全員が死亡。
ネパール人の乗務員3人のうち一人だけ重傷だが助かったと。

これを聞いてさすがに我々も幸運を神に感謝せずにはいられなかった。
当初はガイドのチョンビの交渉力が弱いから、1番機を取られてしまったと不満に思っていた部分もあったが、ここに至っては2番機にしてくれたチョンビさんのお陰で命拾いしたと、チョンビさんの手を握って大感謝です(笑)。

そのうち、本日はルクラ空港閉鎖となり、全便欠航となった。
預けた荷物を取り、空港の外に出るとニミさんが迎えにきていた。
左はルクラの飛行場

ニミさんもイエティの1番着墜落の一報を聞いた時は足が震えたそうだ。
そのときはまだ我々が2番機になったことは知らなかったから。

また現地ルクラでは我々のポーター頭とポーター二人が迎えにきていた。
彼らも我々が2番機になったことを知らない。
その目の前で1番機が岩に激突して炎上したのだから、彼らも真っ青になったに違いない。

カトマンズ1072 カトマンズ107 カトマンズ1073

上の写真はその時近くに居た現地の人が写した写真らしい。
何故か私の手元にあった(笑)。

ホテルに帰る途中の車の中で、Sさんが出発まえに薬師寺で写経をしてきたと話すと、そのお陰とみな感謝した。
そう言えば私も出発の2週間前に三河の鳳来寺へ行った。
1425段の石段を登って鳳来寺山を周回し、最後に本堂で、日頃は買ったことが無いお守りを買い、それをこの日も肌身に付けていた。
そのお守りを皆に見せると、これも感謝の対象となった。
皆、一気に信心深くなってしまった(笑)。

ヒマラヤ840左の写真の岩にぶつかったのです。

結局、無事日本へ帰れたら、Sさんはすぐ薬師寺に行き写経したから帰ることになった。
私も鳳来寺さんへお礼参りに行くことにした。
結局NさんもSさんと同行して写経に行きました。

またNさんの故郷は鳳来寺の近くらしく、近いうちにお参りに行くそうです。
Oさんと私は伊勢神宮にお参りしようということになったが、これは精進落しが目的かもしれない(笑)。

墜落の原因については、管制官のミスとかパイロットのミスとか言われたが真相は知らない。
翌日も1日空港は閉鎖され、その翌日10日の11時頃ようやく飛行機に乗れたのでした。

そのとき同乗したアメリカ人に聞いたところ、彼ら彼女らも、やはり我々と同じく炎上した1番機に乗るはずだったそうです。
当然、お互いの無事と幸運を喜びあいました。
彼らは15日位の予定でテント泊トレッキングだそうで、その後各地で会いました。

11月23日に鳳来寺さんへお礼参りに行ったのですが、もみじ祭りの渋滞にまきこまれて断念しました。
なんとか近いうちにリベンジします。

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